新しくカテゴリーを作りました。ちゃんとしたエントリにするのは面倒だけど、とりあえず、読んだという備忘録がわりに書いておきます。基本的には読まれることを前提に書くつもりです。

ちょっと古い本だけど、よい本だと思いました。私の中の最初の苅谷体験(?)は学部のときに読んだ『知的複眼思考法』でした。正直、なんでこんなつまらないことが書いてあるんだと訝しがった記憶があります。広い視野で物事を見る重要性が説かれていたような気がするんですが、どうも具体例を読むと、視野が広いという感じがしなかったのが理由です。二度目の苅谷体験は例の『学校・職安と労働市場』。これは研究としてはよい研究ですが、書いてある内容は面白くなかったです。

三度目の体験は、私は実はサントリー文化財団でフェローをしていたことがあるのですが、そのときに研究会の書記の仕事をやって、生で苅谷先生が議論している姿を見ました。一癖も二癖もある知識人たちの間で、苅谷先生の立ち位置は絶妙でした。他の方は自分が喋りたいことを喋るんですが、苅谷先生は他の方の意見を丁寧に学びながら、少しずつ次の方向に進むように誘導されていました。その裁き方は見事でした。かつて絶大な人気を誇っていたというのもすごくよく分かりました。

この本を読みながら、そういう私の原体験(?)をもう一度味わいました。いや、そんな大げさな言い方しなくてもいいんですが、苅谷先生のもっとも素晴らしい中庸を行くバランス感覚がいかんなく発揮されます。ただ、私の個人的な好みで言うと、優等生過ぎて面白くない。破綻しそうなところがあまりにもないのです。いっぺん、本当かなと考え込ませられたり、自分の今までの常識が覆されるのではないか、というような衝撃を受けることはまずありません。ですが、安心して学生に勧められる本だと思います。特に、教育社会学じゃなくて、その隣接分野である社会政策・社会福祉の初学者はこの本から学ぶべき視点がかなりたくさんあります。軽く読めて栄養価満点であり、強くお勧めします。

この本が対談であることも面白いですね。相手の増田さんという方は私は存じ上げませんが、とても勉強家だなあと感じました。結果的には、格好のパートナーになったと思います。昔、知り合ったフィンランド人の院生がフィンランドは大学が少ないから外国に行くんだと語ってくれたのを思い出します。彼はこの本の対談の一つの舞台であるオクスフォード大の学生でした。本書のなかにも外国語の問題が日本とフィンランドを比較して書いてありますが、日本は閉じた一国で良くも悪くも教育が完結できているんですね。そうでない国では本当に外国語が大事になる。よく言われることですが、ヨーロッパの言葉は近いですしね。

教育関連の本としてももちろん面白かったです。苅谷先生はポストモダン社会みたいな、手垢にまみれた言葉を確信犯的に使われますね。なんだか分からないけど、とりあえず名前をつけておく、という感じでしょうか。ジャーナリスティックですが、そういうことをする効用って高いですよね。

個人的な勘としては、日本の近代教育の歴史については、師範学校を潰したことと、教育大が筑波大に改編するときにどうしてあれだけ反対した人たちがいたのか?そのあたりのことを総括する必要があると思います。特に、職業教育が大事だというならば、この問題は本来、避けて通れないんじゃないでしょうか。本の最後の方でフィンランドの教師育成が紹介されていたので、なおさら強くこの問題の重要性を痛感しました。

何れにせよ総合的に見て、この本は買いです。私は『知的複眼思考法』よりもこちらを推します。

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)
(2006/11/17)
苅谷 剛彦増田 ユリヤ

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