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今、賃金の入門書を書いているところなのだが、扱いに困るのが小池先生の議論である。みんな、知的熟練にばかり注目するが、小池先生の議論の中で知的熟練は必ずしも一番重要とは言えない。先生ご自身も一番の自信作と仰るのは『日本の賃金交渉』であり、これは企業封鎖的労働市場と呼ばれていた当時の常識を引っくり返し、企業間の連携などで事実上、産別が賃金水準を作っていることを実証したものである。佐野陽子先生たちの慶応グループ(ボスは辻村江太郎)となさった『賃金交渉の行動科学』では「産業間賃金波及をめぐる諸見解」「産業を超えた賃金波及」を書かれている。以上のことを踏まえると、小池先生の議論が内部労働市場論や企業内の狭い範囲だけで語られるのはとても違和感がある。

というよりも、小池先生のパースペクティブを大企業の狭い範囲に限って理解するのは非常なる誤解である。それを知るためには『仕事の経済学』でも「基礎理論と段階論」の章を理解する必要がある。でも、これを読んでも詳しいことはよく分からないから『賃金』を読まなければならない。小池先生は若いときに宇野経済学を使っていたのに後に近代経済学に移って行ったと誤解している人に偶に出会うことがあるが、先生ご自身はその大きいフレームワークをほとんど変えていないと思う。

「基礎理論と段階論」は言うまでもなく、かつての「原理論」「段階論」「現状分析」の前二者に当たる。ただ、小池先生が採用したのはこの枠組みだけであって、段階論における時期区分などは名称において宇野経済学のそれを援用しているけれども、その区分をする基準はオリジナルである(枠組みだけ使うのは山本潔先生も同じであった)。それは最初から技能(かつては熟練)育成の方法であり、19世紀のクラフト型、20世紀の大企業型という想定があった。問題は『賃金』のときには「原理論」から順番に説明されていたので、もっとも抽象度の高いところから、徐々に具体性の高いところをカバーするようになっていったのだが、『仕事の経済学』では具体的な話と理論の関係がよく交叉するので、見通しが悪い(先生ご本人にもお話ししたところ、本人には分からないとのことだった)。もっぱら大企業の工場労働者を対象にしたのは、それが20世紀を代表するタイプだという暗黙の前提がある。そこに反論を立ててもよいが、もし段階論に乗っかるのならば、私はこの点は特に問題ないように思う。ただし、私は段階論という発想自体が歴史の扱い方としてあまり好きではない。宇野理論的な言い方だったら、歴史研究は現状分析の歴史部門で十分である。

以上の位置づけを前提にして大企業の工場労働者の話を考える必要がある。小池先生ご自身は人的資本論を援用して知的熟練を説明されたが、私はその真骨頂はむしろ、内部労働市場論に共鳴すると思っている。ピオレたちの内部労働市場論はそんなにオリジナリティはない。それに先行するカーやダンロップ(彼らの師匠)がいるからだ。小池先生はダンロップのジョブ・ラダー仮説の方が御自分より少し早かったが、彼らの議論は同時期には知らず、後から読んだので、影響は受けていなかったと仰った(本当はダンロップの書評、というか紹介論文が古い経営志林に書かれていて、それが家の部屋のどこかに眠っているはずなのだが、発見できなかった)。先生がピオレたちを評価するのは数多くの企業を調査したという点に掛かっていて、『仕事の経済学』でもその点を高く評価されている。理論的には、人的資本論とダンロップの慣習説に乗っているのだが、具体的に何かというと、機械のクセとかの話になる。でも、ここらあたりはアメリカの製造業ブルーカラーを対象としていたから、当然なのかなとも思う(先任権はアメリカ独自の強力な慣習だもの)。一応、その定義でドーリンジャーとピオレは「管理」ということを言っているのだが、あんまりアメリカではそれがビビットに響かない。むしろ、日本を対象にした小池先生がキャリアの組み方を問題にしたことの方が大きい意味がある。この点は文献的にはKoike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comparative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984がもっともよいと思っている。何れにせよ、小池先生のキャリアの組み方論の方が彼らが言う「管理」をうまくあらわしている。ただ、これは賃金と切り離して考える事が出来る。

本当に厄介なのは人的資本論とのかかわりである。人的資本論は右肩上がりの賃金カーブを説明する理屈なので、賃金と関係が深い。一般熟練とか、企業熟練とか、単純に言われているが、問題はそんなことよりも、前提として賃金と限界生産性が一致するという前提である。これは現実をある局面から理解するための道具=理論としてはいいし、こういう理論の発展のさせ方は先人の業績を深化させているという点で理想的である(暗黙の契約理論や情報の非対称性などは今度は人的資本論を梃子に別の展開をさせており、これはこれで素晴らしい)。だが、現実を説明するにはあまりにも頼りない。日本の大企業の賃金は賃金体系という名前がピッタリ合うように、複雑に構成されているからである。それまで問題なかったのは、個人の賃金よりも、全体の賃金水準、すなわち、賃金率を対象にしていたからである。実証的には、技能が問題になった瞬間、ミクロな個人の話になるから、そうなると賃金率は使えない。うーん、難しい。

ちなみに、野村先生は仕事表の実在を問題にしたが、私はそんなことよりも仕事表が実際の賃金にどの程度、フィードバックされているのかという点の証明が遥かに難しいと思う。トヨタはたしかに能率給部分(名前は今は違うと思うが)が昔から根強く残っており、それはそれで良いのだが、問題はそれとは別に基本給があることで、その中にも査定でこの仕事表を利用すれば、入り込むだろうけれども、全体的には基本給の決定プロセスを明らかにするのは困難を極める。ここをどう考えるかは悩ましい。

一日、簡単に書こう簡単に書こうと努力をしてきたので、ここではもう難しくても構わない、という気持ちで書いている。だから「原理論」も「段階論」も「現状分析」も説明しない。本にも絶対に入れない。私はその昔、古谷さんというマニアックな先輩がいたので、その胸を借りて随分、宇野経済学の論文や本を読んだが、今さら、それが現代の読者にとって意味があることだとは思わない。それでも理解したいと思ったら、全体がなかなか精妙に出来あがっているので、とにかく日高普『経済学』あたりで全体像を掴まないといけない。それは忙しい現代の読者には不親切だろう。というか、このエントリも入門書には無理だよな。頭が痛いところだ。
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