前回の続きです。

基本的にその後、『教育社会学研究』誌上では、1990年代前半にいろいろと教育社会学とは何かという感じの議論がされます。しかし、教育社会学が若い学問であったがゆえの熱っぽさというのはなくなっていっているように見えます。それは教育社会学の学問的性格というよりは、あくまで創業期の熱っぽさだと思います。なんとなく社会福祉学とも雰囲気が似ているので。私から見ると、社会政策の方がよほど深刻なアイデンティティの危機を迎えています。今の社会政策学会は社会政策を理論的に考えるということがそもそも想定されていないんですから。投稿規程を読めば、分かります。

1990年の特集号は「教育社会学の批判的検討」は、この時期までに様々な方法が洗練されてきたことを示しています。もちろん、実際はこれだけでないでしょうけれども、門外漢には非常に便利な、特集です。同じく1991年の総目次(PDF)も便利です。もちろん、CiNiiでほぼ全部読めるんですが、全体が一気に読めると楽。

何重もの意味で面白いのが天野郁夫「辺境性と境界人性」です。この論文は、正確には論文というより感想ですが、教育社会学の中では重要かもしれません。ほぼ同世代の菊地城司が「教育社会学の日本的展開」で言及していますし、竹内洋が「教育社会学における歴史研究」で検討しています。この二つの論文の受け止め方の温度差が面白いんですね。ちなみに、竹内先生は天野先生の次の世代です。

菊地論文では実は自分達を第三世代としていますが、天野先生は旧い世代と新しい世代という言い方をしていて、自分達が新しい世代であったときのことと、旧世代になった自分達という二つの局面で語っています。しかし、何れにせよ第一世代と第二世代の区別はない。それは前エントリで指摘したとおりです。

天野先生が指摘する「辺境性」と「境界人」に二重の意味を見出したのが竹内論文です。題して脱辺境戦略と居直り辺境戦略です。天野先生は後者です。脱辺境戦略などとほんの少しだけ呼び方だけ気を遣っていますが、要するに、外国の社会学、教育社会学などの輸入卸学者のことです。新しいパラダイムという掛け声だけで、その手法を学んで、日本の事例(歴史)で何か新しい解釈を出したのか?とギュウギュウと詰めていきます。竹内先生は論文で丁寧に考証されていますが、私の印象では「昔デュルケム、今ブルデュー」という感じです。これに対し、居直り辺境戦略は新しい分野を切り開いてきたと高く評価されます。実は、天野先生も明らかに二重の意味で使っているけれども、ご自身があるとき、フロントランナーになっちゃったから、後進の人を気遣えば、そうは書けない。自分自身のキャリアや研究の正当化になりかねないと断られている点、第一世代は学歴主義やらなにやらはやらなかったではないか、と書いているところにはすごい自負を感じます。

そして、究めつけ、天野先生の回顧録によれば、別に天野先生がオーソドキシーと言うか、中央への違和感を感じていたのは教育社会学の影響ではなく、東大を嫌って一橋に進学を決めた高校時代からそうだったことが明らかにされています。人は、それでも一橋でしょう?というと思いますが、私にはなんとなく東大外から入って研究者への道に行ったときの気分というのは想像できます。東大なんだけど、東大じゃないというアンビバレントな感じは、外部の人にはもちろん、純粋な内部昇進(進学か)の人にも分かりにくいかもしれません。でも、よくここまではっきり書いて下さいました。前回のエントリで紹介した1978年のやり取りで、教育社会学の独自性を疑ったことなどない、って第一・第二世代のいらっしゃる前で啖呵を切っていらっしゃるんですから、コンプレックスなど全然、感じられませんよね。

私の独断と偏見では、なんだか理解できないカタカナ学者の本を読むより、海後宗臣・寺崎昌男・潮木守一・天野郁夫・広田照幸といった東大教育学部の黄金ラインを読んだ方がよほど生産的じゃないかと思います。ただし、海後先生の本は旧字だったかな。もっとも、私は寺崎先生のものだけはまったく読んだことがありません。話を元に戻すと、竹内論文の注16は非常に重要です。部分的に引きましょう。

