この前の「刑務官の待遇改善のための労使関係論」を書いたら、濱口先生が取り上げてくださり、そこで黒川さんがコメントをくださったのですが、忙しかったのでそのままになっていました。いまさら、古い記事にコメントするのもどうかと思ったので、こちらで取り上げます。

多分、消防士のくだりを読んでいると、私が労働三権を上から与えたって意味がないという趣旨のことを書いて、団結への意識の低さを指摘したことが気に障られたのかもしれません。杞憂だったらいいんですが、もしそうだったら、この点については最初に謝ります。申し訳ありません。

ただ、全体としては黒川さんの意見にはガッカリです。おそらく根本的に私と何かを考える姿勢が違うと思うのですが、理論的に考えるのと、現実を変えるために策を練るのは全く違うという点を意識なさっていない。現実に策を練る場合にもっとも大事なことは、ボトルネックがどこかを見極めて、それを打破するにはどうすべきか、という点に絞って問題を考えていくという姿勢です。黒川さんの意見には現実を変えようという意識はまったくなく私の意見が現実にはまったく役に立たないだろうと述べるに留まっています。具体的に申し上げれば「公務員人件費を削減しろ抑制しろ、増税はまかりならんという政治的制約」がボトルネックだとお考えなら、だから、お前の意見はおとぎ話だというのではなくて、自分でそれを打破する策を考えて見てください、ということなのです。そういうのがないと本当に不毛なんですよ。

もし、私が本気で策を練るとしたら、当然のことながら、現場がどうなっているか話を聞きに行きますし、最終的にどうなったらいいかは途中で議論して、それを世に問うかもしれませんが、実際に実行に移すための手段は途中では語らないか、直近のことしか語らないでしょう。ですから、ここから述べることは一般論です。これを題材にそれぞれ考えていただきたい。

まず、団結をして何をするのか、あるいは交渉として何が必要なのか、ということがあります。何かいろいろな意味で私と前提が違うような気がしてきて心配なんですが、労使交渉の意味を文字通り労働者側と使用者側の交渉ないし取引きなどと考えていないでしょうか。使用者側と言ったって、使用者は往々にして権限を委譲された末端の管理職なんです。両方あわせて現場といえるでしょう。労使交渉のエネルギーを梃子にして組織の上やときによっては世論さえも動かしていく。実際、使用者側としてテーブルに着く方からしても、普通の組織構造では通らない意見を労使交渉を契機に認めさせていくという利用法は存在するわけです。そのために何ができるかです。

私としては苦情処理委員会であろうと、組合であろうと、その原初的形態の勉強会であっても、構わないと思うのですが、問題はそこで何を論じるべきかということです。現場に必要な仕事とそれにどれだけの人数(労働力)が掛るかを積み上げです。これだけの人を揃えないと刑務所は回らないよということを明らかにする。そこまで準備できたら、明示的に主張するか否かは戦術によるにせよ、それを根拠に少なくともこの文脈では「公務員削減」は無茶であるということを言えるわけです。もっとも、今だったらもっとも有効な戦術は苦情処理委員会や労組ではなく、事業仕訳けを逆用するのも手ですね。世間的にも注目を集めやすい。前のエントリを書いたときは頭が硬かったな。

