毎日新聞社の東海林さんの『15歳からの労働組合入門』を読む。日本プロレタリア文学の最高峰である。戦前日本の文学、1910年代から20年代にかけてプロレタリア文学が全盛であった。そして、日本のジャーナリズムの最高傑作の一つとして数えられるのが、横山源之助『日本の下層社会』の細井和喜蔵『女工哀史』である。本書はその上を行くと言ってもいい。その差は労働問題についての深い理解である。

東海林さんとは一度だけお会いしたことがある。連合の集まりで営業をやらせてもらえることになって、そこで旬報社の人と本の販売をさせてもらった。旧知の連合総研の龍井さんから勧められたこともあって、東海林さんはその場で本を買ってくれた。取り留めもないことを話して、その場は終わった。東海林さんもタバコを吸いに去られた。それから、しばらくして戻って来て、私が報酬を受け取らない頑迷なボランティア精神を批判した箇所を読んで、今まさに介護なんかでこの問題を考えてるところなんです、と遠慮がちに、控え目に熱っぽく話してくれた。

この本は東海林さんの良心によって書かれている。読みようによっては首都圏青年ユニオンのアジビラのようにも見えるし、著者が新聞労連元委員長であることと巻末に神部さんが登場していることをあわせて共産党のアジビラにも見える。しかし、それが主意ではないだろう。この本はたしかに日本社会の脆弱な部分を描いている。そして、それは連帯を基礎とした労働組合の再生である。だから、標題も労働組合入門なのだろう。

そこまで考えて、私はあの賃金の本を書き始めたとき、労働組合はユニオンだけではない、ということを書こうと思ったことを思い出した。組織にはバッファがあり、その端境にいる人はいつも傷付く。しかし、そういうものを訴えるのはPOSSEで十分だと思った。実際、そういうことを訴えていく力は私が思うよりも強力に拡がっていった。

組合の力の源泉は仕事の腕であり、それを担保に交渉していく。決して弱者が言挙げするための制度ではない。そのことを踏まえて、連帯を考える必要があると思っていた。そういう意味では、私の問題意識は中澤二朗の『働く、なぜ』に近い。今は企業の中核の人たちでさえも、仕事観を問い直さなければならない時期に来ている。その中澤さんは野中郁次郎先生からあなたの先輩はもっと働いていましたよ、という言葉に衝撃を受けたことを書く。それは自分でも自覚があったからだ。しかし、同時にそれは自分限りの職業倫理であり、それを一般化させることが唯一の解でないことも分かっている。だが、その展望は歯切れが悪い。この二つの先に我々が考えなければならない問題があるからである。その答えはない。

この本を読んでいる途中、自分があえて捨象した問題を突きつけられた気がした。こうやって冷静に書いてみると、その当時の私の戦略眼はまったく間違っていないと思うが、そういう合理的戦略を超えて、魂に訴えるものがこの本にはあった。それこそが文学の力であろう。

じつは、鼎談で今野くんと東海林さんが勉強について語ってるところで、東海林さんが田端さんの本をバイブルという言い方をしているのにすごく感動した。これだけ本も消費サイクルの速い時代に、なんという時代錯誤な表現だろう。そうやって誠実に勉強することが当たり前のように語られていることにエラく感動したのである。私は生涯一学徒として、党派のいかんにかかわらず誠実に勉強する人たちを信頼する。そういう感激がこの本にはあった。
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