大原の研究員懇親会(という名前かどうかは正確には忘れたんですが)に縁あって参加してきました。そこで何より嬉しかったのは久しぶりに二村先生と研究のお話が出来たことです。幸いなことに今日は偶々、ご自身の研究でいらしていた市原先生ともお話でき、なんともラッキーでした。

ゴードン先生の訳をされているお話を実は私、知りませんでした。随分長らく二村先生のサイトの更新情報をチェックしていなかったので、まったく迂闊でした。もちろん、二村先生のサイトは今でもよく拝見するのですが、あまりに読みすぎてどこに何が書いてあるか分かっているので、いつもピンポイントですぐに読みたいところに飛べてしまうので、チェックし忘れていたんです。

ゴードン先生のご研究では二冊目の本、Labor and imperial democracy in prewar Japanが一番、大事だと個人的には思っています。この分野は意外と誰にもやられていない。仕方ないから英語で読まざるを得ない、そういう文献です。葛飾の労働運動は重要なんですよ。本当はもうちょっと前の時期から丁寧にやるといいんですけどね。東京モスリンとか富士紡押上工場とか、あのあたりの繊維工場の話とかです。

The evolution of labor relations in Japanは、私はタイトルが兵藤先生の本と同じ、という印象が強く残っているんですが、読みやすいです。そういえば、私は学部の頃、小池先生にこの本を勧められ、最初に読破した英語の本がこれでした。懐かしい。しかし、日本の労働史をやっている研究者で読んでない人はいないという気もしますが。この本はゴードン先生のご希望だそうです。

二村先生が偉大な労働史家であることは今更、言うまでもありません。が、実は隠されたテーマとして、非常に多くの海外の学者の研究への協力があります。私はハンター先生からアドバイスされて、海外の日本研究を読むように言われたんですが、大体、大原と二村先生が出てくる。この貢献はとんでもないんですよ。しかし、あんまり日本にいる我々には全貌が掴みにくい。先生からはトーマス・C・スミス先生の研究へのお話を少し伺いました。ちなみに、スミス先生はthe right to benelovanceという論文があって、私は日本労働史研究上の最高傑作だと思います。誰にも問題意識が継承されていないけど・・・。何れにせよ、二村先生の影響はそういう広い文脈で考える必要があります。

今日、梅田先生と少し話をしていて、運動史の研究者がいなくなってしまったという話題になりました。労資関係史をやっている人はいるんだけどなぁ、ということでした。この話、研究史的な背景で言えば、中西洋先生の研究史整理がコペルニクス的転換を促した。つまり、労働運動史研究から争議史研究を媒介にして労資関係史研究を確立させようとした。少なくともそういう野心であの三菱の争議論文(隅谷編の本に入っているやつ。電話帳のような本ではないのでお間違いないよう)を書かれたわけです。そのときに高く評価されたのが二村先生の50年代の争議論文でした。ここのところは今、書きながら、さっき確認すればよかったなあと思っているところですが、足尾の本は実は中西評価が反映されているんじゃないか、という気がします。基本的な分析枠組みにおいて。ちなみに、私の押上争議論文は、この枠組みをひっくり返して、一企業の労資関係から運動史を見るという試みでした。マニアックな問題設定で申し訳ないですが。

でも、実は二村先生は運動史関連の論文も沢山書かれている。二村先生ご自身は第一巻が主要業績と述べられていますが、私は第二巻が重要だと考えています。いや、重要というより必読です。これを全部、頭に叩き込んだ上で、第一巻に帰っていく必要がある。私自身は前に書きましたが、二村先生の企業別組合論、つまりクラフトユニオンの伝統の不在によって説明するというロジックには反対です。濱口さんは前にお話したとき、自然と分かりやすかったと仰っていたし、実際、この説を受け入れている人も多数います。一つの重要な論点ですね。二村先生は概説だから主要業績にされていないと思うのですが、概説こそ歴史家としての実力を遺憾なく発揮するものはありません。

さて、これだけの前置きがないと本日の私が御伺いした重要な話が書けないのです。それは1919年の足尾争議の重要性についてです。私はこの争議こそ決定的に重要だと考えていました。つまり、この争議で友愛会は始めて幹部が争議戦術に口出しをしたのです。そういう意味で総同盟史の中でも決定的、と考えていたのですが、二村先生のお話を伺ったら、もっと論点は大きかったことが判明しました。つまり、このとき、組合が三種類あった。全国坑夫組合(新人会系)、友愛会、右派組合(主流)です。ちなみに、ご存じない方もいらっしゃると思うので、一応、付け加えておきますと、明治30年代くらいから足尾は温情主義経営の代表でした。ここでいう右派組合は私の言葉ですが、この温情主義の流れを汲むものですね。

二村先生は少し調べてみたと仰っていたのですが、少しとはなんと曖昧な言葉でしょう。これをご覧になると分かると思います。この中の「全国坑夫組合の組織と活動」をお読みください。いずれにしても、運動史的にはこのパズルを解くのは難しいです。また、資料の豊富さもかえってきついようです。でも、この時期の問題が集約されている、とは二村先生が仰られた通りです。上で書いてきたことを踏まえると、ここを突破できれば、方法的にも非常なブレイクスルーになることは間違いないでしょう。

今は三菱の1921年の争議が重視されていますが、それがひっくり返る可能性がありますね。三菱が重視される理由はいろいろありますが、今日は眠くなったので、このあたりにしておきましょう。
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