ちょっとフライングなのですが、来月号で私の『日本の賃金を歴史から考える』を連合総研の早川さんが紹介して下さるそうなんです。その原稿を濱口先生のブログのコメント欄に書かれていて、ただ一つ気になる点があったので、今日はその点について少しお話ししておきたいと思います。

まず、皆さんがあまりご存じないかもしれないんですが、いわゆる「近経」と呼ばれる主流派経済学は、戦後の日本では傍流でした。その傍流を育ててきたのが金子美雄を総帥とするいわゆる金子グループです。金子グループは、理論的に最高レベルの孫田良平、佐々木孝男といった人から、民間企業の奥田健二、丹生谷龍といった人がとりあえず知られていると思います。賃金コンサルタントとして楠田丘や弥富賢之といった人もここに連なります。ただし、彼らは学術的グループではない。学術的な成果としては昭和同人会の名前で出している『わが国賃金構造の史的考察』や『我国完全雇用の意義と対策』などがありますが、何といっても重要なのは『日本労働運動史料』の第10巻、労働統計です。これは大河内一男先生が中心にフォード財団が資金を出した戦後最大のプロジェクトですが、この第10巻の事実上の編纂を金子さんから任されたのが孫田良平先生です。このプロジェクトを通じて、日本では一橋大学、慶応大学といったところの近代経済学の流れと連携が出来たと言われています。

孫田先生も佐々木先生も官庁統計のプロフェッショナルです。なにせ自分たちで作っていたわけですし、さらに歴史的なことも深めて研究されている。そういう立場から学者を啓蒙して行こうという意図を持っていた。孫田先生が折に触れておっしゃるんですが、佐々木先生と孫田先生はじつは中央労働学園の研究科(今の大学院)の同期で、大橋静市先生に習った。大橋先生は金子さんの厚生省賃金統制時代の上司で、先生が「金子のもとで3年間、修行してくるように」といって二人を送り出したそうです。だから、「佐々木君は労働者の味方だよ」と孫田先生はいつも仰っていました。だから、佐々木先生はいくつもの話を全部蹴って、連合総研を作って、その初代所長になった。でも、あまりに早くに亡くなられてしまった(師匠の金子さんより先に早く亡くなられています)。佐々木先生がもう10年長くご存命だったら、もう少し事態は違ったかもしれません。労使関係と労働経済を繋ぐ人材が育っていたかもしれません。

もう一つは労使関係と労働経済を繋ぐという対話を積極的に行ってこなかった。その意味で圧倒的な影響力を持っていたのは小池和男先生です。今、関西労働研究会という近代経済学の研究会がありますが、これの創始者も小池先生でした。でも、その後の世代はそういう対話の機会を作ってこなかった。1990年代前半までの労働経済学の教科書を見ると、労使関係のことがきちんと書いてあります。でも、今はそういうのがなくなってしまった。私は対話のための努力をして来なかったんだと思っています。私も頭で考えていたときは、近代経済学は初歩のコースワークが大変だし、その間、異分野の人と対話するというのは難しいと思っていました。でも、実際、議論してみたら、そんなことなかった。やろうと思えばできるなと思います。もちろん、こちらも最低限、組織の経済学などは理解する必要がありますが。

良くも悪くも今や近代経済学は多数派です。たしかに、思想信条とか理解し得ないというよりも、普通に会話が成立しないのではないかという意味で、中にはひどい人に出会ったこともありますが、そうでない人もたくさん、います。若い世代は対話可能だと思います。あとはお互い、どれくらい歩み寄るかでしょう。むしろ、近代経済学の人が対話をしたいと言ったときに、その相手側の労使関係の研究者がどれだけいるのか、ということになるとそちらの方が正直、心細いと思います。目下の一番の問題はそこです。これは仁田道夫先生がよくおっしゃられていたように、組合運動の退潮とも無関係ではないと思います。労使関係がなければ、労使関係研究者は研究しようがないのです。でも、そのことが労働経済学に悪影響を与えたのは間違いないと思います。あと、私から見ると、近経は難しい数学とか使うので、そこでコンプレックスを感じるのか、ちゃんと理解してないのに批判する研究者をよく見かけました。あれは謎の現象です。ああいうのはよくないですね。

で、これを書いた後、昨日、連合総研に行って来たんですが、少しずつ組合の方と勉強会をしたり、そういうようなことを重ねるしかないなあと思いました。
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