前回、体系という話を出したので、職業教育から話を一般教育に持っていくことが可能だと思います。

この問題について、私がとりあえず、読むべきだと思っているのは藤澤伸介『ごまかし勉強』上下、新曜社、2002年です。とりわけ、今、「ゆとり教育」の影響で指示待ち社員が増えて、困っていると思っていらっしゃる人事担当者(じゃなくても現場の方でもいいですが)は必読です。原因は「ゆとり」じゃないんですよ。

ごまかし勉強〈上〉学力低下を助長するシステムごまかし勉強〈上〉学力低下を助長するシステム
(2002/03)
藤澤 伸介

商品詳細を見る


ごまかし勉強〈下〉ほんものの学力を求めてごまかし勉強〈下〉ほんものの学力を求めて
(2002/03)
藤澤 伸介

商品詳細を見る


最初に言っておきますが、私は藤澤先生の議論に全部、賛成しているわけではありません。しかし、この本に書いてあることを読むのと読まないのでは、全然、現状認識が変わってくると思います。少し背景の話から入りましょうか。

一般には、1999年から数年にわたって展開された学力低下論争を記憶されている方も多いと思います。あの論争自体は、苅谷剛彦先生や京大の西村信雄先生、精神科医の和田秀樹先生などが一方の主役でした。ただし、苅谷さんはあくまで教育社会学の立場からデータを使って、いろいろと問題提起をされていました(『なぜ教育論争は不毛なのか』中公新書ラクレ、2002年、第一部。ってか、インタビュアーの中井さんのお仕事は今更ながら、グッジョブです)。私は苅谷先生が起こしたムーブメント(?)自体はとにかく問題提起したという点で何より重要だったと思います。しかし、そこから社会階層論に話が流れていったのは、苅谷先生ご自身の研究とその立場から考えて必然的であったものの、私個人は困った方向だと考えています。実は『学力低下論争』で掘り下げるべき方向をかき消してしまったのではないかとさえ思います。

1990年代後半の教育改革が行われている状況では、塾=過当競争→ゆとり教育という流れがあり、過当競争どころか勉強してないよ、というのが主要な反論でした。そして、それは教育現場の人の実感にもフィットしたので、一気に火がついた、ということでしょう。そして、文科省の「ゆとり」方針を180度、転換させてしまった。でも、それよりも大切なことは、その過程で苅谷先生が二項対立的な議論を避けようとされたことでしょう(後者の点は本田さんによって後退している感がなきにしもあらずです)。これによっていろんな論点が出て来たわけです。

実は、学力低下論争が起こったときに、その時点でデータさえもない状態でした。多分、私だけでしょうけれども、何となく工場法が作られた経緯を思い出します(笑)。調査して現状認識が変わり、政策が旋回する。ここでは、データを取ったら、学力は低下していたことが分かり、それでは、ということで渋々(?)教育行政の方針が変化した。しかし、ここで忘れてはいけないのは、学力低下がいつ始まったのか、ということをデータで示すのは難しいということです。苅谷先生はご自分の教育社会学者としてのアイデンティティを守るためにも、データによってマクロ的に見ることに徹した。しかし、ないものは仕方ないので、そこは経験談等で補う必要がある。そういう文脈、つまり、マクロの問題を考える意味でも『ごまかし勉強』を読む意義があるのです。ちなみに、これらの構想は藤澤先生ご自身の言葉によれば、1980年代後半から持っていたとのことです。したがって、学力低下論争とは別の文脈から出てきている。

『ごまかし勉強』の著者・藤澤伸介先生は認知心理学者という面と、実際に塾に携わって来られた面の二つを持っていらっしゃっています。特に、藤澤先生の塾でのご経験は重要です。この話は下巻の172-175頁で語られていますし、市川伸一先生の講演(リンク先はPDF)、それから、紘文塾のホームページでも紹介されています。

藤澤先生の議論は、実体験から段々と学力低下を感じていて、その原因を「ごまかし勉強」とそれを助長する「学習参考書」およびその背後にある一部の学習塾に求めています。「ごまかし勉強」に対応する反対語は「正統派の学習」です。「勉強」は労役(マイナースイメージ)が伴い、「学習」にはこれがないとされています(下巻、152頁)。そこには「正統派の学習」は楽しいものである、という信念が見えます。

藤澤先生によれば、「正統派の学習」においては「充実志向」「訓練志向」「実用志向」という三つの「内容関与的動機」よって提示学習要素を「学習」していきます。ここでいう「学習」は「深化」「定着」「発展」の三つのフェーズに分かれます。「深化」は意味や構造の把握、既有知識との関連付け、「定着」は記憶・訓練、「発展」は他領域との関連付け、日常生活への応用になります。これによって獲得学習要素は互いに連関し、さらに、その外のものとの連関も場合によっては視野に収めることになります。

