森直人さんからリプライ(?)を頂いたので、私も前々から書きたかったことと私の勉強してきた技能形成論をあわせて書いてみたいと思います。多分、濱口先生からの宿題にも繋がっていくはず(?)です。

森さんが以前、ご自分の講義に(職業的レリバンス)ありやなしや、と、問われたことがありました。実はこのエントリがとても印象に残って、ここから何かを考えてみたいとこれを読んで以来、思っていました。私も圧倒的な情報量を与えるという点ではとても共感しました。私の場合、あえてロジカルに濃縮せずに、生のままで触れてもらおうと意識しています。割と「僕はこの問題はここまで考えたけど、その先は詰められてない」とかよく語りましたから。もっとも学生からのアンケートで「伝えたいことがいっぱいあるのは分かるが、今後濃縮すべきだろう」と書かれてしまいましたが(笑)。そうだけど、そうではないんだよ。ま、いいか。

職業的レリバンスが初期入職時の技能という定義であれば、受けてもないけど、森さんの講義がアカデミック志向である限りにおいて、そんなものはないでしょう。でも、森さんがなさろうとしていることは、それよりももっと大事なこと、つまり、自分の職業についていろいろな角度から考えてみる、そういう経験を与えることだと思います。もちろん、そんなものがなくても、職業生活は成り立つでしょう。ただ、自分の仕事が一体どういう意味を持っているのかという問いかけが、自分の職業人生のスタートラインにあるとするならば、嫌なことがあったり、迷ったときに帰って来ることの出来る原点になるんじゃないでしょうか。そうなると、アカデミックな、専門性のあるものなんだけど、ほとんど教養ですね。

ただ、この場合、興味深いのは、森さんは職業的レリバンス以前に、ある職業に就こうというしっかりした問題意識を持った学生さんを相手にされているわけです。そういう意味では、学問とは全然関係ないけど、その子たちなりのある程度の問題意識を持っているといえます。だからこそ、打てば響くという側面があるんじゃないか、と思いました。

濱口さんが問題として出された「あまりできのよくない普通科高校生や選抜性の高くない文科系大学の学生」の卒業後をどうするかという話なんですが、私の実感としては偏差値が低い学校でも、一定の優秀な子はいます。優秀な子というのは、問題意識をもって自分なりに勉強するという意味です。そういう子たちは選抜性の低い学校であっても大丈夫です。大企業に就職できるかどうか分かりませんが、然るべき企業でやっていけますし、その前提としての内定も取れるように思います(景気が悪くとも)。濱口さんのいう学生だけでなく、専門学校もそうだと思うんですが、問題意識を持たずに、ただ高校の先生から言われて来た子や、いろいろとコンプレックスを抱えて、無気力になってしまう子も一定程度、いると思うんです。そういう子たちに森さんのいうストロングスタイルの講義をやっても、打てば響くように行くかといえば、絶望的だと思います。そういう意味で、私は職業教育の人格教育的側面を強調しているのです。実際、この側面を上手にアピールできれば、専門学校を含めた職業教育の進むべき道が開けると思うのです。ただ、現実には芦田宏直先生がご指摘されているような種々の問題があることは私も分かってます。その多くはとりあえず、心に留めて置く事にして、とりあえずシラバスを重視することについて、私の考えを書きたいと思います。

芦田さんのFD(ファカルティ・デベロップメント)の肝はカリキュラムの充実論です。芦田さんのサイトは素晴らしいんですが、惜しむらくは、どこから読めばいいか分からない。とりあえず、入口としては私は次の二つをお勧めします。

【第2版】「これからの専門学校を考える」(ここまでのまとめ)― 100の現状認識と諸課題(どこが専門学校と大学との分岐点か)
とりあえず、このエントリを読むと芦田エッセンスの全体像が分かると思います。

【第2版】「これからの専門学校を考える」(第五回補講)― 専門学校にとって〈カリキュラム〉とは何か?(大学の講座主義に対抗できるものは何か)
カリキュラム論はここを読むといいです。

もし景気が回復する前に、芦田さんの仰るカリキュラムを備えた学校にすべての専門学校が生まれ変わるならば、過去からの遺産(卒業生とそのネットワーク、暖簾など)を持たない大学は敗れる可能性が高いですね。ただ、実現可能性については私は分かりません。

