2013年11月05日 (火)
何度聞いても、名前を覚えられない・・・。昨日、大槌・釜石地区の住民会議に出席しました。初めての試みといっても、僕も含めて、学者の方も何人も入られていて、みなさん、黒子役に徹していました。僕は喋っちゃいましたが。正直に言うと、今後の課題も多いと思います。でも、第一回としては大盛況だったと思います。個人的な失敗は片方の襟がセーターが出ていない状態でNHKさんのニュースで放映されたことでしょうか。髭もそってないし、ひどい・・・。
それはともかく、僕が何を喋ったかというと、安渡のお母ちゃんたちの気持ちを代弁したんです。スタートから昔の良かったことを話してもらいました。その後、震災後、どうしたいかという話をしました。次に町方の人の気持ちも聞いたんですが、それは全体ではお話ししませんでした。タイミングを逸したというか。
震災で近所がなくなってしまった。友人は遠く離れて会えない、内陸に行った人もいる。小さい子どもも高齢者も一緒に安心して暮らせる住みやすい町になって欲しい。というのが彼女たちの一番の願いでした。これだけを聞くとそれはそうだよなという内容ですが、じつはそこには震災前の具体的なイメージがあります。
大槌町安渡はもともと住民の繋がりが強い地区で、公民館運動もさかんでした。そこでは公民館まつり(芸能発表会あり)、盆踊り、部落運動会、世代間交流としてさつまいもを一緒に植える、小正月のみづきだんご作り、8月6日の大仏さんまつり(つけげまんじゅう)、六大工さんで安渡小学校の児童が新巻鮭づくり体験(六大工さんは今は大ヶ口で旅館を経営されています)、漁協婦人部と安小児童によるさけ汁づくり体験、小学校低学年のさけの稚魚放流といった年中行事に、月一回のお茶っ子。このお茶っ子は高齢者が自分で歩いてきて自分で歩いて帰るのがポイントだったそうです。
でも、大槌では小学校も統合され、安渡小学校は廃校になりました。震災前は水産加工があって、そこで若いお母さんたちは働いて、安渡保育所に子どもを預けていました。今のままで果たして子どもたちは戻ってくるのか、それがみんなの心配ごとでした。また、住む場所も問題です。住む場所の問題というと、すぐ浸水域か高台かといった話になりますが、ここで出てきた話はそういう種類の話ではありません。まず公営住宅に個人だけでなく、希望地域で入れて欲しいということでした。さらに、震災で家族を亡くされたお母さんたちは、長年住み慣れた安渡に残るのか、実家に戻るのがよいのか、迷っている方もいるそうです。
僕は発表のときに、コアな安渡の話をします。といって、語り始めたわけですが、神は細部に宿り給う、実は問題は安渡にとどまらないわけです。やはり同じような地区を超えて課題を抱えていて、だからこそ一般性、普遍性を読み取らなければならない。最後の家族を亡くしたお母さんがどこに戻るのかというのは、ある意味、沿岸の地域的な構造をビビッドにあらわしているのです。沿岸は地区の連帯、あるいは縛りがとても強いけれども、実は女の人たちは結婚によってその縛りを超えていく。沿岸では離婚率が高く、ことに吉里吉里などはいわゆる出戻りが多いといわれています。統計的にとったわけではないので、正確かどうか分かりませんが、吉里吉里はお金を持っている人が多いので娘を呼び戻すと聞いてきましたが、多分、吉里吉里に限らず、子どもの頃から地域で育てられているので、受け入れる包容力があるのだと思います。でも、若いうちに戻ってくるのは戻って来やすいかもしれませんが、何十年経つとやはり、状況は変わってくる。長く暮らした土地がよいのか、自分の故郷の地区がよいのか、正解はありません。ただ、そこに難しい問題が横たわっていることはたしかです。
この企画を持ってきたグループが防潮堤反対というか、防潮堤を考え直すという志向を持っていたので、ニュースなんかはそういうところがクローズアップされたけれども、住民の意見はそれだけにとどまらなかったんです。そして、そのことの方が重要です。
僕はすごく印象に残っていたのは赤浜の古舘さんでした。古舘さんは大槌婦人連合会の副会長でもあるんですが、はまゆりの復元プロジェクトを推進しようとしています。個人的には僕はこの案にあまり賛成ではないんだけど、古舘さんが女のくせにとか暴力的に最初から話を聞いてもらえないことが多い、だから、そういう風にさえぎらないで欲しいということをおっしゃって、その勇気にとても心打たれました。
超えていくべき課題は防潮堤だけではないんです。とりあえず、お母ちゃんたちの知恵を聴いて、それを町づくりに活かす、そういう経路をちゃんと考えたいなと僕は思いました。他にもいろいろ思うところはありますが、それは追々、書いていきましょう。
それはともかく、僕が何を喋ったかというと、安渡のお母ちゃんたちの気持ちを代弁したんです。スタートから昔の良かったことを話してもらいました。その後、震災後、どうしたいかという話をしました。次に町方の人の気持ちも聞いたんですが、それは全体ではお話ししませんでした。タイミングを逸したというか。
震災で近所がなくなってしまった。友人は遠く離れて会えない、内陸に行った人もいる。小さい子どもも高齢者も一緒に安心して暮らせる住みやすい町になって欲しい。というのが彼女たちの一番の願いでした。これだけを聞くとそれはそうだよなという内容ですが、じつはそこには震災前の具体的なイメージがあります。
