というべきかどうか分からないけど、一応、書いておきます。忘れないように。

日本の生活指導の源流は報徳思想にあります。有名な二宮尊徳です。ですが、普及させたのは本人ではなく、岡田一家です。彼らは日本の青年団を作った源流と言ってもいい。

研究史的には宮地正人先生の『日露戦後政治史の研究』なのはこの時代の歴史を勉強したものには常識でしょう。ここでは地方改良運動にも焦点が当っているんですね。そして、これが青年団→新体制→産業報国会の系譜に流れていく。そのことを批判的に捉えている傾向があります。でも、これを上回るものってあんまりないんです。偉大な先行研究が出ちゃうと、後続は挑みにくいです、たしかに。ただ、教育史の中でも、おそらくこの青年団の運動は注目する必要がありますし、左派的な解釈の中では宮地先生と共通する問題意識を持っていた方は少なくないはずです。そして、それはかなりの程度、当っている、と私は思います。

最近の研究者でここらあたりを掘り下げているのが木下順さんです(本当は先生と呼ぶべきかもしれませんが、なんとなく近い関係なので「さん」づけで)。木下さんとは何年か前にサシで飲みながら、このあたりのことを議論したことがあるんですが、実は私は今でも木下さんの考えているところがよく分からないんです。井上友一に注目されたり、神社局に注目されたり、田沢義鋪に注目されたり、その着眼には私も勉強させてもらってきたし、その意味で学恩もあるわけですが、肝心のところの解釈がなぜか分かり合えてない感じなんですね。でも、聞いたとき、あるいは(書かれたものを)読んだときはバラバラだと思っていたことが後で繋がっていることに気付く、そんな経験もよくあるので、私にとっては謎の研究者です。そう考えていくと、この前の大原の論文は何か枠組みを作ろうと苦心されているのかもしれないけれど、かえって既存の研究に縛られて、木下さん独自の発想の面白さが出てない印象でした。

それはともかく地方改良運動ですね。地方改良運動は地方改革だったんですが、お金がなかったせいもあって、結局キャンペーンになってしまったところがある。そこで初期に影響を与えたのが報徳運動なんですね。これは内務省の中枢に一木喜徳郎がいたからです。一木は東大を出て留学して法科大学の教授もやりますが、初等教育は父親の私塾なんですね。もちろん、二宮の影響を受けている。後に井上が地方改良運動の中心になっていきますが、一木の方が年次が上なので方針はこちらが優先。事実、井上もかなり報徳運動に関わっています。地方改良運動が報徳運動と離れていくのは大正半ばと研究史上では言われています。機関紙の『斯民』を読むとそのことがよく分かる。

この内務省の動きに文部省も呼応するわけです。私は最初、浅はかにも当時の文部省が三流官庁だからそうなのかと思っていましたが、さにあらず(ちなみに、自他共に認める一流は内務省だけでした)。文部省には岡田良平がいたわけです。すなわち、一木の兄です。彼もやはり父親の私塾で教育を受けている。岡田兄弟は非常に出世して、両方ともに文部大臣をやっている。特に、岡田文部大臣の第二期は青年団との絡みでいろいろ重要な感じがするので、調べる必要があると考えてます。

青年団は田沢系と報徳系では大分違いそうです。ちなみに、田沢は協調会でも枢要な地位を一時期占めており、当時は右派と見做されていましたが、最後まで軍部に反対し、大政翼賛会にも入っていません。あまり言われないことですが、総同盟や大日本国防婦人会なんかもそうで、新体制に最後まで反対したのは(社民)右派なんですね。そこは左派評価に微妙に捩れがあるかもしれません。

ここから教育内容と結びつくはず…なんですが、なんか眠くなってきたのでやめにします。すみません。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック