このエントリは以下の続きです。

教育論と技能形成論は接続できるか?(1)
教育論と技能形成論は接続できるか?(2)

前回、職業教育論の無理を二つの点から指摘しました。一つは、技術革新。もう一つは、学校内で作るカリキュラムの現実妥当性。この困難に際して二つの道が考えられます。諦めるか、それとも現実を受け入れた上で、何らかの方法を考えるか。芦田宏直先生の以下の記述は明らかに後者ですね。

> 〈学校〉というものは社会と連続的に繋がっているところではなくて(そうなると使い捨て人材しかできない)、教育的な圧縮力を高めてそれ自体で自立的に独立した世界を学生に体験させる場所。全キャリア人生は時間的には体験できないため、工夫(人工的な工夫)が必要。それがカリキュラム。キャリアカリキュラムは会社の実務上の職階(キャリアパス)を人工的に体現したもの。それが専門学校カリキュラムでなければならない。
【第2版】「これからの専門学校を考える」(第五回補講)― 専門学校にとって〈カリキュラム〉とは何か?(大学の講座主義に対抗できるものは何か)

こういう考え方がある種の危険性を持っていることは前回、述べたとおりです。ただし、これはあくまで理屈で考えた場合です。実際には、芦田さんは別に自分の頭だけで考えているわけではなく、人工的にカリキュラムを構築するために、企業の方と連絡を密にして考えていらっしゃったわけです。だから、現実には「人工」という言葉に引っ張られる必要はない。率直に言って、これくらいの気概がないと出来ないだろうとさえ思います。

「人工」という言葉に拒否感を持つ人がいるかもしれませんが、芦田さんの議論はまったく正しいと思います。そして、その背景には以下のような認識があります。あんまり長文を引きたくないんですが、芦田さんのブログは引用箇所にピンポイントにリンクできないので、直接、引いちゃいます(元エントリ)。

> 7)「学校でしか学べない」こととは何か。それは通常、「基礎」教育とか、「体系的」な教育と言われるものである。

> この場合、「基礎」教育というのは、程度としての、たとえば「初級」「入門」教育なのではない。技術者として、あるいは職業人として一生を支える何かをつかませる教育である。

> なぜ、専門学校の実務教育は、基礎的で体系的な教育が出来ないのか。

> 専門学校の教員は、実務経験者が多い。大学の専門教育を受けていない教員も多い。また大学の専門教育を受けた者でもトータルな教育は受けていない。ゼミの試験はあるにしても4年間の教育成果を問う卒業試験がないからである。わずかに大学院に進む者が体系性の片鱗を問われる試験を受けて進学するが、大学卒も結局のところ、大学で学んだことを活かして実務能力を身に付けている者は(ほとんど)いない。

> 専門学校教員の中では実務経験を競う者が多いが、それは一体、何を競っているのであろうか。

> たとえば、整備の実務を遂行するのに、自動車とは何かを理解することは「実務的に」必要なのか。言い換えれば整備の「基礎」や「体系」などというものを整備の「実務」で学ぶことなどほとんど不可能だろう。また「建築の実務家」などは実際には存在せず、設計、構造、施工などと実務は専門分離しており、設計の実務家は実際のところ構造計算を構造屋さんに任せたりもする。そして専門学校の建築系教員は放っておくと街の設計事務所からあぶれた人ばかり(「口のうまい人」ばかり)が教員になり、その人たちが構造や施工を教えることになる。情報系の場合でも、プログラマーの実務家はいつまでたっても(何年実務経験を重ねても)プログラマー止まり。設計の仕事をできるかできないか(アーキテクトになれるかなれないか)は、経験の差ではない。プログラマーの世界も実務的な分業に満ちている。

ポイントは体系ですね。実は、この考え方は技能形成論の中では、OJTの後、OffJTをやるといい、という文脈で語られます。要するに、自分の経験を整理するためのOffJTです。実際には、OJTによる技能の習得も、仕事の難易度だけではなく、その職場での仕事全体を知っている上司が考えて、順番に仕事につけるわけです。この人は、芦田さんの言葉でいえば「全キャリア人生を体験した」人です。したがって、OJTの後のOffJTというのは、(ある程度)計画された技能習得のプログラムをOffJTによって理解すると言い換えたらよいでしょうか。

体系とは、何も社会全体ではなく、要素間の関係がどう秩序だっているかですから、狭い範囲でもまったく構わない。そういう意味では、一般教育、職業教育を問わず、学校教育の中で小体系(言葉の便宜上)を体感したという経験を与えることは可能でしょう。論理的にはいろいろと破綻していて十分に説明できていませんが、本田由紀さんの「柔らかい専門性」で訴えたかったことも、問題意識としてはこういうことだろうと思います。もうちょっと深いレベルで真っ当な議論を考えたい人は、芦田さんの実習主義の危険を論じたエントリをお読みください。

もうお分かりでしょうけれども、この小体系を習得するのに、別に全キャリア人生を人工的に圧縮する必要は必ずしもありません(理念的にそうなるのは分かりますが)。たとえば、数年のキャリアパスで習得する技能を体系的に整理してもいいかもしれません。個人的な山勘ですが、2,3年のエントリレベルの仕事を覚え、その経験を次に繋げる工夫を自分でする(もちろん、この実現には雇っている側の協力が前提なのは言うまでもないことですが)、というところまで持っていければ、職業教育の役割は十分じゃないでしょうか。はっきり言って、これだって出来たら僥倖でしょう。

学校で何が出来るかということでは、実務的には、習得目標と教育方法を体系だって組み立てる、すなわち、芦田さんのいうカリキュラムを作るということです。ちなみに、実習主義をカリキュラムに入れるのは無理だった、と語る芦田さんの意見に私は真実を見ました。私は企業の技能形成の体系も緩やかな体系だと思うので、当然といえば当然です。この場合、緩やかな体系という表現は、時間によって変化する点、経験によって厳密に文書化され(得)ない部分(暗黙知)を含んでいることを意図しています。

あと一回、つけたりを書いて、このシリーズはおしまいです。
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