福祉国家と戦争が近しい関係にあることはよく知られている。もともと、福祉国家(Welfare State)は戦争国家(Warfare State)に対応して作られた言葉であった。日本でも大河内先生もまた、当時、戦争によって福祉(という言葉が当時使われていたかどうかは未確認だが)政策が減退していくという大方の懸念を逆手にとって、戦時体制下でこそ社会政策が発展するのだ、と切り返したのである。

ティトマスのProblems of Social Policyを読んでいる。それにしてもインターネット時代は便利なものだ。ティトマスの声価を決定的なものにした、戦時社会政策の報告書が居ながらにして読めるなんて。しかし、正直言って、英語力のなさもそうだが、イギリス史の基礎知識が全然ないので、あまり理解できない気がする。

まだ、第一部までしか読んでいないが(しかも斜め読み)、イギリスと日本の体制が随分、違うものだということは分かってきた。まず、第一に、よく指摘されていることだが、第一次大戦の経験の有無だろう。つまり、イギリスは既にロンドン空襲を受けており、そのデータをもとに、規模・傷痍者数(病床数)・必要な疎開者を予測し、モラールの崩壊にどう対応すべきかというようなことを考えていた。日本にはこのようなことがなかった。

第二に、日本の場合、内務省の外局であった社会局が、厚生省になっている。これをもって社会事業史では社会事業から厚生事業への転換と呼んでいる。このようなことはイギリスにはない。イギリスでは内務省(Home Office)、保健省(Ministry of Health)、労働省、国防省といった既存の関係省庁が対応している。ただし、イギリスも保健省や労働省が出来たのは第一次大戦以後である。日本では同時代的には、社会局を作るのが精一杯だった。当時からイギリスに倣って、労働省や保健省を作るべきだというような意見はあったが、日本の場合、労働省のみならず、労働局を作ることさえ不可能だった。これは和田豊治の見通しである。和田は社会局の設置を財界に認めさせるように奔走した人物である。ちなみに、イギリスの労働省の設立については、松永友有「第一次世界大戦期イギリスにおける労働省の創立と商務院の再編」という論文がWEB上で読める。私にはこの論文を評価できるような能力はないが、パブリック・レコード・オフィスの一次史料を使った手堅い研究のようだ。他の論文が読めないのが、とても残念である。

厚生省の成り立ちと関係するのは、日本の場合、いわゆる健民健兵政策が思想的には優生思想をバックグラウンドに前面に出ていたことだ。社会事業史研究において、社会事業から厚生事業への転換といわれているこの時代は、たしかに、日本の社会政策のターニングポイントになったように思う。もちろん、諸制度はアメリカの占領下で変わるのだが、しかし、その前にこの時代を抑えておくことが重要そうだと考えている。ただし、厚生省の管轄は厚生行政だけではなく、労働行政も含まれていた(労働省の独立は1948年)。

労働行政には労務統制と賃金統制の二つがあった。多くの人が指摘しているように、大河内先生は人的資源政策ともいうべき労働行政を背景に、ご自身の社会政策論を構築されたと思う。労働力保全政策は健民健兵政策とも親和的であり、広い意味での戦時社会政策ともマッチする。玉井先生は労資(使?)関係を経済学のカテゴライズに使われたそうだが、物価統制の一環であった賃金統制の方がより経済学的な主題と合いそうな気がする。というのも、昔から労使関係を重視している人たちもいたし、私もその立場に与しているのだが、経済学は大方の人にとって市場での取引きを扱う学問であり、したがって、労働市場の方をイメージさせるのではないかとも同時に思う(もちろん、労使関係がそこにコミットすることもあるが、その行為は労働市場の一部であり、同時に労使関係のある部分でしかない)。

ちょっと気になったのが、ティトマスは将来の政策、要するに、予防的側面をさりげなく強調しているのだが、これはビヴァリッジ報告の影響だろうか?そんなに大きな問題ではないけれど興味深い。
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