長めのエントリを書いたものの、誤って消してしまったため、しばらくやる気がなくなっていました。お待たせしました。第二段を書きます。ちなみに、タイトルですが、一般論では答えはイエスです。ただ、私の能力でそれができるかどうかわからないので、?を附しています。

私は前々から言っているように、学校でエントリレベルを超える技能教育が出来るという主張については非常に懐疑的です。おそらく、現在、理論的な意味で取り上げるに足るのは芦田さんの議論だと考えます。いや、他にもいらっしゃる可能性も高いのですが、あんまり本格的に調べるつもりはないので、悪しからず、ご了承ください。

前回、引用しておいて引き取らなかったので、そこから始めましょう。念のため。

> 現在の専門学校の出口像は、就職して短くて半年くらい、長くて2、3年の業務をこなす「即戦力」に過ぎない。時間が経てばすぐに消耗し摩滅する。何度も指摘しているように「資格」教育と「技能」教育の限界が露呈している。

理屈で考えた場合、最初の数年の仕事経験がその後のキャリアに繋がる形が望ましいのです。ただ、その後のキャリア全体を学校教育者が見通して設計する(カリキュラムを作る)というのは事実上、不可能です。ここでは二点を確認してきましょう。

第一に、前も触れましたが、技術革新の問題があります。戦前、日本の実業学校の重要な部分に繊維系の工業学校がありました。これは明治以来、産地とともに育まれていき、あるものは戦後に大学の工学部に組み込まれ、あるものはそのまま残っています。1950年代で既に往時の興隆がなくなったのは否定すべくもありません。この変革を起こした具体的な技術革新は化繊です。そういう大きい時代の変化の中で学校も変わって行かざるを得ません。たとえば、東京農工大は歴史的に蚕糸試験所から専門学校に転換、さらに戦後大学の繊維学部になって、それが今の工学部になっています。ちなみに、東京農工大は今でもトヨタの産業技術博物館と並ぶ繊維博物館を持っていますが、学部としては廃れてしまったわけです。学校法人としては継続しているけれども、内容は大きく変わっている。変わることは悪くないのですが、学校自身も変わらざるを得ない状況の中で、学生に教えているキャリアおよびその内容が変わらないとは限らない。

もちろん、看護職のようなものは継続しています。しかし、その内容が同じかどうか、医療の発展とともに変わっている部分もあるのではないか、という気もします。別の例ですが、アメリカにおいては戦前、専門職(少なくとも准専門職として認められていた)ソーシャルワーカーの今で言うカウンセリング技術は、今のものとは違っていました。要するに、戦後、ロジャースが出て一変した。19世紀以来、経験的なソーシャル・ダイアローグ(マニアの皆さん、これは有名な書名ですね)が中心で、その後、フロイドの精神分析が大きい影響力を持ちます。ロジャースはフロイトをひっくり返すわけです。ただし、古き社会事業のなかで経験的に蓄積されてきた技術はひょっとしたら、ロジャースと近かったかもしれません。

第二に、学校内だけで完結したカリキュラムは危険です。私は前々から内部労働市場の二つのタイプを考えるべきだと繰り返し説明しています。今、メンバーシップ型を否定して、ジョブ型で行きたい、そしてその中で長期キャリアを作りたいと考えているとしましょう。そのとき、まずクラフト型の労働市場を前提としなければなりません。市場の形態に合わせて学校との連携を考えないと話しにならない。明治以来の実業学校はその地域地域に学校に対する需要が先にあったわけで、そういう意味で学校が孤立していませんでした(それでも初期は卒業生に職を見つけるのに苦労していますが)。はっきり言って、内輪もめで、あっちがダメだからこっちがいいぞ程度の薄っぺらの議論じゃ、役に立たないだろうと思います。

学校内で完結するカリキュラムの危険の例として、行きつけの床屋の親父さんの話があります。彼は学校の先生の技術は試験を合格するためのもので、現場では役に立たないと言うのです。彼の経験談は床屋の現場で修行しながらさらに勉強をするために美容師の専門学校に夜学で学んだときのことで、彼から言わせれば、学校の先生の技術では現場で役に立たないとのことです。そして、この前は更に続けて、都内で厳密なカリキュラム作って教えている学校があるそうなんですが、そこの方がかえって余計な型を覚えてしまい性質が悪い。何もやらないでボーっと遊んでいたやつの方がかえっていい、ということでした。

この話は正に芦田さんが常に警告する「資格の学校」としての専門学校の限界なんですね。これを打破しなくてはならない。いずれにしても学校内で完結したカリキュラムを作るというのは、かなり困難であるといわざるを得ない。それは端的に現場から離れている学校での技能形成の困難を物語っています。実際、企業内であっても技能形成をどう効率的にやるかは常に工夫を重ねているわけで、それを学校が出来るんだと考える方が非現実的です。

こうした困難な状況にもかかわらず、芦田さんが作り出したWEBデザイナーのカリキュラムは成功を収めたとのことです。私が芦田さんの議論を信頼するのはこの点です。大学の教育にも職業的レリバンスが必要だと主張するのならば、ご自身の講義がいかにして学生にそういうものを与えているか、かつ、どうやって設計しているのか示すべきです。もちろん、その経験を一般化することは出来ないでしょうけれども、大学の教員には自分の講義を自分で設計することが許されているのですから、最低限、その範囲のことは語れるし、誰からも干渉されないという意味で言い訳は許されないわけです。まず隗より始めるべきですね。

なお、もちろん、芦田さんの作ったカリキュラムも技術革新によって今後陳腐化する可能性は否定できません。それは将来のことですから、誰にも分からない。ただ、否定できない可能性として存在はしています。しかし、実際には、別のフェーズから、そういう危機が来てもある程度、対応できるかもしれないという気がします。が、そこから先はまた、次回ということで。

1時間くらいで書いたので、荒いかもしれませんが、とりあえず公開します。
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