次はタイミングですね。

私が前の記事を書いた段階では何もなかったので、まずはその時点で考えていたことを書きます。たとえば、ストを打つということです。争議権がないじゃないかですか。それはそうですね。でも、少し考えてみましょう。ここ数年間で印象に残っているストは何でしょうか。私の中では2008年の漁業と2004年のプロ野球です。両方1日しかやらなかった。それもやる前からストをやる事実上の意味はほとんどなかったんです。でも、彼らは実行した。社会にこういう問題があるよと訴えるために。原油の高騰はまったく消費者にも政府にも直接、責任はない。そんなことは漁業関係者だって分かっていた。みんな、あのストの前から連日ニュースで魚を食べるのが難しくなるかもしれないという話が流されていて関心を持っていたところ、やっぱり苦しいんだということを改めて認識したわけです。この場合、彼らはある程度、同情を獲得していた。また、プロ野球のストは、90年代にアメリカで行われ、ファン離れを加速してしまった苦い経験があるので、非常に苦渋の選択でした。あのときの古田さんは明らかにやりたくないんだ、だけど、やらなきゃならないんだということを上手にアピールしました。その結果、あれによるファン離れは起きなかった。何が言いたいかというと、これらは問題があることを訴える手段なんです。刑務官は本来、ストを起こすべきではない立場にある。しかし、にもかかわらず、ここで訴えなければならない、という文脈だとかえって争議権なんかない方がいい。もちろん、実際、本格的に1日ストを打ったら大変でしょうから、治安維持が出来るギリギリの範囲で、部分的に何かの業務をやらない、という形で十分です。それで十分に社会の関心を集めることが出来るでしょう。プロ野球の例も正にそうでしたが、彼らは決して自分の職業に対するプロ意識を持っていない人ではない、ということをぜひ覚えておいてください。

何れにせよ、このような社会的関心を打つためのストをもし打つならば、その後、何を勝ち取らなければならないか、事前に十分な準備が必要でしょう。これこそが労組でも、苦情処理委員会でも、勉強会でもいいですが、そういうところでやるべきことなんです。チャンスはそう何度も来るわけではない。だから、波が来たらそれに乗る必要があります。

私は数日前にと書きましたが、この数日間で状況が変わりました。それは言うまでもなく千葉法相の死刑廃止論の話です。私が上に書いたストはあくまでも社会的関心を集めるのが目的です。ですから、別に争議でなくとも、社会的関心を集める波が来たら、それに乗っかればいい。というか、ストなんかやらなくてよければやらない方がいいんです。もし事前に私が書いたような線でもっと緻密に戦術を練っていたとしても、この千載一遇のチャンスに全部をご破算にしまえばいい。この間、ジャーナリストの江川昭子さんが死刑廃止反対論をツイッター上で呟いておられましたが、彼女の論拠はまさに死刑を廃止して刑務所が回るのかを起点にしていました(ちなみに、私自身の立場はどちらでもありません。少なくとも団藤先生の本が積読のうちは決められないのです)。が、残念ながら彼女が呟いても、社会的を動かすほどの影響力はない。ただ、下準備は作られています。本当はここに乗っかって、死刑廃止と絡めて刑務所の運営をどうするかの議論を喚起させるというのは一つの有効な戦術であるはずです。そのときにその根拠地が必要だったということなのです。

公務員の削減は自民党時代からずっと重要なトピックだったけど、自民党のときには警察官を増やさせることができたでしょう?もっとも、本当に治安が悪化しているのかという問題があって、不安に煽られた作られたそういう極めて怪しい認識を背景に警察官を増やしてしまったこと自体がよかったのかどうかは議論の余地があるけれども「公務員人件費を削減しろ抑制しろ、増税はまかりならんという政治的制約」であってもやれることはいくらでもあるんです。本当のボトルネックはそれをひっくり返すだけの緻密な戦術と戦略があるかどうか、そして、それを実行に移すだけの勇気があるかどうかにかかっているのではないでしょうか。

なお、念のために言っておきますが、ここに書いてあることはすべて一つの(質の低い)シュミレーションに過ぎません。実際に策を練るにあたっては誰が信用に値し、どこでどのタイミングで行動を起こすか等も具体的に考えていく必要があります。ですから、どんだけ議論を積み重ねても、こんなネット上で議論できること、すなわち、公にしても構わないレベルの議論は机上の空論に過ぎないんです。

ちなみに、こういう問題を考えるときには労使関係論の教科書なんか読んでも全くダメで、読むなら山本周五郎の『樅の木は残った』新潮文庫に限ります。
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