> 筆者から見れば寺崎の学校騒擾も佐藤(秀夫)の学習道具の研究などはフーコーもアリエスもエリアスも引用されていなくとも立派な社会史研究にみえる。

教育史のことを書きながら強烈に教育社会学の一部に皮肉を利かせていますねえ。ちなみに、いろんなところで聞くんで、この際だから書いておきますが、古い考証史学(くそ実証)が広い視野を持っていないというのは、かなりの部分が当てはまるものの、その反面、解釈学などという文芸評論とは違って、堅実な史料考証に基づいた上で大きな史観を展開させているものがあるのも事実です。ただし、そういう本は大部です。研究書を読むことさえ修行が要りますから、解釈学の革新性を言うのは、どうも読み通す学力ないし胆力がない人が言っているだけに過ぎないんじゃないかと疑っています。私は竹内先生があげてる本は読んでいませんが、当然、こういう評価が出てくるだろうと思います。

それにしても、この文脈から天野論文を読み返すと、厳しいことがいくつも書いてあります。たとえば、

> いうまでもなく、社会学も、その一部門として発達してきた教育社会学も、「近代」という時代、「産業社会」という社会を対象に成立し、発展してきた学問である。その限りで理論や方法に国境はない。デュルケームがいったように、社会学は基本的に比較社会学である。だがそのことは、とくに現実の「教育」を問題として、説明することをめざしてきた教育社会学の諸理論が、具体的な歴史と社会の刻印から自由であることを意味しない。それどころか、諸理論には、それをうみ出した社会と時代の刻印が、しっかりきざみこまれている。たとえばバーンステインの一連の言語社会学的な研究は、イギリスの社会構造と切り離して考えられることはできないし、ジェンクスの「不平等」をめぐる研究も、「ディスタンクシオン」に代表されるブルデューの諸理論も同様である。

これは汎用性がある観察です。試しに、書き換えてみましょうか。

> いうまでもなく、社会学も、その一部門として発達してきた教育社会学社会福祉学も、「近代」という時代、「産業社会」という社会を対象に成立し、発展してきた学問である。その限りで理論や方法に国境はない。デュルケームがいったように、社会学は基本的に比較社会学である。だがそのことは、とくに現実の「教育社会福祉」を問題として、説明することをめざしてきた教育社会学社会福祉学の諸理論が、具体的な歴史と社会の刻印から自由であることを意味しない。それどころか、諸理論には、それをうみ出した社会と時代の刻印が、しっかりきざみこまれている。たとえばバーンステインT.H.マーシャルの一連の言語社会学的なシチズンシップに関する研究は、イギリスの社会構造とその発展から切り離して考えられることはできないし、ジェンクスティトマスの「不平等社会政策」をめぐる研究も、「ディスタンクシオン社会福祉三つのモデル」に代表されるブルデューピンカーの諸理論も同様である。

どうですか。思い当たるところ、ありませんか。

ただ、前エントリでも書きましたけれども、教育社会学の一部にはしっかりした考証に根付いた教育史の伝統をよい意味で受け継いでいるところがあります。今の教育社会学にそれほどの力があるかどうか、しっかり伝統を受け継いでいるかどうかは、何れ歴史の語るところでしょうけれども、少なくとも80年代から90年代にかけて教育社会学の歴史部門の主な人たちが教育史に殴り込んで、本気で覇権を握ろうとしたら、教育史側から見て庇を貸して母屋を乗っ取る事態になったかもしれません。実際には、引用した竹内論文に見られるように、健全な良識を持った人たちはお互いから学ぼうという生産的な態度であったわけですが。

これに対して社会福祉ないし社会事業の分野では、吉田久一先生がゼロからスタートさせました。吉田先生の前には乙竹岩蔵も海後宗臣も石川謙もいなかった。また、海外と比較したときに、マーシャルやティトマス、ピンカーと比べたときでさえ、非常に不利な条件からスタートしたといわざるを得ない。これはとても辛いことですよ。池田敬正先生の本も同じようなことを感じます。

ところで、『日本のメリトクラシー』をこういう文脈を踏まえて振り返ってみると、あの前半の門外漢にはなんだか意味が分からない第一部の意味も見えてくるというものです。海外の理論を摂取するという教育社会学の伝統を踏まえた上で、自分なりの道具立てを揃え、それを使って歴史的事実を解析していくという、一つの答えだったんだ、と思いました。要するに、ここで掲げられた問題に対する一つの解答になっている。ちょうどメリトクラシーが出たのが1995年7月で、この論文は10月ですから。

ちなみに、大学研究者の履歴書はメチャクチャいい企画です。さすが広島大学!

なんか書くべきことをいっぱい落としている気がしますが、とりあえず、今回のシリーズはここまで。
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