てか、書いていいかどうかわからないのだが。

田中萬年先生が木下さんの養成工制度の話を取り上げられている。実は養成工制度は研究史的にいえば、兵藤先生の『日本における労資関係の展開』で直接管理が達成された実証的な唯一の証拠として重視されてきた。だが、一般には、そんなエントリレベルの話だけで、全キャリアにかかわる話を語っちゃっていいの?という突っ込みは誰もが入れたいところであろう。実際、兵藤先生も入口で、後はOJTという位置づけだそうだ(木下さんの話では)。それに対して木下さんはもっと養成工そのものを正面から取り上げるべきだとおっしゃるのだ。しかし、養成工が重要であることは、労働問題を覗いたことがあるものにとってはいわば常識でしょう?と申し上げたのだが、木下さんはだからこそ、もっとそれだけで研究すべきだという立場のようだ。そう言われるとそんな気もする。

が、一応、誤解のないように言っておくと、一般的には日露戦後にすでに養成工制度は大工場では出来ていたのであって、労務者講習会はあくまで後追いである。この点は常識である。もちろん、木下さんご自身もこの点はご存知であって、何も労務者講習会が嚆矢と考えているわけではない。にもかかわらず、この時期の労務者講習会が重要であったという説は一考に値する。特に、地方改良+感化救済事業の流れとの関係は重要だ。この点は田中先生が指摘されたとおり、社会教育である。大正期は不思議な時代で、いわゆるデューイらの新教育運動もこの時期に起こる。この後の時期になると教育の中で思想善導が言われるようになるのだが、1920年の時点ではそんなに深刻ではない。要するに思想善導とは左傾化防止だが、まだそんなに左翼が影響力を持っていなかった。木下さんはもう大河内さんの走り書きに惚れこんでいるのだが、そんなに熟慮を重ねた理論でも何でもないただの思いつきなので、そんなに大仰に付き合う必要はないと私は思う(私と同じ意見の人も別にいるが)。

ちなみに、アメリカにもこうした感化教育の伝統はあるが、その対象は基本的に移民という話だ。だから、アメリカナイゼーションであって、ある企業とかそういう話とは違う(と一般的に言われる)。でも、本質的には同じだろう。日本でも紡績のように全国から人を集めてきたところはそういう観点からの施策が行われていた。アメリカの話に関心のある人は、もちろん、会社荘園制をどうぞ。

どうでもいいが、私は現代日本の教育は大正6年の臨教審から始まると思っている。戦後の教育改革は学制以来の大改革といわれ、第二の教育改革といわれたが、その前の臨教審から重要だろう。ときの文部大臣は岡田良平。この時代は本当によく分からない面白い時代である。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック