濱口先生からお叱りを受けました。ただ、争議権を持っていないことは百も承知です。そういう意味でストを打つのは犯罪行為であり、それを煽っているじゃないかと言われれば、刑務所が回らなくなるということに対して、そこまでの危機意識を持って考えなければならないと考えたとお答えするしかありません。戦前だったら治安維持法に引っ掛かるでしょう。ただ、丁寧に読んでいただければ分かりますが、これはあくまで最悪のシナリオの一つであって、私の議論全体の中では部分でしかないし、これを廃棄しても私の考え自体は成立します。というか、廃棄する条件が出来たから、書いたのです。それでも無責任の誹りは甘んじて受けます。

勝手なことを言えば、濱口先生には公務員法制という枠組みからだけではなく、もう一歩踏み込んで内在的に根本的なレベルまで批判して欲しかったです。濱口さんから批判されたら、あまりそれ以上の厳しい批判を期待できなくなってしまいます。私の議論にはその論理の中だけで、もっと致命的な欠陥があるのです。その欠陥とは、たとえ争議自体が一瞬で実害がなかったとしても、法を犯すという行為に及ぶことで、受刑者が納得するのか、それによって治安が毀れるのではないか、という論点です。もしこの後半部分まで突っ込まれれば、私には返す言葉もありません。刑務所や警察(消防等も含まれますが)は絶対に社会に必要であり、そのために重要な責任を負っています。そして、その構造上、ストが起こるようではいけない(外国では警察、軍、消防のストがあるわけですが)。この点についてはよくよく念を押す必要があったと反省しております。逆にいえば、争議権を与えていない彼らに対して、その高い職業意識に頼るのではなく、絶対にストライキを起こさせない環境を用意することは政府および国民に課せられた課題であると思います。

ストライキそのものを歴史的に考えてみると、民間の労働者だって犯罪すれすれ、あるいは犯罪そのものに手を染めて争議を起こし、やがて争議権が確立してきたという経緯があります。労働史に詳しくない方はご存じないかもしれませんが、昔の争議というのは、鉄砲や大砲まで持ってくるということだってよくありましたし、場合によっては人も死にました(これは外国でもそうです)。戦後は周知のとおり、普通の労働者には争議権が認められています。戦前も大正期には常識的な範囲では容認しました(胸先三寸のきわめて恣意的な基準ですが)。ただ、明治くらいだとかなりきつく統制しようとしていました。だから、運動によって権利を勝ち取っていくという側面もあるわけで、スト権ストについても、それ自体がよかったかどうかの評価は別にして、一応、そういうアクションが起こったことに対する筋の通った説明は可能でしょう。違法行為だからダメというだけでは、労使関係史の文脈から考えると不十分ではないでしょうか(ただし、こちらを先に書かず、私が自分の議論の欠陥をわざわざ上で書いた意図を汲んでいただきたいと思います)。

なぜ公務員に争議権が認められないかといえば、その最大の根拠は職務の公共性と人事院(による代償措置としての勧告)です。日本の戦後史の中では、公務員や公共企業体の従業員が労働者としての権利を行使しようとして、それが職務の公共性を侵害してきた(かどうかは解釈が入るので、詳細な検証が必要でしょうが、ここでは一応、理屈として受け取ってください)。この文脈だからこそ、職務の公共性、すなわち公共の福祉の維持(あるいは他人の権利を侵害しない)が個人の権利に優先するという理屈が立ちました。少なくとも国鉄が止まったら、普通の人は困ったわけです。しかし、私の意図したストライキの要求の根幹は、あくまで公共性のある職務を維持することが困難な状況に対しての打開策であって、そのための改善策として具体的には労働改善を付帯的に位置づけてあります。人を削られたら困るとか、業務が増えたのにそれに応じて人が増えないのは困る、などといろいろなケースがあるでしょう。

人事院はたしかに労働基本権制約の代わりに労働条件を勧告する機能を持っていますが、民間用語で言うところの経営参加までやってくれるわけではありません。というか、人事院のページをさらっと見てきたんですが、私にはどこの組織が要員管理について公務員の代わりに発言してくれるか理解できませんでした。民間企業でしたら団体交渉で非常に重要なトピックになると思います。たとえば、慣行として組織内での発言の機会はあるのかもしれません。団体交渉権の中には経営のチェック機能も場合によっては含まれると思うのですが、人事院は人減らし政策によって労働条件が悪くなることへの勧告はしているんでしょうか。歴史的には、戦後直後、生活を維持するために給与水準の決定はクリティカルなトピックでしたよ。でも、今は人員削減でしょう。公共性のある職務を持続して提供できるかどうかの瀬戸際です。素人目で人事院の政策を見ると、人事行政を通じた国家戦略という観点が見当たりませんでした。どこに書いてあるのでしょうか。人事院が団体交渉権の機能を果たせていないならば、公共性のある職務遂行を持続するために、労働基本権を全部、返してもらうしかないでしょう。争議権は団体交渉権をより強固にする意味もあるのです。もはやこれは刑務官だけにとどまる話ではありません。

