ポリティカル・ユニオニズムに濱口さんが反応してくださって、問題提起してくださったのですが、私の率直な感想で言うと、企業別下部構造などというものはアプリオリに存在していたわけではない、ということを主張したいと思います。そもそも、企業別組合は戦後に出来たものです。

まず、スタートは戦後の総同盟や新産別の組合再建の方が早かった。これが第一。つまり、ナショナル・センター主導で始まったということがポイントです。おそらく、もし日本の労働組合の本質というものがあるとすれば、労働組合というものがその黎明期においてインテリをエンジンにしていた経験を持つというところにあるのではないでしょうか。それが右派系の場合、というか、総同盟(戦前のですよ)は鈴木文治から松岡駒吉ないし西尾末広に上手にスイッチすることが出来た。もし、1921年に棚橋小虎がやめていなかったら、事態は少し違う方向に向かっていったかもしれません。でも、松岡が中心でよかったと思います。

先ごろは端折って書きましたが、正確に考えるならば、日本の労働組合が最初に飛躍的に発展するのはロシア革命の影響です。1920年ごろの総同盟のアジびらを読めば、後に共産党で暗躍する野坂だけではなく、鈴木文治や松岡駒吉だってどうしてどうしてロシア革命の影響を受けています。影響というのがひっかかるなら、刺激を受けていると言い換えましょう。何度でも言いますが、日本の労働運動の基盤はナショナル・センターにありました。だからこそ、ポリティカル・ユニオニズムというものが先行した。これは致し方なかった面があります。

協調的労使関係という言葉は誤解を生みやすいので、大分注意して使いたいんですが、協調的労使関係を掲げていても社民右派というのは基本的に戦闘的です。なかなか戦わないけど、戦い出したら、徹底的にやり通す。どうも歴史的にそういう傾向があるみたいです。

で、たぶん、誤解のもとなのは、欧米のビジネス・ユニオニズムはその下部構造にトレード・ユニオニズムを持っていて、しかも、それがソーシャル・ユニオニズムの母体にもなっているという点が重要です。これが結局、日本は作れなかった。でも、ソーシャル・ユニオニズムは慈善活動なんかともつながっているので、そういう鉱脈は日本にはもともとないのです。いや、正確に言えばありますよ。講のような組織はそれですね。でも、そこと組合活動は結びついていない。初期のトレード・ユニオンが秘教的儀式をやっていたことはよく知られていますが、日本はせいぜい友愛会の結党式が芝の教会でやられたという程度です。キリシタンですからね、在来宗教と結びつかなかったわけです。よい悪いは別にして。

まぁこの秘教的雰囲気は既に19世紀にはなかったわけですが、それにしてもです。ここから近代に対応するべく、ヨーロッパは濱口先生の言葉に合わせるならば、ジョブ型に組みなおしていく。日本は地域別、地区別からスタート。地区といっても大きい事業所は一つ。その事業所は地区の色合いが強かったけれども、それが1920年代の紡績、具体的に言って富士紡から、事業所間の企業内連携を意図的にやる。それを指揮したのは松岡です。その富士紡も戦後に事業所別組合の元トップが集まって、連合的な企業別組合を作る。その上部団体が言うまでもなく全繊同盟(現UAゼンセン)なわけですが、ゼンセン同盟の統制力が弱かったことがあったでしょうか。こういうことを踏まえるならば、もし上部団体の力が弱かったとすると、それはナショナル・センターや産別の経営能力の問題だと僕は考えているのです。
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