と書いても、何を記録していいか分からず。飲み会は面白かったが、研究会はあんまり面白くなかったような気がする。気がするというのは、4割くらいしか聞いていなかったからだ。というわけで、これは完全に私の備忘録&感想記であって、研究会の記録にはならない。午前中の現代社会班の議論はわざわざ教育プロパーのところで聞きたい話でもなかったので適当にスルーして、午後のために温存していた。

午後から広田・武石論文を読んで討論なのだが、議論が余りにもつまらなかったので、途中寝てしまった。というわけで、森さんと違い一日の半分くらいは寝ていたので、体力的には大丈夫。ただ、自分で発言するところだけは発言したので、一応の任は果たした(というのは勝手な理屈だが)。なお、広田論文というのはこれのこと。

広田先生の分析視角は労働の人間からすると、常識に属する話だ。実際の政策決定過程に寄与したプレイヤーとその背後にある彼らが持つイデオロギーについてうまく絵を描こうという話である。この論文については森さんのまとめが面白いインプリケーションを持っていて、こういう研究が出ることで運動や実践が政策として実現していかないのは決してその理念が間違っていたからではなく、別のロジックが働いていると理解でき、自分達は間違っていたと卑下せずに自信を持てる、ということらしい。自分を卑下せず自信を持つのは結構なことだが、ヤレヤレという気分がないでもない。

私はこの論文を読んだとき、政策を実現させるために誰のところをノックすればいいのか、分かりやすくするための見取り図なのかと思ったので、そう聞いてみたところ、そういうことではないらしい。後半になって、真面目に研究者モードで確認したのは、イデオロギーというのにもいくらかの層があって、現実は非常に下らないレベルで動いていく、たとえば、学力低下論争はどうなるのか、という疑問を出した。広田先生は学力低下論争自体は政策にインパクトを与えていない所以を具体的に説明してくださったが、私の方からも一応、そこから方法として、学力低下論争もいろんなレベルで受け取られ、現実は往々にして単純な二項対立くらいで理解されるのが大勢で、その大勢が世論を動かし、あるいは、その世論を利用して別の政策を通す道具として使うということが考えられる、ということを申し上げた。世間一般で華々しく議論されていることと、舞台裏で進んでいる事態の関係を捉えるのは、門外漢ないし一般の読者をターゲットにするときには必要だろう。ただ、広田先生は全体的に具体的なレベルで議論して欲しいという希望を持っていたそうである。が、それは無理だろう。知っている事実量が豊富でなければ、そういう議論は展開できない。それは最初から私には無理だった。

午後の後半からは例のコンクリート本。私の批判点は前エントリに尽きてる。それにしても稲葉さんはよほど腹に据えかねたらしい。私はそうではなく通産官僚の劣化が激しいと感じた。スズカンは情報通信産業政策に携わってきたのだが、護送船団方式からの脱却などと平気で言う。かつての電子計算機産業をテイクオフしたときの立役者、平松守彦と比べて何と言うビジョンのなさだろう。とは思うが、経済政策、産業政策はとりあえず、関係ないのでいいや。私はわりと広田先生が言うようにスズカンあなどり難しと思った。だから、前エントリを読んでいただければ分かると思うが、内在的に読み込んで、批判したつもりである。

すみません、ここまで月曜日に書きかけていたんですが、もう、何があったか忘れちゃったので、このままあげておきます。漸次、どなたかフォローしてください。飲み会に若者に発言せよ、と説教したことだけは覚えてますが・・・。読んでたら、ぜひ、次からは発言するように(笑)。

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