森班長がMLで私の問いかけにお答えしてくださいました。厳密に言うと、メーリングリストも含めたメールの内容に言及するのはよくないのですが、私はぜひ多くの人に共有してもらいたいし、一応、何でも勝手にやってくださいと前にコメントいただいてますから、出来る限り継続してここで書きたいと思います。

まず、誤解のないように書いておきますと、私は何も講座を全部読もうなどということは提案していません。ただし、戦後教育史を書き換えるという広田先生のリクエストにもし応える気があるとするならば、最終的にはあくまで大田堯編のあの本ではなく、例の講座と対峙すべきだろうとは思います。たぶん、デフォルトの知識としても必要なことがたくさんあるような気がしますし。ただ、『講座戦後日本の教育改革』などは部分的に読むというのでも全然、ありだと思います。たとえば、第1巻をとりあえず読むとかね。この理論科研とは関係なく、日本教育史を勉強するためには海後宗臣著の第1部の第1章の捉え方は必読だと思いますよ。

それはともかく、とりあえず、一冊の本を読んで、見通しをつけるという戦略はありです。そして、その一冊として『戦後日本教育史』を読むというのは一つの選択です。ただ、そのあとに堀尾輝久『現代教育の思想と構造』を読むという目論見があるならば、順番は入れ替えた方がいい。『戦後日本教育史』は複層的な本だからです。じゃあ、まずは『現代教育の思想と構造』をとりあえず読めばいいのかというと、それじゃあまり深まらないでしょう。やっぱり、差し当たり学説史的にどう位置づけるのか、当時の歴史的な意義と限界をどう考えるのかという二つの点から接近するならば、一冊だけでは不足だと思います。

まず、デフォルトとして、堀尾自身が戦後教育学の総括をする上で、自分が第三世代であり、先行する世代の諸研究との関係をしっかり総括する必要があると述べていることは拳拳服膺すべきでしょう(「私の仕事」)。それから、この課題にこたえるためにも、勝田と堀尾の違いを論じている黒崎勲の論考も参照すべきだと思います。具体的には『教育学としての教育行政=制度研究』の第1部です(第2部の第1章も加えてもいいかもしれません)。その後は、ここから勝田守一や上原専禄、あるいは兼子仁や宗像誠也に展開していくのもありですし、個人的には「教育の機会均等」をめぐって今、熱い佐々木輝雄の議論や杉原誠四郎の教育基本法関連の研究も検討すべきだとは思います。しかも、杉原さんの場合、法学的な本や宗教教育もあり、実はこれらの論点はすべて堀尾の議論と比較しながら考えることの出来る論点です。

ちなみに、私はあえて「先行研究」として扱うと言わず「学説史研究」と書きました。「先行研究」として読むというには複層的な意味があると思いますが、もう一つだけあげるとすれば、方法でしょう。私は堀尾の本を読み始めてすぐにアリエスとフーコーを連想しました。偶々ですが、先ほどあげた堀尾先生の回想に二人の名前が出ており、1960年時点ではすでにアリエスを読んでいて影響を受けたことが書いてありました。フーコーについては『監獄の誕生』で有名になったパノプティコンの話を堀尾先生が先に書いていた点、それからフーコーの歴史観が間違っていると指摘されています。フーコーの歴史観が間違っているというのは私もありそうな話だと思いますが、では堀尾先生が正しいのかというと、それはそれで疑っています。そして、その疑いは二人の方法の共通性に向いているのです。疑いと書いたの検証能力がないからです。

堀尾先生は勝田守一の弟子でもあるのですが、それ以前に丸山真男の弟子でもあります。丸山、堀尾、フーコーに共通するもの。一言でいえば、解き明かしたい現在の事象のルーツ探しです。カーがいうように、歴史とは現代との対話であるという側面があることは私も否定しません。ですが、資料そのものではなく、資料の中に(自分が見たい)現在だけを読み込んでしまうのは危険です。というか、私の友人は資料を考えて読んではだめで、キーワードを見つけてしまうと、それだけを検索して資料を読んで他の事が入ってこなくなると言っていました。そこまでは極端だとしても、大雑把にいうと、思想史研究であっても公刊されている読みやすいものだけを取り上げるのではなく、雑誌、書簡、日記等を使った手堅い考証(いわゆる実証研究)をベースにした研究もできます。そして、その結果、現在との連続性を検証するのもいいでしょう。学問的に厳密さを求めていくとしたら、本当は方法的には丸山真男の議論を考証というレベルから批判している人たちの議論も参考になるかもしれません。我々としては堀尾の議論が福祉国家を始めとする近代の国家論にも及んでいる以上、西洋法制史の基礎的知識はデフォルトで必要ですし、希望としては木村周市朗らの一橋グループの議論も踏まえておいて欲しいです。ちょっときついかなと思わないでもないですが、教育と福祉の関係を考えたいとおっしゃっていた方も多かったので、それをやりたかったら仕方ないかな。もちろん、佐々木輝雄第1巻と比較して読むというのも一つの方法です(次回以降)。

もうひとつ、実は共通点があります。それは思想に内在する実践理論としての性格です。ま、でもそこまで掘り下げなくていいでしょう。ちなみに、堀尾の議論は1960年代までは有効だったが、1970年代以降の新しい動きには対応できないという批判は、ほとんど彼の研究を何も理解していないと思われますので、無視してよろしいかと思います。

結論、堀尾『現代教育の思想と構造』、堀尾回顧論文、黒崎『教育学としての教育行政=研究』第1部。
余裕があれば 『概説西洋法制史』

乾さんは彼自身のオリジナルな話があまりないので、読まなくていいと考えています。むしろ、一元的能力主義の話もおそらくアイディアは堀尾の公教育の一元化論にその源があるので、そこを外さなければ、というか、その点で佐々木先生の研究と比較できれば、そちらの方が有意義だと思います。

それよりも寺崎先生を取り上げる必要があるんじゃないでしょうか。ご存じのとおり、寺崎先生は天野、潮木ら教育社会学の大御所たちとも一緒に研究されてきたので、ぜひ高等教育関係の方からそのあたりの文献の提案をお任せしたいところです。1993年の大学史研究の天野コメント(読んでないですが)とかはやっぱりおさえておくポイントでしょうか。その一方で、高等教育以外の海後先生関係のお仕事の方もおそらく重要です。『戦後日本教育史』の教育改革まわりを書いているのも寺崎先生です。

論点はそのうちに書くかもしれません。というか、素人が書いているので、間違いがあったらどんどん指摘してください。お願いします。
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