先週の土曜日以降、毎日、なんだかいろんな人に会って、いろんな話を聞いた気がする。その中で一番重要なのが最初の土曜日の原稿締め切りの約束だが、来週から二週間で必ず仕上げる(宣言)。ということで、その間は微妙に教育系の頭でなくなるかもしれない。一番、おもしろかったのは、某所で聞いた就職指導論。本当は名前を出してもいいような内容だが(宣伝になるので)、許可をもらわなかったので、あえて伏せておこう。ちなみに、私のブログではキャリア・センターも就職課もみんな就職部という名前で統一する。面倒なので。

聞いた話の中で重要だと思ったのは、とりあえず就職部に相談に来てみろということである。というか、学生にとってはそれに尽きる。就職活動において一番重要なマッチングは労働市場の需給であることは間違いないが、個々のケースに降りていくと、もうちょっと細かい対人関係的なマッチングがある。それは実は、経験のある人から少しアドバイスされることで身に付いたりするものらしい。だからこそ、就職部に相談に行くとよいのだ。

一般論でいえば、就職部にはたくさんの相談が寄せられ、相談員はそれに対応している。つまりはたくさんのケースを見て、その分の経験と技能を蓄積しているのである。このことは軽視できない。相談についていろいろ話を聞いていくと、カウンセリング的な内容が主であるようだ。それならば、実践を積み重ねるに如くはない。

キャリア・カウンセリングにはいろんな流派があるが、その固有の技能を誇ることができるとしたら、カウンセリングの技能の上に、キャリアの知識を乗っけることだろう。カウンセリングの技能を獲得するためには、大体、どこの流派であろうと自分と向き合うことを強いられる。やや遠回りしなくてはならない。逆に言うと、そういう積み重ねがなければ、経験者のアドバイスの方がよほど有効ではないかともいえる。

今、大学の就職部には旧来の生え抜き職員だけでなく、企業の経験者を取り入れている場合があるようである。当然の戦略である。もちろん、企業に勤めればそれだけでオールマイティではないことは誰でもよく知っているし、それどころか私の経験によれば、子どもよりも大人の方が非常識である人が多い。ただ、大人になって非常識な人はキャラの立ち方が子どもとは比較にならないレベルにまで高まっているので、もはや大人という単純なカテゴリーが立たず、個人名で認識され、したがって例外扱いを受けるのである。そして、そこまで突き抜ける才能は稀有である。研究の世界ではそういうことが比較的容認されやすいが、しかし、実際はみんな迷惑していることも少なくなく、やはりババ扱いである。そういう意味では程度は違っても、普通の世界と変わらない。

なんの話してたんだっけ。

そうそう、普通に企業で何年か経験を積んで、学生のことを思いやる気持ちがあり、相談の経験を多い人に相談に行かない手はない。いや、本気で大学に行くメリットの一つはこうしたカウンセリングを受けられることをあげてもいいと思う。技能形成論を勉強してきた私は、学校で職業的レリバンスのある教育を与えられるなど、非常に限定的でしかあり得ないと思っている。その一番の理由は、学校システム(小学校から大学院まで)の中に教員に一般企業でのOJTを受ける機会がないからである。したがって、そんな技能は身に付かない。これは高校までも同じである。にもかかわらず、景気が悪くなるまで高校の進路指導(職業指導)が機能していたのはなぜだろうか。理詰めで考えれば、企業のニーズと学生のマッチングの機能のみを担っていたからである。少なくとも、マッチングを実現させるための技能は進路指導をやるなかでOJTで身につけることができる。

高校と大学の違いは学科指導と進路指導が分業化しているか否かである。分業していないことのメリットもあるが、分業していることのメリットもある。一番、大きいのは単純にいえば、業務量の分割である。業務量が多くなれば、よいサービスはできない。これに尽きるのである。二番目は、専門的スキルの蓄積。これさえも一番と密接に結びついている。官僚化のような議論ではなく、単純にカバーする領域が少なければ、それに専念して勉強できるというだけに過ぎない。

長くなったので続く?かもしれない。
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