森先生の退官記念講演とパーティに参加して来た。あのとき、私はみんなが話していた感慨とは別の気持ちを抱いていた。私にとってはすべてが懐かしい話だった。森先生は反骨でないものは学問ではないと言われたけれども、私は反骨精神を持った森先生や和田先生の講義を割と素直に聞いていたので、内容は骨の髄までと言ったら、そこまでは習得出来てないかもしれないが、しかし、私の思考パターンの根幹を形成している(もっとも、あるとき、和田先生に「私はそもそも和田先生で自動車産業史を勉強したので、和田先生がスタンダードです」と言ったら、困った先生に「それは変わってる」と返されたが)。

『雇用関係の生成』と『イギリス農業政策史』を比べたとき、前者の方が圧倒的に魅力なのはほとんど森先生に師事したものならば、異論がないのではないかと思う。これは繰り返すまでもないが、私ら労働の院生でおよそ『雇用関係の生成』を読んで、衝撃を受けるというのが多分、私くらいまでは通過儀礼だった。具体的に誰と誰が影響を受けたか確認できるレベルである。でも、『イギリス農業政策史』を書かれていく時期に近くにいた私は稲葉さんや稲葉さんが紹介している森先生自身とも別の意見を持っている。

一つは、この時期の森先生は八幡製鉄の労使関係とイギリス関連の仕事を並行されてなさっていた。このため、あるテーマへの集中度がどうしても分散されてしまった。第二に、森先生はこの時期、実証と重なる理論の探求をあんまりなさっていなかった。いつかヴェーバーをまた、ドイツ語で少し読み始めたんですよ、というのは聞いたことがあったけれども、先生のその理論的探求はおそらく八幡の労使関係に大きな影響を与えていないと思う。森先生が理論的な研鑽を積まれたのはバークレーに行かれていたときで、これは決定的に『雇用関係の生成』に影響を与えている。トクヴィルから入るあの問題提起を何度読み返したことか。理論、実証(というか考証=資料を読む)では頭の使い方がまるで違う。そのバランスが資料を読むことに傾き過ぎたということだろう。私は八幡製鉄の労使関係にもまた、別の意見を持っているが、それは公刊論文にして戦うべきことだと思う。

個人的にはこの二年間、教育の分野に傾倒したり、色々あって、成果を全然出せていない。まして、昨年からは一種の天命だと思って復興支援に全力を傾注して来た。そのことは後悔していないが、やはり負い目があった。先生の話を聞いて久しぶりに研究の楽しさが胸に去来した。「復興支援ですっかり実践ばかりやっていて、研究はまったく出来ていません」と申し上げたら、「それはエライね」と仰られた。それだけが救いだった。
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