前回のブログのなかで、被災地で心理的ケアなどをやっても、焼け石に水であると書いたところ、ツイッターで拡散される過程でいくつか両方、大事なんだよという意見などもいただいた。それはそうなんだけど、説明するのも難しいから放っておいた。しかし、昨日、参加してきた岩手大学三陸復興シンポジウムのなかで、多分、カウンセリングの勉強中ですが、資格が取れたら、ぜひ被災地の方のためにお手伝いしたいという申し出をした方がいらっしゃった。後者は残念ながら、何重の意味でも不幸な勘違いである。

まず、カウンセラーや教師、保育士あるいは福祉職というのは、資格を取った瞬間に一人前になれるわけではない。ここでいう一人前というのは自分が人に教わらなくとも一通りの仕事が出来、かつその仕事内容を新人に教えることが出来るようになるというレベルである。そういう能力はOJTで培っていくものである。対人関係の仕事は経験が重要であることは言うまでもないだろう。

そもそも、東北の人の気質は関東の人間とは違う。さらに、関西の人間とはもっと違う。地域による差というのは厳としてあって、それは首都圏内くらいだったら、気にならないかもしれないが、東北被災地に行くとなると、決定的に違うと言わざるを得ない。ということは、そもそも震災があろうとなかろうと、そういうところに入って行ってコミュニケーションを取るのは困難なのである。お店に入ってそういうサービスを期待するのは難しいかもしれないが、旅の人として道で話しかけたら、意外とうまくいくかもしれない。いずれにせよ、こうした条件に震災という大きな経験が加わるのである。ハッキリ言って、難しいの上に、いくつか難しいを積み重ねないと表現しきれない状況である。

そうして、根本的な勘違いは私のみるところ、心理職は資格によるべからずという原則が理解されていないということである。どういう事かと言えば、プロの技能をもっていて、それに矜持を持つのはとても大事だが、とりわけ自分でもちゃんとできるかどうかの不安を資格を取ったのだから大丈夫といった心のよりどころにしては絶対にいけないのである。この弱さは人を傷つける。それは震災であろうとなかろうと関係ない。そういう意味では、超高度な技能や経験を持っていない中途半端なカウンセラーや傾聴をやりたいだけのボランティアなどは不要であるどころか有害でさえある。

これに対して、案外外からの支援でうまく行くのは学生などの若者である。たしかに、私が経験した中でも、某関西の大学の学生のように救いようのない愚か者はいる。しかし、概して今の若い学生は謙虚である。したがって、普通に話をよく聞いて、それから後、自分たちのやるべきことを考える。そういう姿勢が多くの人を救う。しかも、そうやって誰かが明るくなると、みんなでその話を共有して、全体がまた、明るくなる。若さゆえの無垢というのはたしかにあるのだ。同時に、彼らもやはり、数年経験してくると、壁にぶつかる。そうなったときは、まわりがサポートできなければならない。

もちろん、学生じゃなくても長く支援活動に従事するうちにみんなと仲良くなって話を聞く機会の多い方も多いだろう。震災からこれだけ時間が経って、嫌われていない人は大丈夫である。そういう人たちは継続して活動し、一緒にいるだけで力になっている。難しいことを考える必要はない。ただ、聞いているだけで負担になる人は、罪悪感に囚われる前に誰かに相談した方がいい。私だったら相手が抱えている問題にも同化しないことを一つの方針としてお勧めするが、プロにアドバイスを受けた方がいい。プロを探すのは難しいが。

もう一つ、根幹の原理原則は地元の人の面倒は地元の人同士で声を掛けあうのが一番よいということである。沿岸地域で仮設支援員が少なからぬ混乱を引き起こしたのは、そんなものがなくても、自分たちでやれるという主張があり、しかもそれが本当にそうであったということが少なからずあったからである。これは福祉や支援の原則である「自立」の体現である。また、仮設支援員が急造されたために、技能が追いついていない場合があった。こういうものは誰にでも出来るわけではない。やはり、向き不向きがある。向いている人だけで人材を充足することなど出来ない。それは望外というものであろう。

ここがとても難しいところである。ハッキリ言って、私だったら、すっかりやる気になって新しいものを作ろうと今、もう取り組んでいるところに、津波被災で大変な経験をして気の毒だから支援したいと今さら投げ掛けられても、モチベーションが下がるだけである。そういうピント外れの支援を、私だったら一刀両断だが、被災地の人たちは慎み深い東北人だからそんな無碍な扱いはしないし、第一、支援を受けてきて、そんなことは申し訳なくて出来ないだろう。私が一刀両断できるのは、性格を別とすれば、私も支援者という立ち位置で同じだからである。それから、そもそも、たいへんな津波被災に同情する程度の根性では今、被災地で起こっているリアルタイムな悩みを引き受けることは出来ない。悪いことは言わない。やめた方がよい。誰のためにもならない。

こうした問題に取り組めるのは限られた人しかいない。外部ではそういうことに経験が深い団体、あるいはプロ、である。地元ではお寺さんや地元の世話役をしている人が図らずもそういう役割を担っている。行政、社協が頼りになるとは限らない。場所による。外部の人間はこれからこうした問題に関わっていくのならば、10年は継続する覚悟でやらなければならない。

私自身は被災者の心のケア支援などという特別なことはしていない。心のケアが何かは一応、こうやって考えてはいるけれども、それは被災地支援で心のケアや傾聴がどうしても重視されがちだからであり、そうである以上、総合的な視点で復興を考える私の立場からは、一つの現象として理解しておく必要があるからに過ぎない。私にとっては学生であれ、被災者であれ、友人であることに代わりはないので、話をしたいと相談されれば受けるし、また、会話の中でそういう展開になれば、結果的に長く話を聞いたということもある。それだけのことである。
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