芦田さんの問題意識は、

> カリキュラムはキャリア教育にとっては、キャリア人生全体を反映したものでなくてはならない。その分野の自立した職業人になるためには、どんな知識や技術を体得していなければならないのかを示すものでなくてはならない。

> 現在の専門学校の出口像は、就職して短くて半年くらい、長くて2、3年の業務をこなす「即戦力」に過ぎない。時間が経てばすぐに消耗し摩滅する。何度も指摘しているように「資格」教育と「技能」教育の限界が露呈している。

というところにあると思います。最初の部分を読めば、職業教育であっても、数年間の短期の消耗に耐え得ることだけでは問題にならず、キャリア人生全体を捉えていることは明らかです。しかし、現代のように技術革新が早い時代のなかで、昔の熟練工のようにずっと続けていくのは難しいですね。労働の世界では、もはや言い古された「技術革新による熟練の陳腐化」問題です。20年後の技術やトレードを予見するのは本当に難しい。この視点は最初からそういう難点を抱えていると言っていい。

ただ、芦田さんの議論をもう少し抽象レベルをあげて考えてみると、問題が別の角度から見えてきます。芦田さんの議論は要するに、総花的ではなく、体系的にやらなければならない、ということです。これは技能形成論のイロハとピタリと平仄が合います。労働の世界では、ダンロップが説明したいわゆるジョブラダーの議論です。易しい仕事から難しい仕事へ、です(労働を専門にしている人でこの議論を知らないのは、私の感覚では相当に恥ずかしいことです)。実は、結果的に小池先生のキャリアの組み方論はこれを深めたといえます。この議論のエッセンスは二つで、あえて芦田さん風に言えば、技能形成のカリキュラムを会社が作りやすい。それから、習得度も把握しやすいということです。この点は既に『職場の労働組合と参加』から論じられていますし、理論的には前にも紹介したKoike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comarative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984が分かりやすいです。小池先生の議論はその後、知的熟練に進み、その説明を人的資本論に負う形で展開させたため、結果的にやや分かりにくくなってしまったといえます。

ちなみに、試験のとき、キャリアの組み方の意味についての問題で、わざわざ知的熟練を勉強して書いてくれた数人の皆さん、残念ながら不正解です。上に書いた二つのエッセンスが正解で、知的熟練は関係ありません。

芦田さんご自身の議論を読みたい方は以下のエントリがよいです。ただし、相当、内容が難しいと思います。言葉は平易なものの、哲学を勉強した人独特の論理の運び方の癖があるので、そういうのに慣れない方には馴染みにくいかもしれません。私のこのエントリも相当に癖がありますけどね。

退職しました(その2) ― 「実習の専門学校」をどう考えるのか、どう考えたのか?(単位制の大学と時間制の専門学校、どう違う?)

ここまで書いて力尽きました。続く、です。多分。
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コメント
>ただ、この場合、興味深いのは、森さんは職業的レリバンス以前に、ある職業に就こうというしっかりした問題意識を持った学生さんを相手にされているわけです。

まったくその通りです。

>そういう意味で、私は職業教育の人格教育的側面を強調しているのです。

お話の筋がようやく私にも理解できてきました。課題の具体化はこれからですが。

学校教育と技能形成の問題をつなぐ際,一つには動機づけの問題(本田さんの用語でいえば「即自的レリバンス」)の問題と,もう一つには「タイムラグ」の問題をどのように処理するか,ということが重要な課題になるということでしょうか。もちろん他にも多くあって,ここでいうジョブ・ラダーの配列,それからカリキュラムの「具体的な」構成......

とくに2点目,産業界の短期的なニーズと,教育による人材供給の間に存在する本質的な時間的ズレ,といいましょうか。

ともあれ私も宿題にさせていただいてボチボチやっていこうと思います。
2010/02/19(Fri) 20:26 | URL | morinaoto | 【編集
コメント、ありがとうございます。
また、第二段のときに、ご意見の当たりも踏まえて、書いていきたいと思います。
2010/02/20(Sat) 00:24 | URL | 金子良事 | 【編集
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