6月16日(木)に澤田さんのところでかねてから尊敬する教育社会学者・潮木守一先生の講演があるそうなので、ずっと楽しみにしている。潮木先生は3月の理論科研にいらしたそうだが、私はその日、何か別の用事で参加できなかったのだ。今回は先生が訳されたハルゼーの『イギリス社会学の勃興と凋落』がメインのネタとのこと。

最初に言っておくけど、この本は社会政策学徒は絶対読まなきゃダメ。この本を読むと、イギリスの社会学がsocial administration and social policyとして発達してきた歴史がよく理解できるし、そのことを理解した上でギデンズ『社会学』を読むとなお勉強になろうと思う。イギリス語のsocial policyを社会政策と訳すのは正しくないと思っているのだが、これは運動家としての武川大先生の作戦勝ち、衆寡敵せずである。私はこの前の学会誌にそういう言い換えは学術的にはちゃんと研究史を踏まえておらず、まったくダメであるという思いを込めて書いたけれども、多分、そういう真面目な複雑な議論は大方には理解されないし、少数の何人かが「そういえばねぇ」くらいに思ってくれればそれだけでも御の字だろう。ただ、そういう成り行きは、まったく私の社会観察の結果と全く一致しているので、特に気にしてない。研究者の端くれとしては自分の研究が認められないことより、自分の研究結果が外れている事の方がよほど恥ずかしい。

さりはさりとてハルゼーの本だが、これ読んでるだけで、たくさん面白い論点がどんどん思いつく。ひとつは、イギリスの社会政策(面倒だからここからはこだわらないでsocial policyの訳もこれで行きます)が住宅政策とともにあったというくだりである。戦後の日本の社会政策には住宅政策がなかった。これは知る人ぞ知る問題だったけれども、派遣村前後で一気に問題になって、人々の知るところとなった(ここのところ当時の濱口先生のブログに面白いエントリがあったハズ。探さないけど)。社会政策が治安政策とともにあった頃から、settlement、定住の問題はとても重要だった。セツルメントワークの中心は住宅で、それをベースに陶冶をやっていくという発想だから、これが外れるわけなかった。そういう意味で考えると、イギリスで貧困・住宅・教育がセットになって重視されたのは、社会事業の流れからすれば、むしろ当然といえる。なぜ、日本でそうならなかったのか。ここが実はすごい重要なところで、それもまた戦争国家≒福祉国家体制が絡んでると思うけど、もう少し詰めて考えたらお話ししましょう。

それから、教育計画のところと関係するんだけど、やっぱり第二次世界大戦のときの先進国は、福祉国家まで戦争の遺産を引きずったんだなと改めて感じた。目次をパラパラ眺めただけなのであんまり確信はないけど、仁平典宏さんの『ボランティアの誕生と終焉』は基本的にはその領域でこの問題を明らかにしているんじゃないかと思っている。キーワードは動員ね。まぁ、そのうちに丁寧に読むことにしましょう。1950年代から60年代にかけて、教育社会学の第二の黎明期、清水義弘の時代に何が起こったのか、ここがやっぱり肝だと思う。実は、潮木先生の解説にもそのことを示唆する内容がある。木曜日の議論を楽しみにしよう。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック