あまりにも危うい職業教育待望論、それから、それに便乗するという向きが多いので、自分の頭を冷やすためにも、ここらで少し論点を整理しておきたいと思います。基本的に私は職業教育及び職業訓練の重要性を疑ったことはありません。ですが、職業教育及び職業訓練の必要を主張する議論の多くに対してはかなり疑問に思っています。

命題1 職業教育によって生徒は自由な職業選択が可能になる
あるいは、職業教育がなかったから、どういう職に就けばいいか分からない。

「現行の教育制度の下では十分な情報が与えられていない」という批判は、いついかなるときも一定の説得性を持っています。ためしに「教育制度」を自分が不満を持っている他の単語に置き換えて、同じ不満を持っている人に聞いてみてください。おそらく、そうだそうだ、という答えが返ってくるのではないでしょうか。ですが、現行の○○が間違っているという認識は、直ちにその解決策を生み出すわけではありません。

職業教育を充実させれば、職業選択の幅が広がるという議論は詐欺に近いと思っています。現在のところ、職業教育ならびに職業訓練はある特定のスキルを習得することを前提としています。つまり、ある職業教育を受けるということはその時点でもう既に選択を行っているのです。すなわち、選択が前倒しされるだけなのです。この世の中に無数にある職業の大半に接するなどということは実務的に絶対不可能です。ということは、職業教育はその内容を必ずどこかで限定せざるを得ない。何れにせよ、情報が不十分な状態で選択をする必要があるのです。やってみなきゃ分からないのは、職業に就くだけでなく、職業教育ないし訓練を受ける場合も同じです。

この意見が人々を惹きつけるのは「選択の自由」という言葉に酔っているからです。職業選択は自分で決めてもよいし、他人からの縁で決まってもよい。というのが、中庸的な望ましい状態でしょう。言い古された議論ですが「選択しない自由」が著しく侵害されるのは、すなわち、選択を強制されるのはそれはそれなりに暴力的、すなわち、権力的だということは確認しておきましょう。

命題2 初等教育から職業教育を取り入れるべきである

職業に小さい頃から触れさせるという意味で「職業」についての教育がない、ということが言われます。これは職業教育を推進していない方からも主張されることがあります。小学校では社会科見学がありますから(今でもありますよね)、それを中学、高校と進学するにつれてパワーアップさせ、カリキュラムの中に組み込むのも一つの道です。ただ、この場合、「職業」という点に重きを置くのではなく、働く姿を見せることで人格教育を促しているといえるかもしれません。「パパの歌」の延長、というか、清水建設CM路線ですね。これはアイディアとしては割とみんな反対しないんじゃないかと思います。ただ、これは職業教育および職業訓練を残すべきかどうかという議論とは性質が違うということを承知しておく必要があります。

職業教育はそれを受けることを選択する時点で、ある種の予備的な職業選択になっていると言いました。これを初等教育から導入するという意味は、判断力がまだ十分でない時点から強制的にスキルを教え込むということになります。これは一つのあり得べき方法ですね。実際、伝統芸能なんかはそうやって継承しているわけですし、一つの考え方としては断然、成立すると思っています。ただし、この場合、義務教育という普遍的な能力を志向する教育との折り合いをつける必要があるので、これを廃棄して、様々な初等教育のあり方を容認するという段取りが必要になるでしょう。義務教育程度の学力が本当に備わっているのかどうか分からない学生がこうも増えてくると、現行の義務教育制度に何か問題があるのではないかと思わないでもないですが、初等教育についての知識が少ないので、私の個人的意見はベンディングです。

このシリーズ?は不定期で続くかも、です。

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