CFWJapan用に書き下ろした原稿です。元々はこちらで発表しました。こちらにも全く同じ文章を残しておきます。元の原稿は先週の木曜日(2011年3月24日)にあげて、少しだけ書き直しました。以下、本文です。



東日本大震災で多くの方が犠牲になり、未だその全容を把握できないほどの状況になっている。今は被災者も彼らに思いを寄せる者も現実を受け容れつつ、事態のあまりに大きな流れの中でもがき、それでも必死に自分のできることを探している。私の意見は、完全な復興は必ずしもすべて早急に達成されるべきとは限らないという前提に立っており、その点では少数派かもしれない。ここではそういう中でCFWを位置づけたいと思う。

日本全体の一体感

与党・民主党は挙国一致体制を掲げ、自民党にも協力を呼び掛けた。多くの海外メディアは地震発生直後、ハリケーン・カトリーナや中国四川大地震、ハイチ大地震のときと比べ、暴動も起きない日本人に瞠目し、敬意を表した。もちろん、日本人の誰もが平静でいられるわけではないし、非常時に乗じた犯罪も起こっているので、注意も必要である。しかし、多くは動揺を胸にしまいながら落ち着いている。相対的に不安を抑えきれなかった人々は首都圏をはじめ「買い占め(過度の買い溜め)」に走ったが、それさえも長時間、列に並んで、商品が途切れれば諦めるという秩序を保っていた。ツイッター上では、地震発生直後から1週間ほどの間、メディアで流れた情報から身近で見聞きした体験談まで様々な美談が続々とRTされ、この危機をともに乗り越えようという一体感が醸成されたが、それも一息ついたようである。このような一体感が生まれた背景にはおそらく、被害の大きかった東北から北関東、上信越はもちろん、首都圏全体が被災したこに加え、西日本に阪神大震災の経験者が多かったことも寄与したと思われる。

こうした一体感が高揚する中で、原発の作業員や自衛隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の決死の覚悟の活動を賛美する声に恐怖する声も聞こえて来た。そうした声は個人が抱える価値観の差異さえも飲み込んで一体化しようという流れへの抵抗かもしれない。中にはこうした恐怖を、国民の一体感が国家を中心として突入した第二次世界大戦を結果的にバックアップすることになった歴史的経験と重ね合わせる向きさえもある。戦争と結びつけないまでも、復興を遂げた時代と重ね合わせる意見もまた聞こえてくる。こうした実感は、経営社会学者の間宏が高度成長を支えたものとして戦争という共同体験を重視した視点とも一致するし、戦時と戦後を結びつけて捉えることは90年代以降、蓄積されつつある経済史研究を踏まえても、荒唐無稽とは言えないだろう。もちろん、歴史と現代は異なる点もあるし、反省すべき点は修正すればよい。しかし、それ以上に今はただ声となって現れるどんな恐怖も無視せず、寄り添っていくことが大切である。

復興は早期に達成されるべきなのか

このような大きな一体感は一つのサクセス・ストーリーと結びつきやすい。日本が第二次世界大戦で敗戦したとき、国民は焦土からの早期の復興を目指した。事実、一国全体のマクロ経済に注目すれば、日本は間違いなく奇跡的な復興から高度成長を遂げた。今回の東日本大震災が起こったとき、戦後最大の災害ということで阪神淡路大震災とともにこのときの経験と比較する人が少なからず現れた。私はかつて間宏の『経済大国を作った思想』を紹介したとき、戦争のような共通体験を今後得られない上で、全体の歴史体験をどう語るかということを問題としたが、今度の震災は少なくとも心理的には共通体験と捉えた人たちがいたといえる。間の研究によると、戦後復興を立ち上げ、高度成長を担った企業人たちには少なからず戦争で散った若き友人たちへの贖罪意識を心の糧としていた。それはかつての日本を取り戻すことであった。しかし、残酷なようだが、亡くなった者たちは帰って来ない。私たちの社会を作ってくれた先達の、生き残ったという切ない贖罪意識は、果たして思いを遂げたのであろうか。

私がもっとも気になっているのは、復興を声高に唱える声が被害の大きかった東北地方というより、その他の地域でまず起こったことである。大矢根淳は、被災地外から被災地にやってきた者たちが被災者に無邪気に頑張れと声を掛けることが、現場で軋轢が起こすと述べ、その理由を二つ説明している。第一、既に頑張っているのに無責任に聞こえる。第二、ここから立ち去れという言葉に聞こえる。後者として被災者の生活再建と被災地復興の間のズレの問題が触れられている(大矢根淳「被災地におけるコミュニティの復興とは」『復興コミュニティ論入門』弘文堂,2007年)。ただし、今回の声は大矢根が描く世界とは異なる。なぜなら、この声は同じように地震で被災した首都圏からも起こったからである。そこには災害に対する恐怖や不安を忘れるために、あえて無意識のうちに震災の痛ましい記憶を消して、日所の生活に戻りたい思いがあるように感じられたからである。私があえて学者として客観的にではなく、このような印象論を書く理由は、首都圏で被災した自分自身が周りと接する中で感じ、そして、こうした思いともまた共に歩まざるを得ないと思っているからである。そうして、メディアから流される東北地方の被災状況に圧倒されて、相対的に自分たちの物理的な被害が少なかったことから、ときに被災者意識を欠落させている。その不安な気持ちを埋め合わせるために復興を唱えるのであれば、大矢根があげた事例よりも切実である分、かえって深刻な軋轢を生んでしまうのではないかと考えてしまう。

このようなあまりにも早期の復興を求める声に私は警戒している。ただし、早期の定義は、被災した人間がショックを受けた心の傷が癒えるよりもあまりにも早い、という主観的な意味である。復興という言葉には原状復旧よりもさらに発展させるというニュアンスが含まれるが、完全復旧は無理なのである。これだけ多くの方が亡くなっている中で、その人たちを元に戻すことは出来ない。どんなに時間がかかったとしても、亡くなった者たちの死と生き、そうした経験を抱えた被災者とともに歩んで行くほかに道はないのだ。同時に我々も自分が受けた心の傷に向き合うことから逃げるわけにはいかないだろう。物質的な復興はこうした心の問題と寄り添いながら、進めていくべきだと私は考えている。そのようにするためには、それ相応の時間が掛かることを覚悟せざるを得ない。こういうことを前提に物質的な復興を考えていきたい。急いでやらなければならないことと、時間をかけて考えてからやることを分けて考える必要がある。

最初の物質的復興としてのCFW構想

CFW Japan永松私案は政府を組みこんで、様々なCFW活動のハブ的な機能をする期間を各市町村レベルで作ろうとするものである。実際、政府は今、被災地雇用を政策として取り組もうとしている。私は永松私案とは別に政府以外のボランタリーな組織の力を集めるネットワークを作る必要があると考えており、今、その構想を練っているところなので、近いうちに追って発表したい。

実際にはこうした仕組みが将来的に出来る前に現場では民間の援助団体の活動の中からCFWが出てくるだろうと思われる。これが復興の第一段階である。その際には、アチェやハイチなどで実際に行われたCFWの支援経験を持つ団体もあるし、そうした先行事例のレポートが参考にされることもあるだろう。

私自身はいろいろと新しい工夫をするよりも、形式的な仕組みとしては先例を踏襲するのがよいと考える。それは原則、不熟練(low-skill)ワークだけを対象にし、低賃金を支払う仕組みである。ここでいう不熟練労働はその場で教わって、作業に入れるような単純労働をイメージしている。ただし、日本では当初のCFWのターゲットである貧困対策支援の一環を兼ねる必要はないので、意味づけを転換させて、この段階のCFWは賃金ではなく、被災地を自らの手で復興させる被災者への見舞金という意義づけが適切であると考えられる。実務的には賃金水準を一本にするのが適当である。

CFWにおけるWorkはあくまで被災地の人々のボランティア活動を基盤とする。こうした賃金を見舞金とするような手続きは一見、些細なことのように思われるかもしれないが、従来のCFWの弊害として既存のコミュニティ文化を壊す可能性があることが指摘されていることを鑑みて、軽視できないものである。ボランティア活動の延長で捉えるということは、労働の対価としての賃金という市場経済の原理ではなく、贈与経済の原理での運営を意味する。このような二つの異なる経済原理が混交する例としては、しばしば無償労働の存在が(少なくとも都市部における)福祉領域での賃金を低くするような現象を生むという話があるが、あえてここではそうした事象を逆用する。こうした賃金を低水準に固定するという判断が許容されるのは、事業期間が短期に限定されているためである。それはこの段階のCFWプロジェクトはあくまで復興のための一時的なものであり、それ以外の経済活動を阻害しないように、すなわち、そうした経済活動における雇用労働の代替になり得ないようにする必要があるためである。

この段階で賃金水準を一本に絞るのはこの他に管理費用を削減するためである。実際には不熟練労働には査定を付けないが、半年以上の継続事業においては、仕事の能率に差が出来る可能性が高い。もしそうであれば、日本の企業の常識的な感覚で言えば、その差を適切に評価して賃金に反映させるであろう。だが、急造の仕事プロジェクトでこのような査定を行うことは労務管理の技術上、難しい。もちろん、一緒に仕事をする中で自然発生的な評価を生まれるので、評価を分けること自体は可能だが、それを賃金に反映させるのは短期では困難である(短期で賃金査定を行うのは困難)。

地域復興に貢献するという贈与的なボランティア精神が存在する以上、賃金に余計な差を設けることは仕事仲間の連帯を損なう危険性もある。また、賃金が能力を反映するということになると、自分より高い技能を持った被災地外の地域からボランティアが場合によっては無償で働いていることがかえって賃金を受け取りづらくし、極端なケースでは余分なスティグマを与えることになりかねない。したがって、複雑で精緻な管理を望まずに管理費用を削減するために、あまり賃金制度を複雑せずに低水準の一本がよいと考えられるのである。

復興から地域振興へのテイク・オフ(1):復興から地域振興を支える組織体制

第二段階の地域復興は、地域再生と来るべき地域振興を見据えたものとなるだろう。この段階では地域ごとにそれぞれ独自の未来図を描かなければならない。たとえば、産業集積を軸にした地域産業論ではシリコンヴァレイやフィンランドのオウルをモデルにしたような地域開発が注目されているが、三陸の町がことごとくハイテク都市になる必要などどこにもない。多くの沿岸地域が望むのはおそらく在りし日の漁業の再興ではないだろうか。もちろん、被災地外からの支援によって、たとえば震災以前になかった新たな情報インフラが整備されるとしても、それを拒むことは何もないだろう。

CJW Japan永松私案では政府が入ることになっているが、CFWセンターは民間企業委託となっている。私はこの点に反対である。これは被災した各県レベルの自治体とハローワークが主体となって担うべき業務であると考える。もちろん、場所によっては地震や津波の影響で人数的に機能しないケースが想定される。この穴を埋めるために、全国各自治体から、職安行政および商工農林水産行政、福祉行政を担当する部署のエースおよび今後のエース候補であるような若手を送り込み、文字通り国中の叡智を東北に集中して復興を支援する(福祉を入れる理由は後述)。なお、全国自治体の選抜組には、現在、既に支援を行っている自治体に加え、被災者を受け入れる大阪や佐賀(他にも多数あるが、用意があると報道されたのが早かった二つ)のような自治体をぜひ入っていただきたい。今後、被災者がそのまま定住する可能性もあるが、被災地に戻りたいといったときにスムーズにサポートするためである。具体的には東京都が夕張市に対して行った人事交流を、全国的な規模で襷(たすき)掛けに行うとイメージしてもらえればいい。とはいえ、地方財政は逼迫しているので、その分の人的保障ないし派遣公務員の給与を支援金の中から賄う枠組みを作るように法律を整備する。地方公務員の給料一律切り下げなど論外である。なお、NPOや民間企業からの労働力供与の申し出があった場合、あえてこれを排除するものではない。中央省庁は文字通り中央にあって、全体の調整を行う。

こうした復興事業で全国各地から優秀な人材を集めることで、その経験が彼らに対して高い教育効果を与えることが期待される。すなわち、復興が終わった後、精鋭たちはその経験を故郷に持ち帰り、地域行政を豊饒化することが期待される。もちろん、このときに作ったネットワーク自体もそのまま打ち棄てるのではなく、これを基盤に置いてその後も人事交流を行えるように、中央政府がバックアップすることが期待される。このように東日本の震災から始まった復興を、日本全体を活性化させる最初の一歩とするのである。

復興から地域振興へのテイク・オフ(2):雇用行政と地域経済開発行政の連携

この時期のCFWは最初期の自生的な活動ではなく、場合によっては復興活動からそのまま地域振興施策に移行していくものも含まれる。否、むしろ、地域振興政策となるようにならなければならない。ただし、重要なことなので繰り返し述すが、どのような産業を再興させ、街の経済をどのようなものにするかは各地域の意思に任せられるべきである。地域経済の在り方は地場産業や他地域との協業関係にも依存するので、簡単に一元化して描くことは出来ないし、描けていないものを中央から一律に統制することは不可能である。このビジョンを描くのに時間を掛けるというのも一つの選択としてあり得る。地域100年の計である。

