書評は来週の水曜日締め切りなのだが、あまりに論点が多いので、ブログで切りだして行こうかと思う。この本は菅山さんの最初の単著にして、力作というしかない。菅山さんが有名なのは知っていたし、論文も読んでいたのだが、正直、労働史の第一人者であるという認識は私にはなかった。それは誤りであった。不明を恥じる。

まぁ、菅山さんは東大の人だなという印象の学説史である。大体、先生筋の研究が恭しくレビューされて、これはもっともだ、というようなことが書いてあって、その後に同世代の苅谷先生あたりになると、対等に厳しい議論が展開していくという感じ。全部、同じ調子でやったら、もっと面白くなっただろう。池田信先生などは華麗にスルーである。

それにしても、二村先生の足尾本を「確かな実証方法」とか持ち上げるのはそろそろ禁止してもよいころではないかと思う。二村先生ご自身が公にメンションされている中でも、あの本の前半部分の実証の甘さ(要するに、資料がないから代替物で済ませたところ)は明らかにされているし、中西先生の研究史整理の影響もあって、あの元の論文で労働運動史から労資関係を解き放ったことになっているのでややこしいのだが、皮肉なことに二村先生の歴史研究者としての本当のすごさは左翼労働運動家の活動や人間関係を明らかにしていくというような作業の中で発揮されてきた。その最後の集大成が高野房太郎の伝記である。ともあれ、二村先生自身は労働運動から解き放たれていないし、それは別に悪いことでも何でもない。

大体、氏原正治郎(「大工場労働者の性格」)→兵藤(『日本における労資関係の展開』)のライン、それから小池和男『日本の熟練』というのがある世代の王道であり、菅山さんもこの基本線は踏襲している。副題にもなっている「ホワイトカラーからブルーカラーへ」は明らかに小池先生の「ブルーカラーのホワイトカラー化」をモチーフに付けられたものだ。で、この王道が日本の労働史を縛っているとも言える。菅山さんは非常に的確に、製造大企業の男性労働者といっているが、より正確にいえば、工場の、技術系のホワイトと現業のブルーの話がメインになってくる。本当は企業という以上、本社があって支社があって工場があってという形だが、そういう風にはなっていない。そもそも八幡製鉄はそういうことが不要である。こうした限定化は労働問題研究が取り組んできた枠組み、そしてその影響を受けて作った菅山さんの実証研究の当然の帰結なのである。そうして、この本線からさらに支線を詳細にスケッチするように、骨太な教育社会学の「school to work」が入ってくるわけである。

でも、ブルーは工場で雇われるけど、ホワイトは本社だよね、という問題をどう考えるのかという点では大目に見るかで済む問題じゃないのだ。本当の日本の製造業がすごいところは、これは紡績の桑原さんが言っているが、ブルーカラーまで海外に出しちゃって、技術移転しちゃうところである。そこまでは菅山さんは書いてない。でも、そうなると、なんで八幡製鉄所が大事なの?というのはなかなか議論の余地がある。日本鉄鋼業を見るとき、八幡製鉄をどう理解するのか、というのはとても大事なことだけど、八幡の慣行がどのように競争企業なり、同地域の他産業に影響を与えたのかという点までしっかりフォローしてくれないと、なかなか八幡が重要な理由は理解しづらい。というか、そういう位置づけをしっかりしてほしいのだ。それにサラリーマンという言葉はやっぱり都市のホワイトカラーのイメージなので、栃木の山奥の日立の工場だとか、北九州の八幡だとかで語られると、違和感がある。もちろん、労問研的な観点から見ると、まったく疑問はない。したがって、研究史の文脈からすれば、まことに正統で、もっともなのだが、日本全体を見渡すという問題意識からすると、もうちょっと詳しい説明が欲しいところなのである。

とりあえず、続く。
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