というわけで、原稿をあげていないので、禁欲的にブログを更新していなかったんですが、日曜日は新しい研究会に出て来たので、備忘録代わりに書いときます。

きっかけは森直人さんが研究課題を公募していたのに応募して、なんと参加を許されたのです。プロジェクトは廣田照幸御大将のもと、規範理論、社会理論(現代社会)、歴史という三つのグループに分かれて、共同研究をやるということになっております。私は当然、森直人麾下の歴史班に所属しているのですが、いろいろと議論した感じで、思ったよりも成果が上がりそうかも(?)という期待だけは持って帰ってきました。私のテーマは高校全入時代以前の企業における教育の展開で、企業内の教育はみんな訓練だと思われているけれども、実は企業内教育は外部のその時代ごとの学校教育の影響を強く受けていて、おそらく、そこには訓練という側面だけではなく、学校(高校)に行けなかった優秀な中卒工員への福利厚生的な意味があった。だからこそ、そこを掘り下げていくことで、学校を中心とした教育システムの意義を捉え返すことが出来るのではないか、というものです。もともと教育や訓練は、福利厚生施設の一部として歴史的に扱われていたんですね。その意味をビビットに描けるかもしれない。もちろん、このテーマが私の博論のコアの一部と結びついているのは言うまでもありません。教育に熱心だった企業といえば、紡績の女子教育で、組合も会社もしっかりしているので、とてもよい対象のような気もしますが、男でやった方がいい気もします。特に1950年代に熱心にやったのは八幡で、それはその必然性があったからですが、私の印象では八幡は日本を代表する企業ではあっても、事例の代表性を保証してくれないような気がするので、鉄鋼なら少なくとも鉄鋼何社かを比較する必要があるでしょう。具体的な対象はそのうち考えることにしましょう。

この研究会で稲葉さんと初めてお会いしました。何というか観察眼の適切さ、そのあたりはさすがでしたが、傍観者としてやって来て、私との話だけで言えば、とりあえず、聞きたいことだけはちゃんと聞いて帰っていったという印象でした(笑)。

研究会へのメモを書いて来いとのことだったので、もともとの報告書に歴史的文脈から切り離された理論摂取の問題が指摘しているにもかかわらず、理論班と実証班(歴史ですが)を切り離して、それを最後にマージするだけでその課題が克服できるのかという疑問を出しました。実は私が廣田先生から発言を求められた時点では既に、各班の相互交流が必要だからいろんなところに顔を出せるように考慮して欲しいという意見があったので、私もそれを聞いてもう十分だな、と思ったのです。ただ、意見を促されたので、割と正直に余計なことを喋っちゃいました。すなわち、教育社会学の歴史部門は元々、そんなものがなくても研究として成立するのに、わざわざ外人の名前が引用されているが、その理由はよく分からない。(今回)最悪のケースは、昔1970年代までデュルケーム、その後、ブルデュー、バーンスタインが30年くらい利用されて、そろそろ賞味期限が切れるので、(理論班が)外国に行って次のネタを探してきて、それを(耳学問した)歴史家が使うという破廉恥なことが起こり得るのではないかと思っていたけれども、ここに来たら、予想を完全に裏切られて歴史部門の人はまともだったので、これならばいい研究が出来そうだと思っている。現実的には先ほど出た相互交流ということがあり得べき方法だろう、と申し上げました。主観的には現状を全肯定しているので、あの場の誰も批判していないんですが、妙な反撥を受けました。妙な、というのは、時間が経って考えてみると、なんであんなに反応したんだろうというのがますます謎だからです。内容以前に。

まぁ、そういう極めてどうでもいい話はおいておいて、今後、歴史班が森班長のもとどう展開していくかとても楽しみです。新しい仲間のことも紹介したいところですが、許可を取っていないので、それは今後の楽しみにしておきましょう。
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