「ごまかし勉強」の場合、まず提示学習要素が「定期試験」で点数を取るためなどの理由で、非常に限定されます。そして、その限られた「要素」だけ、暗記などの「定着」を行うわけです。その結果、獲得学習要素の内容は少ないだけでなく、「深化」「発展」がないため、お互いの関連付けが出来ていない。まさに体系だっていないし、有意味化できないから、面白くないというわけです。

私の個人的な経験では、定期試験でいい点数だけを取るためにしても、ここでいう「深化」が多少はないと効率的に暗記できません。という風に、たとえばこんな感じで個人レベルではいくらでも反論できると思いますが、ここは一応、理念型として捉えてもらって、先に進みましょう。

藤澤先生はこの傾向を助長させたものとして、学習塾をあげています。ここの議論で重要なことは塾も二つに分類していることです。一方では、難関大学を合格させるような受験勉強は「正統派の学習」をせざるを得ず、したがって、そういうのを支援するたとえば河合塾、駿台などはそういう勉強を教えているのですが、他方、前に濱口先生が憂慮されていた生徒たちに対して「ごまかし勉強」を教えるところが出てきます。藤澤先生はこの点を学習参考書の変遷を軸に受験産業の企業の論理から解き明かしているのですが、すごい説得的です。このあたりはぜひ上巻第3章と下巻の第10章を読んでください。

何れにせよ、体系的にものごとを捉えるという力が弱まっており、それが初等教育から起こっているのだとしたら、高等教育を一般教育から職業教育に変換させたり、職業的意義を与えればやる気が出るなどの処方箋は彌縫策としても間違っています。問題は一般教育と職業教育(ないし専門教育)の根底にあるべき、体系的に物事を捉える力をどうやって作っていくか、ですね。

技能形成との絡みで書けるのはここまでです。

つけたりのつけたり

一応、今までの議論の行きがかり上、反省しておくことがあります。稲葉さんも人間力派=進歩派教育学だと浅はかにも考えていたわけですが、どうやら一連の政府筋の本丸は認知心理学ですね。だって、人間力戦略研究会の座長は市川伸一先生ではないですか。本田さんもなぜ、ここを叩かなかったのか、理解に苦しみます。彼らの議論は別にただ抽象的なだけではなく、具体的なものもあるからです。謎だなあ。

> 人間力戦略研究会報告書(PDF)による人間力の定義は、
1 「基礎学力(主に学校教育を通じて修得される基礎的な知的能力)」「専門的な知識・ノウハウ」を持ち、自らそれを継続的に高めていく力。また、それらの上に応用力として構築される「論理的思考力」、「創造力」などの知的能力的要素
2 「コミュニケーションスキル」、「リーダーシップ」、「公共心」、「規範意識」や「他者を尊重し切磋琢磨しながらお互いを高め合う力」などの社会・対人関係力的要素
3 これらの要素を十分に発揮するための「意欲」、「忍耐力」や「自分らしい生き方や成功を追求する力」などの自己制御的要素
などがあげられ、これらを総合的にバランスよく高めることが、人間力を高めること

具体的にどこで発揮するかと言うと、「職業生活面」「市民生活面」「文化生活面」と書かれています。多分に心理学的な雰囲気が漂っていますねえ。自分らしさの追求=自己実現は理論的には提唱者のマズローその他あるわけですし、具体的にはそれこそ個別事例によるわけですから、まあ、いいでしょう。この他、「コミュニケーションスキル」「リーダーシップ」は労働の分野でも怪しいとしばしば思われていますが、心理学系の研究蓄積があります。アメリカのビジネス・スクールの人事は基本的に心理学系です(歴史的経緯もあります)。それ以外の項目については、藤澤先生の議論で大筋、説得的に論じられています(当然、各論はいろいろ意見もありますが)。何れにせよ、叩くならば、ここを抑えてから叩かなきゃ。もっとも稲葉さんはこの論点に気づかれていたから、このメモも一緒に書かれたんでしょうね。私は稲葉さんのメモを読んでも、どういう意味か理解できませんでしたが、さすがです。

市川伸一先生の議論はほとんどフォローしていませんが、今後の宿題にしておきます。

つけたりのつけたり2

苅谷先生の教育社会学の話については、森直人さんのまとめもぜひご覧下さい。近いところにいた方の問題意識として大変、面白いものです。苅谷先生の選抜の方の話は森さんもあげられている『学校・職業・選抜の社会学』の他に、苅谷剛彦・石田浩・菅山真次編『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』が必読で、さらに、このテーマを企業側から考察した『人事労務管理の歴史分析』に入ってる佐口先生の「新規高卒採用制度」もあわせて読まれることをお勧めします。復習するの面倒なので、私はまとめませんが、悪しからず。

つけたりのつけたり3

藤澤先生の議論についてはこれを読んでください。『ごまかし勉強』で使われている図で、私が説明した部分も乗っているので、絶対、こちらの方が分かりやすいはずです。

つけたりのつけたり4(2010年7月18日)
工場法が旋回したいきさつをご説明しましたので、森さんところから飛んでこられた方、御覧ください。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック