前のエントリで私が書いた、
わずか10年ちょっとの間で忘れ去られたということでしょうか。しかし、こういうことを踏まえないで議論するというのは、意図してやっているならば、伝統的左派運動への裏切りであり、意図せずにやっているならば、深刻な学力低下と言わざるを得ません。

を森さんが拾ってくれました(ねじれの補足)。しかし、適当に書いただけなのに、そんなに実証的に(?)リアルに語られるくらい当っているらしいとは驚きです(苦笑)。私が揶揄したのは、むしろ前者です。後者は論理の必然からそうなるというだけに過ぎませんでした。というか、森さん、通り一本、渡ってくればよかったのに。その頃の労働はおそらく近年では(といってももう随分前ですが)、議論するにはかなりのタレントが揃っていたと思います。残念。埼玉の禹さんとか、福島の熊沢さんとか、信州の井上さんとか、岩手の藤原さんとか、一橋の猪飼さんとか。本当はもうちょっといらっしゃるんですが、以上は学会で大体、お会いするメンバーで、多分、書いても怒られない方々です。
だからこそ,この共同研究だということです。教育研究と労働研究とでは,この間の知的な「断層」と呼ばれるものの深甚さには大きな違いがあるかもしれないとは思うのですが,教育研究における“議論の足場の再構築”に関与していただくことは,おそらく労働研究にとっても無駄ではなかろう,と。

労働部門にポストモダンの波がやってこなかったのは、これも人物で説明できます(笑)。熊沢誠先生という大スターがいらしたからです。別にカタカナが混じった厚い本を読まなくとも、みんな、お話を聞きたい欲求を解消できたわけですね。あとはちょっと人気は落ちますが、栗田先生の『日本の労働社会』でしょうか。マニアは石田光男先生の『賃金の社会科学』と『仕事の社会科学』も好きかもしれません。かつて日本の文学青年には左翼が多く、右の人よりも柔らかい読みやすい文章を書いた(そのもう片方で中西先生のような、お世辞にも読みやすいとは言えない文章をお書きになる方がいらした)。というか、ある時期までの日本の近代文学の主要な部分をプロレタリア文学が支えたという事情もあるので、そのあたりの特殊事情が大きいんじゃないでしょうか。何しろ読み口はいいし、分かった気分に浸れます。ただ同じ左といっても、熊沢さんは相当に厳しい批判の矢面に立ってきました。それはかつてタレントが豊富であった時代の左派的労働研究者の健全さであったかもしれません(あれ、これやばいかな)。現在、左系にめぼしい人がいないのは労働も同じじゃないでしょうか。中西先生や二村先生のように、その立場を肯定するか否かは問わず、とにかく勉強してみたいと思わせるアトラクティブな人は私の知る限りではいません。

それはともかく、理論科研のあまりの壮大さに驚きました。ただし、断層はあくまで左派の人たちの内輪の問題であって、だからこそ、私は左派運動これでいいの?と揶揄したわけですが、それは全体の中の部分なので、おそらく理論科研はそんな狭いレベルではダメだと考えています。ちなみに、気を遣っていただいて恐縮なんですが、この研究全体が労働研究に資するかどうかなど、きわめてどうでもいい問題です。と、書くと、じゃ、なんで参加してるんだろう?と思われるでしょう。それは秘密です(笑)。

たぶん,「森戸辰男」に注目する視点と,「杉原誠四郎」さんへのこの評価というのは同根ですね(←決めつけ)。

多分、森さん、段々、眠くなってきたんだと思いますが(笑)、主観的にはこの二つは別です。森戸さんに注目するのは、かつて戦時統制の資料を読んでいたときに培った「政策研究は結局、人で決まっている」という勘が経験上ありまして、多分、25年近くも中枢にいた人はきっと大事だろう、と。それだけの理由です。杉原さんについて注目しなければならないと思うのは法に対する洞察で、おそらくこれが「人格」に注目する観点と重なっています。私の過去エントリでいえば吉田耕太郎論文メモです。そういう意味では、杉原さんは実際に政策形成に影響を与えた登場人物の発言などを追っていますが、私はそれ以上のもの、まさに規範理論に関わる領域についても彼の著作に期待しています。そして、その観点は「個人」よりもそれを超える領域=秩序を捉えています。杉原さんについてはもう少し勉強した時点で書きます。おそらく、それが田中先生が書かれている「非教育」の論理の問題提起に対する答えにもなってくるんだろうと思います。ただ、自然法やコモンローの考え方は絶望的に人に分かってもらうのが難しいんですよね。
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