大槌町安渡はもともと住民の繋がりが強い地区で、公民館運動もさかんでした。そこでは公民館まつり(芸能発表会あり)、盆踊り、部落運動会、世代間交流としてさつまいもを一緒に植える、小正月のみづきだんご作り、8月6日の大仏さんまつり(つけげまんじゅう)、六大工さんで安渡小学校の児童が新巻鮭づくり体験(六大工さんは今は大ヶ口で旅館を経営されています)、漁協婦人部と安小児童によるさけ汁づくり体験、小学校低学年のさけの稚魚放流といった年中行事に、月一回のお茶っ子。このお茶っ子は高齢者が自分で歩いてきて自分で歩いて帰るのがポイントだったそうです。
でも、大槌では小学校も統合され、安渡小学校は廃校になりました。震災前は水産加工があって、そこで若いお母さんたちは働いて、安渡保育所に子どもを預けていました。今のままで果たして子どもたちは戻ってくるのか、それがみんなの心配ごとでした。また、住む場所も問題です。住む場所の問題というと、すぐ浸水域か高台かといった話になりますが、ここで出てきた話はそういう種類の話ではありません。まず公営住宅に個人だけでなく、希望地域で入れて欲しいということでした。さらに、震災で家族を亡くされたお母さんたちは、長年住み慣れた安渡に残るのか、実家に戻るのがよいのか、迷っている方もいるそうです。
僕は発表のときに、コアな安渡の話をします。といって、語り始めたわけですが、神は細部に宿り給う、実は問題は安渡にとどまらないわけです。やはり同じような地区を超えて課題を抱えていて、だからこそ一般性、普遍性を読み取らなければならない。最後の家族を亡くしたお母さんがどこに戻るのかというのは、ある意味、沿岸の地域的な構造をビビッドにあらわしているのです。沿岸は地区の連帯、あるいは縛りがとても強いけれども、実は女の人たちは結婚によってその縛りを超えていく。沿岸では離婚率が高く、ことに吉里吉里などはいわゆる出戻りが多いといわれています。統計的にとったわけではないので、正確かどうか分かりませんが、吉里吉里はお金を持っている人が多いので娘を呼び戻すと聞いてきましたが、多分、吉里吉里に限らず、子どもの頃から地域で育てられているので、受け入れる包容力があるのだと思います。でも、若いうちに戻ってくるのは戻って来やすいかもしれませんが、何十年経つとやはり、状況は変わってくる。長く暮らした土地がよいのか、自分の故郷の地区がよいのか、正解はありません。ただ、そこに難しい問題が横たわっていることはたしかです。
この企画を持ってきたグループが防潮堤反対というか、防潮堤を考え直すという志向を持っていたので、ニュースなんかはそういうところがクローズアップされたけれども、住民の意見はそれだけにとどまらなかったんです。そして、そのことの方が重要です。
僕はすごく印象に残っていたのは赤浜の古舘さんでした。古舘さんは大槌婦人連合会の副会長でもあるんですが、はまゆりの復元プロジェクトを推進しようとしています。個人的には僕はこの案にあまり賛成ではないんだけど、古舘さんが女のくせにとか暴力的に最初から話を聞いてもらえないことが多い、だから、そういう風にさえぎらないで欲しいということをおっしゃって、その勇気にとても心打たれました。
超えていくべき課題は防潮堤だけではないんです。とりあえず、お母ちゃんたちの知恵を聴いて、それを町づくりに活かす、そういう経路をちゃんと考えたいなと僕は思いました。他にもいろいろ思うところはありますが、それは追々、書いていきましょう。
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貴兄のブログを大変面白く拝見させていただきました。
最近どういうわけか中国人の大学生、院生達に日本語で書いた論文の修正、校正を頼まれる機会が多くなりました。
日中の経済や交流の歴史についてのものが多数を占めていますが、小池和男先生の著書からの引用がとりわけ(やたら(笑))多いのです。
恥ずかしながら愚拙は小池先生の活動内容に関しては全くの無知でありまして、その経緯でこちらに辿り着きました。
中立な学者さんらしい分析、情報は大変面白く二時間ほど時間を経つのも忘れ拝読させていただきました。
引き続き金子先生のブログを楽しみにしております。
これから寒い季節ですがご自愛下さいませ。ご健勝をおいのりしております。
最近どういうわけか中国人の大学生、院生達に日本語で書いた論文の修正、校正を頼まれる機会が多くなりました。
日中の経済や交流の歴史についてのものが多数を占めていますが、小池和男先生の著書からの引用がとりわけ(やたら(笑))多いのです。
恥ずかしながら愚拙は小池先生の活動内容に関しては全くの無知でありまして、その経緯でこちらに辿り着きました。
中立な学者さんらしい分析、情報は大変面白く二時間ほど時間を経つのも忘れ拝読させていただきました。
引き続き金子先生のブログを楽しみにしております。
これから寒い季節ですがご自愛下さいませ。ご健勝をおいのりしております。
2013/11/09(Sat) 04:43 | URL | 通りすがり | 【編集】
ありがとうございます。中国の方が小池先生を引用するというのは、なんでなんでしょう。それはそれで面白い現象です。あんまりブログを書く時間がなくなったので、前のようにゆったりしたエントリを書くという風にはいきませんが、今度、本を出したので、その反応なんかを書いていきたいと思います。気軽にお付き合いください。よろしくお願いします。
2013/11/10(Sun) 13:25 | URL | 金子良事 | 【編集】
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