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昨日、中村先生から『壁を壊す』をいただいた(というか、「下さい」とねだったのだが)。題名からは想像できないけれども、本書は現在の労組のリーダーたちに向けた啓蒙書で、連合調査を題材に非正規の組織化に取り組んだ事例を取り上げ、なぜ非正規を組織化することが正しいのかを熱く語っている。冒頭に、説教はしないと書いているのだが、間違いなく鼓舞はしている(笑)。

一読して、素晴らしい本だと思った。ここに書いていることは、ウェブ夫妻流の古式床しき産業民主主義だ。しかし、一度も民主主義という言葉は出てこない。産業民主主義のロジックは、労働者が組織化されて、実際に日々の仕事のやり方を一番良く知っている人が声をあげるようになると、経営自体が改良され、パイも大きくなり、みながハッピーになるという仕組みだ。もっとも古典的な社会改良主義のロジックである。非正規を組織化すると、職場や経営自体の改良に繋がりますよ、というのがこの本の最大のメッセージであり、具体的にどうすればいいか、ということを事例に即して提示しているのだ。

もともと、ウェブ夫妻が『産業民主制』を書いた19世紀末のイギリスの労働運動も熟練工中心のトレード・ユニオンが徐々に女性や不熟練工を組織化していくその渦中にあった。ある意味では現在の日本の状況と似ている。職種別組合と企業内組合では事情が違うのではないかと疑う向きもあるかもしれないが、そういう人は白木先生たちが訳された『内部労働市場論』をじっくり読み返して欲しい。後半にトレード・ユニオンの話が出てくるはずだ。

学術的な用語は経済学の簡単なものが出てくるが、労使関係研究の伝統的なものはあまり出てこない。それもまた、一つの戦術だとは思う。集団的な労使関係と対立するのは個人的な機会主義であり、中村先生が発想の転換が必要だと考えていらっしゃるのもここだ。経済学の人間モデルは、効用の最大化、機会主義を前提としているので、まことにフィットしやすい。不満を個別で蓄積しても、状況は変わらないが、それを集めて一つの声にすることで、改良の力に変えていこうと考えるのである。

しかし、ここまではあくまで論理的に考えたらそうなる、というだけだ。実際には、1年分の組合費を貯めたらブランドもののバッグが一つ変えるという女の子をどう説得すればいいか困難な問題である。組合が改善を求めていくのは将来的なことであって、現状の即時改善は約束できない。ここが説得の苦しいところだ。最後に、彼女を説得させたものは何か?中村先生はここまで書く。


すると不思議なことが起こる。開店の時間が近づくと、非正規労働者たちは、組合についての理解がさほど深まったわけでもないのに、組合費に納得したわけでもないのに、「組合に加入すると良くなるんですね」と半信半疑ながらも、加入同意書にサインをしてくれたのだ。初対面で、わずか一時間たらずの説明で、しかも不十分な答えしかできていないのに、組合費の問題もクリヤーできたわけでもないのに、二〇歳代の女性の非正規労働者たちは最後はサインをした。
魔法である。同じ立場にいる非正規労働者が、わざわざ有給休暇を取得して、自分のショップまで来てくれた。何を言っているかよくはわからないけれど、とにかく一所懸命で、誠実な人だということはわかる。その人がクミアイが良いというのならば、良いのかもしれない。その懸命さ、誠実さは嘘じゃない、ほんものだ。信頼してもいいみたい。だから最後はサインをしてあげた。こう解釈するしかないように私は思う。

何の根拠もないお話だとシニカルに切り捨てることも出来るだろう。しかし、実際には理屈を超えたことが起こりうるという地点まで書かないと、どこかリアリティを失ってしまう。学術論文であれば、間違いなくそこまでは踏み込めない。新書だから踏み込めるというのは当然だが、それにしてもここまで書くのは心意気だ。

それから、もう一つすごいのはこの文章力だと思う(そもそも目次からして秀逸、類書に例をみない)。まず、冒頭の文章が短い。ここでリズムを取る。その後の二つの長文は、何れも「~ないのに」で終わる節を二回繰り返して挟んでる。これは修辞学でいうと結句反復という手法で、同じ表現を繰り返すことによって強調の効果を生む。さらに、「サインをした」という文章も同じく結句反復。その次はまた短い一言。魔法である。かつてグラマー(文法)は魔法であるといわれたが、何を隠そうこの文章にも十重二十重に魔法がかけられているのである。

今、忙しい人々にまさかウェブ夫妻の産業民主制を読めとはいえない。この本は面白くて、あっという間に読める。お勧めである。

それでも産業民主制が読みたいという好学の士にはIndustrial Democracyのリンクを貼っておくので、原著でどうぞ。なお、英語が出来る人にとっては、翻訳より原著の方が読みやすい(森先生談)。宇野弘蔵も携わったという高野岩三郎の(監?)訳は名文だが、旧かなだし、日本語が高度すぎて、知らない言葉もたくさん出てくる。

追記 本当は面白い専門的な論点もたくさん散りばめられているのだが、それはきりがないので、また、別の機会にやるとしよう。
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