年末から戦後の賃金史を考えていて、その絡みで労働運動の歴史も考えていたわけですが、やっぱり賃金を勉強する際に労働組合のあり方という、やや大上段に構えた問題を考えないといけないと思います。私はずっと言っているのは、労働組合は本来、熟練工から始まったのであり、腕があるということこそが交渉力の源なんだ、ということです。それを忘れてしまってはいけない。これは言い換えれば、ビジネス・ユニオニズムと言ってもいい。

それでも、労働組合運動は、その運動の本質として、おそらく二つの情熱があった。その一つは間違いなくビジネス・ユニオニズム。そして、もう一方はソーシャル・ユニオニズム。実は連合が出来た後、遅々たる歩みではあっても、ソーシャル・ユニオニズムが少しずつ進んできていた。そして、00年代以降、苅谷学力論争から格差社会へと論壇のシフトがあって、派遣村などに象徴される貧困の問題、非正規と正規の格差の問題が取り上げられることになって、活動としてはユニオンであったり、まぁ、こちらのソーシャル・ユニオニズムが重要になってきました。

でも、もう一つ、今は歴史のかなたに消えてしまった「ポリティカル・ユニオニズム」というのもあったと思うんですね。でも、あんまりこういう言葉はない。試しに英語でググってみましたが、まったくないわけじゃないけれども、人口に膾炙した言葉とは言えないですね。でも、1920年代の世界大恐慌を境に、経済五カ年計画に代表されるソ連の統制経済と、欧米の市場経済との対立があって、それは実は政治体制およびイデオロギーとも深く結びついていた。日本でいえば、左派は総評、新産別、右派は同盟系、中立が中立労連という形で対応していた。1940年代後半はやはりポリティカル・ユニオニズムの時代だったといっていいと思います。それが、総評でも55年を境に転換していく。55年というのは高野実から岩井章に事務局長がスイッチした年です。こうしていわゆる「岩井・太田ライン」が出来て、春闘が作られていく。これは結果的にはポリティカル・ユニオニズムからビジネス・ユニオニズムへのスイッチだったと言えるのではないかと今は考えています。同時に、この年、日本生産性本部が出来ます。そして、右派は協調的労使関係の御旗のもと、この運動に協力して行きます。ここからはビジネス・ユニオニズムの中での左右の主導権争いがあって、それが最終的に右派が勝って、IMF-JCなどの基幹産業、そしてそれを支える大企業の覇権になっていく。その帰結が連合結成になる。

こんな風に書くと誤解を生むかもしれないけれども、ポリティカル・ユニオニズムという言葉がものすごくフィットするのは日本なんじゃないかなと思います。それは組合活動がやはり圧倒的に興隆した時代がまさに冷戦構造が出来上がっていった時代とパラレルであったことが大きい。19世紀から第二次大戦まで国家というものがワッと大きくなっていった。その幻想から覚めていくのがおそらく1970年代以降、戦時国家の鬼子であった福祉国家が見直されるときでした。でも、日本では55年に転機があったと考えたい。この場合、私が重視しているのは春闘です。

私見では、ソーシャル・ユニオニズムは社民主義、労働組合主義として育っていくのが自然だったと思います。こう書いてどこまで理解してもらえるか分かりませんが、それがチェスタートンのイメージする保守であり、ヨーロッパ的には社民主義に落ち着くからです。でも、日本ではソーシャルの意味がポリティカル・ユニオニズムの文脈にみんな引き取られて来た戦後の歴史がありました。

と、まあ、本当は80年代以降のことを書きたいんですが、とりあえず、ここでこの思考はストップでいいかな。あとはヨーロッパの保守思想もちゃんと勉強したいんだけど、それは賃金の勉強が終わってからだなあ。
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