2013年11月16日 (土)
朝日新聞の澤路さんが昔のツイートを拾ってくださって、ふと、今考えていることとリンクしたので、メモ代わりに書いておきます。
最近、考えているのは、今現在進めている、戦前から産報にかけての労働組合をどう理解するかという問題なんですが、そこで1920年代の産業合理化を契機に、分配問題から生産問題へという主張があったことに気が付いたんです。昨日、この点はつぶやきましたが、1929年の大恐慌を契機に、有効需要不足に陥ったわけです。それが産業合理化運動にもつながっていく。でも、産業合理化運動自体は無駄をなくして、むしろ生産していくというロジックなんですね。
すごく大雑把に言うと、1920年代までの労働運動は左右問わず、基本的には階級闘争史観だった。それに反発したのが日本主義組合ですが、これは少数派。だって、総同盟右派、いわゆる社民右派が右翼と呼ばれていたわけですから、今の私たちの感覚からいうと、ちょっと理解しづらい。でも、階級闘争史観というのは、資本主義の横暴に対して労働組合は物申す、というのが共通しています。ざっくり言ってしまえば、その物申し方の方針の違いで、政治活動をやり、喧嘩して行ったのです。そういうゴタゴタが企業別組合を志向させていく。
実は、これは戦後もある意味、同じだったと言えなくもない。結局、同盟は分裂してからもずっと労働戦線統一ということは考えていた。でも、それが結局、実現できなかった。だから、連合結成も民間大企業の動きが決定的になったという経緯があります。それはよくもわるくも、ソーシャルであるよりも、ポリティカルであるということに重きを置かざるを得なかったという歴史的事情がある。
工業倶楽部が戦前、労働組合に賛成しなかったのも結局はそこです。総同盟が東京製綱でどんなに立派な実践をやっていても、それはだって、松岡がいるからでしょ?と思われていた。松岡がいなくなったら、綱領なんて簡単に変わるでしょう、という疑念があった。この時代ですから、組合も資本家もいつ殺されるか分からない。総同盟が現実路線に戻ったと言っても、階級闘争主義は残っているし、信用ならんというのが根底にありました。組織としての一貫性はあやしい。それは半分くらいは工業倶楽部の人たちが正しい。だって、友愛会=総同盟は創業から40年の半分くらい、1910年代後半から10年、それから戦後の総評が出来る直前まで何度も右と左の間を行ったり来たりしている。松岡は一貫していたかもしれないけれども、組織としてはフラフラしていたと評価されても仕方ない面があります。
幸か不幸か、日本のソーシャル運動がもっとも輝かしい時代に最重要な運動の一つが大正デモクラシーだった。大正デモクラシーはなにも普通選挙権獲得だけが活動の全体ではないんですが、みんなそう思った。だから、ポリティカルにならざるを得なくなった。ここに不幸があったんですね。その代わり、ポリティカルとソーシャルが結びついて、ポリティカルを嫌った人がソーシャルまでも一緒に投げ捨てるという事態が起こった。その代わり、組合活動はビジネスユニオニズムで行く。これは同盟系の運動方針、生産性向上に協力するという戦後の方針、戦前の産業能率増進に協力するという総同盟の方針とも一致するわけです。
でも、こうなってくると、もう分配より生産全盛なんですね。一応、戦前から臨時工問題は一貫してやっていますよ。1920年代から高度成長に至っても。でも、それも生産が全部、分配を解消するみたいな話になってしまった。事実、臨時工問題は生産が解決してしまったかのように見えたわけです。ビジネスがポリティカルとソーシャルを乗り越えて行ってしまった。それは分配から生産へという大河内社会政策論の道でもあった。でも、今、それは行き詰まっています。
詳しく説明しないで、宣言だけします。忙しいからです。我々は今、ソーシャルということを改めて考え直さなければならない時期に来ている。一応、組合も1990年代からそういう問題意識を持っていて、連合だってそういう動きはある。たとえば、高木郁朗先生の『共助と連帯』はそういう問題意識で書かれています。また、中村圭介『地域を繋ぐ』もそういう問題意識で書かれている。中村先生なんかそういうことを考える人なのかと驚きました。でも、両方、よい本だけど、売れてなくて絶版。
ポリティカルが死んで、ソーシャルも死んだ。もちろん、NPOその他、新しい社会の動きは出ています。でも、私はまだよく分からない。正直、私が信頼に足る歴史はまだ書かれていません。信頼に足るとは現代の問題を考える腹の据わった歴史という意味です。ただ、私ももう傍観者ではなくて、一プレイヤーとして参加していますので、全部は書きませんが、このあたりのことはみんなで考えていきましょう。
なんかここまでブラック企業の問題なんかが世の中を覆ってくると、大河内先生の「総資本による総労働の保全」としての社会政策こそが一番、大事なんじゃないかと時々、思えてくる。