CFW活動がNPOレベルでやっている段階では各プロジェクトが完結し、それが全体にわたった時点で終わりが見えてくるが、政府が入ることになると、これは雇用行政になることを避けられない。雇用行政は経済振興とセットでなければならない。この意味で参考になるのは戦後の経験である。すなわち、失業対策と表裏一体で始まった公共事業による雇用創出とその後の土建国家化の経験を踏まえる必要がある。土木事業によって雇用創出が達成されたこと自体は高く評価されなければならない。民主党が政権を取った際、一斉に箱モノ行政が批判され、とりわけダム事業の見直しが脚光を浴びたが、そうした見直し反対の立場の論拠にはこの雇用創出機能があった。実際、高度成長期でさえ、土木事業が一息つくことによって、建設現場の労働者は失業し、貧困から抜け出すことが難しかったことが人々の目から隠されてしまった。大事なことなので、繰り返す。雇用創出は重要である。広く議論されるべきなのは何を作るかである。復興において何を復旧させ、どのように新しい息吹を加えるかである

また、戦後の失業対策には1950年代にエネルギー転換を図った時代から、炭鉱離職労働者を対象とした長い歴史がある。たとえば、1986年に閉山となった高島炭鉱の事例でも、職業安定所は労働者の再訓練(職業訓練)や再就職には多大なる貢献を行ったが、離職労働者の中において自律的に新しい地域振興を行うという考えは少数派であったという(『地域における雇用創出に関する研究(職研調査研究報告書91)』,1989年,10頁)。しばしば失業対策はそれ自体では他産業ないし他地域への移転を軸にせざるを得ず、それ以上の産業振興政策と結びついていない。この点に課題であった。だからこそ、商工農林水産行政を中心とした地域経済振興と職安行政を結びつける必要があるのである。私は今、宮城県の職員の方が「職業訓練を地域振興と結びつけて考えなければならないと議論しているところです」と去年の夏の研究会で静かに語ってくれたことを思い出している。きっとそういう思いはまた、今度の復興、そして地域振興に繋がって行くはずである。

ここまで経済を中心に見てきたが、復興は何も経済だけに限定されるものではない。そこで暮らす人々の総体としてのコミュニティも重要だが、そうしたコミュニティは過去の伝統の上に成立していることを認識する必要がある。復興に当たっては元のコミュニティを復旧することは難しいが、帝国主義時代の明治期に行われた廃仏毀釈や国家神道的な神社政策などによって地方の伝統をことごとく毀した地方行政の愚かな歴史は絶対に繰り返してはならない。今回、伝統を守るのは柳田國男のような民俗学者ではなく、伝統を知る被災地のそれぞれの方以外に他ならない。ここでは高齢者とともに郷土史家の役割が重要になるだろう。

復興から地域振興へのテイク・オフ(3):CFWの第2局面および地域福祉

経済や伝統的コミュニティの問題以外、否、それらを含めて包括的に考えるべき問題として地域福祉の問題がある。福祉の具体的な領域は高齢者、障害者、家庭、教育(子ども)、医療など多岐にわたり、今後の復興および地域開発の中で何れも重要な問題として組みこまれるべきものだが、ここでは被災者の心理的ケアの問題に絞って書きたい。

被災者の心理的ケアといっても当然、被災者は十人十色であり、自ら心の傷を抱えているというよりも、この震災を契機として一層、地域発展のために力を尽くし、地域の仲間を鼓舞するような勇士も現れるだろう。実際、被災した小学校で復興への思いを語る小学生の姿にはメディアを通じて接する私たちもまた励まされている。しかし、そのような気力にあふれる人ばかりではないので、心理的なケアは中長期に絶対に必要である。

心理的ケアといった場合、通常、担い手として考えられるのは臨床医などの医療関係者、広義のソーシャル・ワーカーなどの福祉関係者、教師などの学校関係者等であり、震災以前からこれらの問題に携わっていた専門職や経験豊富なボランティアなどが該当されるだろう。ここに二つの問題がある。たとえば、もともと医療崩壊と言われる状況にもかかわらず、今、専心医療活動に従事されている関係者の方は働き詰めになり、休息不足の状態になっている。同じような状態は行政でも起こっているし、福祉関係でも起こっているだろう。すなわち、第一の問題は関係者の労働問題である。彼らは貴重な地域の人的財産であり、そうした方々を毀してしまわない配慮と仕組みが必要である。第二に、そのことと密接に関わっているのは、担い手の圧倒的人手不足である。もともとの過疎の問題もあるかもしれないが、それに加えて津波、地震による被害でその状況が悪化していると考えられる。おそらく、実際に早期から被災地住民によるボランタリーな活動(手伝いなど)が始まっていると考えられるが、こうした活動を支える仕組みをさらに後ろから支援する必要がある。

