次に志水宏吉先生シリーズ、論文編。

やっぱり学説史から。
「新しい教育社会学」その後 : 解釈的アプローチの再評価
なるほど。統計学的手法を使った研究へのアンチテーゼ的な部分があるんですね。

配分機関としての中学校 : 進路指導の社会学的分析
よい論文。いろんな論点に目配りされているし、数学的な手法に捉われず、とても原始的な方法で手堅く整理され、分析されている。

岩井八郎、片岡栄美との共著論文
「階層と教育」研究の動向
この最初の部分はホワイトカラー史研究としても使えます。藤田先生のものより網羅的、分業による協業の力ですね。

学校の成層性と生徒の分化-学校文化論への一視角
フーコーも引いているし、注で高く評価しているけれども、その影響が余り見られないのはなぜ?

篠山地方の近現代史
天野郁夫、吉田文と共著
近代日本における学歴主義の制度化過程の研究 : 篠山鳳鳴義塾を事例として
天野郁夫、吉田文、広田照幸と共著
地域における学歴意識の変容 : 戦前期日本における生活世界の学校化
天野郁夫、吉田文、越智康詞と共著
戦後中等教育の構造変化と学歴主義 : 丹波篠山地域の2高校を事例として
今回はとりあえず、眺めただけ。分担がはっきりしているのは素晴らしい配慮。天野先生のものを繋いで読むだけで、簡単な近世から現代(より数十年前)までの教育社会史が展望できる。ってか、これが『学歴主義の社会史』のネタ元か?いずれにしても改めてすごい。事例研究としても濃い。

再び学説史
変化する現実,変化させる現実:英国「新しい教育社会学」のゆくえ
この論文は非常に重要だと思いました。イギリス学会での会話、ないし向こうの研究者数人からの感想をポンと入れているんですが、これはユニークな方法です。座談会形式というのはよくありますが、学説史でこれにやや近い方法を取り入れているのは面白い。そして、そのことと、フーコー的な解釈学、エスノグラフィー的手法を試行錯誤しようとしている志水先生の問題意識とは多分、密接に関連している。論文中も2,3度出てきますが、藤田先生の「教育社会学研究の半世紀」と対照しながら読むと面白い。この方法は他でも使える(はず)。

臨床学校社会学の可能性
この論文まで来ると、なるほど『学力を育てる』でご自分の体験から書かれたことが、決して読者を惹きつけるためではなく、研究の問題意識の進展上、必然的であったことがよく分かります。臨床的手法は、社会政策学会、というより社会福祉系などではポピュラーなので割と親しみやすい感じですしね。さらに「学校」の考察に留まろうとする方針は教育社会学の強みを上手く活かしていく道だと思います。

その後の研究を踏まえて書かれたものが↓です。
研究 VS 実践 : 学校の臨床社会学に向けて
インタビューの難しさを丁寧に説明してくれています。学校の臨床社会学だけでなく、たとえば、我々がオーラル・ヒストリーを試みるときにも同様の問題が起こる。教育の方が対象との距離の取り方がおそらく近いから、問題の困難さも先鋭的に出てくるんでしょうね。

一番、最近の学説史。ユーデル・デボラとの共著。
イギリスとオーストラリアにおける教育社会学と教育変動
ああ、デジャヴ。あまりに社会政策学会の皆さん、特に社会福祉系の皆さんと同じ方向を向いている。もう何も語るまい。

その他、役立ちそうなもの
学力問題プロジェクトの総決算。
ネットワークの特集号

モノグラフの著書を読んだ方がいいと思うけど、こんなのもありました。
裏側のニッポン─日系南米人の出稼ぎと学校教育─
エスノグラフィー的手法(ないし臨床社会学的手法)は、調査対象者からだけでなく、一般にそれ以外の一部の研究者からも蛇蝎の如く嫌われる。もともと、社会学はジャーナリズムとの線引きが難しい性格を持っていて、今となっては誰も文句を言わないであろう古典的名作『オンリー・イエスタディ』もジャーナリストの本です。『ハマータウンの野郎ども』にもそういう側面があったわけで。

もっと言うと、訳者の熊沢先生さえ同じような批判を浴びて来られたわけですね。最近、熊沢先生が大原の雑誌から回顧録(PDF)を出されて、こういう社会学ととても近い問題意識を持ってこられたことが改めて分かりました。ちなみに、熊沢先生については、某先生のように労働著述家とまではいいませんが、私もどちらかと言うと批判派です。最高の業績は最初の賃金の論文だと思っているので。

志水先生に話を戻すと、やっぱり1970年代にはある種、統計的手法を使った研究が重要な新興勢力で、その限界と折からのポストモダンが結びついて、エスノグラフィーが注目されてくるようになる。これに近いことはやや人事労務では1990年代くらいから起こり始めてるんじゃないか、という気もします。たしかに、統計的手法の眼目は客観的測定で、その反対の極に触れようとしたエスノグラフィーは行きつくところ、臨床的な、主観を押し出さざるを得ない。でも、そちらに傾斜しすぎると、データもなくてという話や、研究者一人ずつの職人芸みたいな話になってくる。そうなったら、志水先生のエスノグラフィーは信用できるけど、たとえば私がやったら信用できない、というような判定になりかねない。それはそれで問題なわけで・・・。でも、これって非常に広く社会学が直面してきた問題ですね。

結論1 電子テキスト化は偉大。とりわけ根幹の学会誌(この場合「教育社会学研究」)が電子化されているのは、他の領域に対しても、非常に優位。ちなみに、わが経済学研究科は紀要の電子化はしていないような・・・。教育研究科の方が進んでる・・・。

結論2 そして、CiNiiは偉大。実際、図書館でこの論文を全部調べるのは労力だし。

展望1 天野郁夫先生、潮木守一先生でやったら面白そう。
展望2 でも、大変そう。1人1日仕事だな。ちなみに、このエントリは半日仕事なり。ゆえに、内容が薄いです・・・。
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