https://twitter.com/ryojikaneko/status/372741253437210624
最近、考えているのは、今現在進めている、戦前から産報にかけての労働組合をどう理解するかという問題なんですが、そこで1920年代の産業合理化を契機に、分配問題から生産問題へという主張があったことに気が付いたんです。昨日、この点はつぶやきましたが、1929年の大恐慌を契機に、有効需要不足に陥ったわけです。それが産業合理化運動にもつながっていく。でも、産業合理化運動自体は無駄をなくして、むしろ生産していくというロジックなんですね。
すごく大雑把に言うと、1920年代までの労働運動は左右問わず、基本的には階級闘争史観だった。それに反発したのが日本主義組合ですが、これは少数派。だって、総同盟右派、いわゆる社民右派が右翼と呼ばれていたわけですから、今の私たちの感覚からいうと、ちょっと理解しづらい。でも、階級闘争史観というのは、資本主義の横暴に対して労働組合は物申す、というのが共通しています。ざっくり言ってしまえば、その物申し方の方針の違いで、政治活動をやり、喧嘩して行ったのです。そういうゴタゴタが企業別組合を志向させていく。
実は、これは戦後もある意味、同じだったと言えなくもない。結局、同盟は分裂してからもずっと労働戦線統一ということは考えていた。でも、それが結局、実現できなかった。だから、連合結成も民間大企業の動きが決定的になったという経緯があります。それはよくもわるくも、ソーシャルであるよりも、ポリティカルであるということに重きを置かざるを得なかったという歴史的事情がある。
工業倶楽部が戦前、労働組合に賛成しなかったのも結局はそこです。総同盟が東京製綱でどんなに立派な実践をやっていても、それはだって、松岡がいるからでしょ?と思われていた。松岡がいなくなったら、綱領なんて簡単に変わるでしょう、という疑念があった。この時代ですから、組合も資本家もいつ殺されるか分からない。総同盟が現実路線に戻ったと言っても、階級闘争主義は残っているし、信用ならんというのが根底にありました。組織としての一貫性はあやしい。それは半分くらいは工業倶楽部の人たちが正しい。だって、友愛会=総同盟は創業から40年の半分くらい、1910年代後半から10年、それから戦後の総評が出来る直前まで何度も右と左の間を行ったり来たりしている。松岡は一貫していたかもしれないけれども、組織としてはフラフラしていたと評価されても仕方ない面があります。
幸か不幸か、日本のソーシャル運動がもっとも輝かしい時代に最重要な運動の一つが大正デモクラシーだった。大正デモクラシーはなにも普通選挙権獲得だけが活動の全体ではないんですが、みんなそう思った。だから、ポリティカルにならざるを得なくなった。ここに不幸があったんですね。その代わり、ポリティカルとソーシャルが結びついて、ポリティカルを嫌った人がソーシャルまでも一緒に投げ捨てるという事態が起こった。その代わり、組合活動はビジネスユニオニズムで行く。これは同盟系の運動方針、生産性向上に協力するという戦後の方針、戦前の産業能率増進に協力するという総同盟の方針とも一致するわけです。
でも、こうなってくると、もう分配より生産全盛なんですね。一応、戦前から臨時工問題は一貫してやっていますよ。1920年代から高度成長に至っても。でも、それも生産が全部、分配を解消するみたいな話になってしまった。事実、臨時工問題は生産が解決してしまったかのように見えたわけです。ビジネスがポリティカルとソーシャルを乗り越えて行ってしまった。それは分配から生産へという大河内社会政策論の道でもあった。でも、今、それは行き詰まっています。
詳しく説明しないで、宣言だけします。忙しいからです。我々は今、ソーシャルということを改めて考え直さなければならない時期に来ている。一応、組合も1990年代からそういう問題意識を持っていて、連合だってそういう動きはある。たとえば、高木郁朗先生の『共助と連帯』はそういう問題意識で書かれています。また、中村圭介『地域を繋ぐ』もそういう問題意識で書かれている。中村先生なんかそういうことを考える人なのかと驚きました。でも、両方、よい本だけど、売れてなくて絶版。
ポリティカルが死んで、ソーシャルも死んだ。もちろん、NPOその他、新しい社会の動きは出ています。でも、私はまだよく分からない。正直、私が信頼に足る歴史はまだ書かれていません。信頼に足るとは現代の問題を考える腹の据わった歴史という意味です。ただ、私ももう傍観者ではなくて、一プレイヤーとして参加していますので、全部は書きませんが、このあたりのことはみんなで考えていきましょう。
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