ボランタリーな活動の中をする中で、たとえば孤独な人の話をじっくりとよく聞くといった本人はそれが特別なこととも思っていない高度な技能を発揮する人もいるだろう。臨床心理学の世界でロジャーズ以降の主流になった来談者中心療法では、自分の技能を奢るよりもただ相手に寄り添って話を聞く姿勢がよいであろうし、訓練も受けずにそういうことが自然にできる人は存在するだろうし、かえって技能の性格上、自分の力に気付かない可能性もある。これは子どもからお年寄りまで年齢は関係なく各世代に存在するだろう。そうした方の支援としてCFWを通じて、生活を保証する支援金(賃金)を払う仕組みを作る必要があるだろう。

通常の経済学的な市場原理で言えば、技能の習熟度に応じて賃金に差をつける必要があるが、高度なカウンセリング技能は通常、埋め込まれている状態であり、ときには評価(査定)どころか、発見することさえ難しいと考えられる。通常の価格メカニズムではニーズ(需要)と価格調整が連動するが、この場合、価格調整が働かない。ただし、多くの方から話を聞いてほしいという希望が殺到するなどの現象によって、技能そのものに先だってニーズは発見できる可能性がある。そうした実践的な活動は、たとえその人が専門資格を持っていなくとも、専門職に準ずる、あるいは同じ仕事をしているといえる。そのような場合、既存の専門職集団、あるいはカウンセリング技能を持つ支援団体などが協力して、バックアップする体制づくりが必要であろう。もちろん、天性の才能を持った人でなくとも、訓練で技能を身につけることは誰にでも可能であり、圧倒的な人手不足の中では一人でも参加者が多い方がよい。そのためには、ファシリテーター役の支援者などの力が必要になる。そうして育成された人に対してもCFWを通じた支援が重要になるだろう。

既に専門職として活動されている医療従事者や福祉従事者も含めて、こうした方たちの中にはどうしても自らの生活を犠牲にし、他人に献身する人が数多く出てくる。このような方たちは本人がCFWなどの報酬を拒否することも予想されるので、その場合、金銭的な報酬以外で彼らの家庭生活を支援する形があってもいい。具体的には、移動できない関係者の家族を職場に連れて行って本人に会わせることや、家族の食事の用意などを周囲の人が行うなどである。とりわけ、そうした誇り高い父母の姿を見るのは、子どもにとってもよい経験になるだろう。

地域福祉の領域では社会福祉協議会や行政、NPO、そしてその中で住民組織化の動きが注目されてきているが、震災の復興過程であらわれる様々なボランタリーな活動を取り込むことなどによって、地域福祉全体の再生を視野に入れ、地域経済振興とともに復興後の地域振興の二本柱にする必要があると思われる。また、人々の話を聞くこのような仕組みは、冒頭に述べた心理的問題の解決や、住民の意向を組み上げた復興を実施するために、絶対に必要かつ重要なものである。そうした仕組みの中で、復興の望ましいスピードや姿も考えられるであろう。

CFWの第二局面の難しさ:論じたこと、論じなかったこと

私は第二局面での経済的な復興およびその次の振興の段階については具体的なCFW活動に言及しなかった。それは地域別の個々の仕事内容が現段階で分からないからである。ただ、一般論で言うと、振興策に繋がるようなCFW活動をするならば、仕事は複雑化することが予想され、相対的に高度な技能が蓄積されるようになるだろう。そうした技能を査定し、賃金に結びつける仕組みは一般化できない。こうした難しさは、企業の労務管理において、従業員のやる気を損なわずに、活力を与えるような、公平な処遇を実践するのが難しいのと同じ性質の問題であり、復興だから特別なのではない。この管理費用を考えるとき、ここまで踏み込まずに、第一局面だけで終わらせることも一つの選択肢である。

第二に、福祉領域のような領域ではさらに難しい問題がある。ボランタリーな活動には価格(賃金)が必ずしも付与していないため、シグナリング効果がなく、したがって高度な技能の実践が埋もれている可能性がある。認識できないものにCFWで報酬を払うことは出来ない。さらに、ボランタリー労働と雇用労働が混淆とする中では、単に技能の高低のみを指標に価格付けが出来ないといった独自の難しさがある。

CFWを単なる自律的な支援活動にとどまらせるのではなく、政府等を通じた組織的活動に展開させる場合、復興から地域振興へのテイク・オフを考えなければならない。だが、もしそこまで出来ないという判断をするならば、余計な混乱を招かないように、早々に簡単な取り組みだけで引き上げるべきであると私は考えている。
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