私の意見を整理し直すと、
1 公共性を持った業務遂行にどれだけの人数が必要かを下からの積み上げによって提示する。
2 そのためには、労組がダメならそれ以外の代替的機関を組織内(あるいは労組)に作る必要がある。
2.1 チェック機能として原則全部公開。あるいは第三者を入れる。
2.1.2 私は全部、公開がよいと思う。
3 以上の施策を実行するためには、上の条件が満たされないことで刑務所も含めて公共性のある業務が回らない可能性を社会的に周知し、出来れば世論を形成する。
3.1 hamachanブログやジャーナリストを通じた呼びかけだけで関心が集まればそれでもいい。
3.2 ストライキはリスクの大きい最終手段。実施には厳しい条件が必要。
いったん始まったら統制は困難という側面も考慮が必要。
3.2.1 労働者の権利獲得ではなく、あくまで公共性を持った職務遂行の条件整備を最終目的とする。
3.2.2 やるとしても絶対短期、1日以内。どの職種も。
 * 世論を敵に回す可能性があったら、全部中止。
4 1と2の成果を実際の政策に反映させるルートを作る。

まず何らかの変化、それは社会的な環境の変化でもいいし、公務員バッシングとそれに乗じた(あるいは煽って作った)公務員制度改革、こういったものに対して、現場がどう変わるのかあるいは変わったのかを明らかにする必要があります。それは現場からしか分かってこないことです(この場合の現場には公共サービスの利用者も含めます)。それを吸い上げる機能が必要です。もし、公務員の手を借りないで、政治家がこれを全部、責任を持ってやるならば、今の人数の倍いても足りないんじゃないでしょうか。単純に言って、公務員を信用しないということは監視コストがかかるということです。ちなみに、3の部分は修正してありますが、以前のプランだと1,2の準備をしておいて、関心を集めた瞬間にそこでの協議事項を通す、というものでした。

なお、私の意見が役に立つと思ってませんが・・・。内容に自信をもって書いているわけではない、という意味です。
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コメント
批判の趣旨
ここではごく簡単に、

わたしが批判したのは、金子さんの全体的な議論そのものではなく(それには部分的に同感できる部分もあると述べています)、それを黒川さんへの批判という形で書いて点についてです。

ご承知の通り(だと思いますが)、現に自治労の中で実務家として行動している黒川さんが、刑罰をもって禁止することには十分に理由のあるストライキ権の問題ではなく、実質的に禁止する説得的な理由のない団結権の問題について書かれていることについて、それを世に訴えるためにストライキをやったらいいではないか、それをいわないのはガッカリだと、少なくとも表面的に読めばそのようにしか読みようのない書き方で批判したことに対して、それはあまりにも迂闊ではないか、と申し上げたまでであって、それ以上ではありません。

公務員労働法制を超える労働史全体の中での議論としては、もっとさまざまな道具立てをもって議論する必要があります。
2010/08/01(Sun) 11:40 | URL | hamachan | 【編集
Re: 批判の趣旨
コメント、ありがとうございます。私は黒川さんが実際、活動されてるのは存じませんでした。それならば、たしかに濱口先生のおっしゃる文脈は分かります。

ただ、一応の確認ですが、団結権を獲得するためにストを打つことなど私は考えていません。この場合、以前と立場を異にしていて、組合活動よりも、業務の一環として実質的な団結権・団体交渉権まで実現させるべきだと考えていましたから。それは理念というより非常にプラクティカルな理由で、組合活動はあくまで業務外の活動ですから、ただでさえ過重な負担がかかっているところに新たに行動を増やすよりも、給料をもらえる業務のうちにそれを含めた方が負担が少なかろうという見通しです。

正統的な、団結権の獲得、おそらくその次は普通に考えれば、団体交渉権に行くんでしょうけれども、団結権までで何か今の閉塞的な状況を打破するとは思えませんし、団結権を獲得する方法も分かりません。少なくとも「政治的制約」を打破する方法は何でもいいから提出してほしかったと思っています。ストライキは極端な悪例ですが、何らかの手段を考えた上でそれをぶつけてくれないとやはり議論にはなりませんし、実際に運動に携わっているならばなおのこと「政治的制約」で八方塞がりだというだけじゃどうしようもないんじゃないでしょうか。とはいえ、実際に運動に携わっているがゆえに、戦術上、今は言えない、あるいは、わざと言わないで策のないふりをされているのかもしれません。こういう世論をひっくり返すような戦術は本来、奇襲の方が効果がありますね。後者であることを期待します。ある日、自治労がいきなり新聞のトップを飾る日を。
2010/08/02(Mon) 00:30 | URL | 金子良事 | 【編集
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