濱口先生に「集団的労使関係なき権利教育は「窮鼠猫を噛む」か」というリプライをいただきました。ええ、分かってますとも。ただ、今、僕のまわりの人が変わってきて、百姓一揆の意味が交渉だなんて一言だけ書いても分からないので、こんな風に書いたのです。昔の専門家にさえ分かんなくていいや、という頃でしたら、前提にして書いたでしょうね笑。ちなみに、争議とか、一揆とかを交渉の一プロセスと捉える見方は、先年亡くなったホブズボームが機械打ち毀し運動で有名なラッダイド運動に採用したものです。でも、一つずつ説明すると、ディレッタントな気分なんだよな。

まあ、さりはさりとて、基本的な問題意識はそんなに変わりません。ただ僕が言いたいのは集団的労使関係でも個別労使関係でさえもないんですね。分かりやすく言ってしまえば、ゼミで違うと思ってるんなら手を上げて言えよ、というくらいのものです。じゃあ、なんで百姓一揆なのかということですが・・・。

百姓一揆を使ったのは僕が今いる大槌が三閉伊郡一揆の中心地だったからですが、まあ、百姓一揆というのは命をかけた異議申し立てなんで、みんなの記憶に残る反抗はこの一揆であり、命をかけての方が記憶に残ってるわけで、その交渉プロセスなんて誰も興味ないのです。であるならば、少なくとも今の世の中、交渉するのは命がけじゃなくても出来るから、というメッセージの方が大事なんです。

そんなことは多分、先刻承知で、これを機会に集団的労使関係と個別労使関係の重要性を盛り上げようというのが濱口先生の意図だとは思いますが、無理です。そもそも労働組合運動がユニオンと理解されかねない形勢ですよ。個人的労使関係を解決するのに組合が出て来て、会社が相手にしないと団体交渉権違反を勝ち取るんですから、それじゃ組合の法的に保障された強さは実感できるかもしれませんが、団体交渉のなんたるかは全然分からない。

交渉という言葉がまずかったかもしれませんね。僕が言う交渉というのは、こうやっていつもみたいに濱口先生とのやりとりも含めて考えてるんです。こういうやり取りは別に最初からゴールが決まってるわけではなくて、お互いに途中ゴールみたいな意図は込めるけど、そこからズレて行って、面白い展開になることもある。それもでもお互い言い合わないと成立しない。でも「よく濱口先生とあんな風にやりとりできますね」としばしば言われて、「何言ってるんだ、お前」と思う僕は日々、絶望しているわけです。罵倒し合いじゃない生産的な議論ってあるんですよ、というのを伝えたかったのになあ。伝わってないんですよね。自分でやれないと思っちゃうんですかね。楽しいのになー。
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