昨日締切であった大槌町の復興基本計画についてパブリックコメントを書いてメールで提出しました。パブリックコメントなので、公表します。内容そのものというより、なぜこの基本計画に足りない点があるのか背景を書き、それを補うためには、どのような施策が必要かを書きました。

基本計画の前提にある問題
大槌町の復興計画に全部賛成するわけではないけれども、2012年5月に示された大槌町東日本大震災津波復興計画実施計画に比べて、今回提示されている改定素案は格段にグレードアップしている。とくに、住民からの意見の吸い上げが住民復興協議会のみであったのに対し、各種の分科会を開くことによって、新しい経路を築き上げたことは評価されるべきだろう。私自身、実際の参加者からは必ずしも肯定的な意見を聞いたわけではなく、どちらかと言うと、否定的な意見を聞いていた。その運営の仕方、あるいはまとめ方、そこからさらに基本計画に練り上げる、そうしたプロセスが不十分であるという不満はあるかもしれない。しかし、前回の計画に比べて、改良された点は高く評価されなければならない。その上で、今後、この計画を実現していくためにも、いくつかの問題点を指摘せざるを得ないだろう。

大槌町で起っている問題は、誰かが利権のために動かしているといった分かりやすい話が脚光を浴びやすいため、どの町でも共通するような背後にあるメカニズムまで注目されることは少ないと思われる。そのために、町民からは行政の一部や町会議員の一部が利益誘導をしているために復興が進まないという批判がある。しかし、仮にもしそうしたことが実際に行われていたとしても、それは復興が進まない一番の大きな原因ではない。もっと根本的な難しさがある。

一般に、日本の政策決定プロセスは、中央から地方へと流れていく。今、この主な流れを図示すると、

中央省庁(いわゆる霞が関)および委員会 ― 諮問 → 審議会 → 審議会専門委員会(あるいは特別委員会)→ 審議会 ― 答申 → 中央省庁 → 基本計画 → 県庁 → 基礎自治体 → 地域

となる。県庁でも審議会が開かれることがあるが、同じ繰り返しなので省略する。大槌町の分科会というのは、中央の政策決定プロセスにおける審議会と同じ機能が期待されている。戦略会議、各分科会の運営の仕方に批判が集まるのは、通常、基礎自治体レベルではこうしたスケールでの政策決定プロセスを経験したことがないからで、町長はじめ町役場を批判することは必ずしも的を射ていない。加藤町長はじめ町役場の方が生き残っていたとしても、震災直後の最初期の混乱は避けられたかもしれないが、2012年以降の政策決定プロセスでは同じようなことが起こっていたと考えられる。

大槌町を中央省庁の政策決定プロセスと比較した場合、戦略会議が審議会、分科会が審議会内の特別委員会にあたるが、その運用の仕方は大きく異なる。普通、審議会の特別委員会は審議会構成者の中から何人かの委員が選ばれて、具体的な問題を協議し、中央省庁が提出した案を検討したり、新しい案を提出したりしたあとに、審議会全体にかけて、中央省庁の政策にフィードバックさせる。これに対し、大槌町の場合、戦略会議と分科会では構成員が異なり、したがって、分科会は審議会そのものの機能と、具体的な分野が充てられているという意味において、審議会の特別委員会のような機能が与えられている。本来は、戦略会議の中に特別委員会を設け、さらに分科会の中に特別委員会を設けるという方が生産的であるが、実際には委員を引き受けている町民がこれ以上の時間を割くのは困難であろう。現状はこの専門委員会のやるべき仕事を総合政策が行っているが、大学などに協力を依頼すればよい。そうでなければ、取りまとめを行うことは出来ない。通常、こうしたことは基礎自治体では困難だが、今の大槌町の状態であれば不可能ではない。

次のプロセスで、町レベルで実現しなければならないことは、中央の設定した政策(計画)にあわせる形で、政策を策定しなければならない(作文)。もちろん、中央でも地方ごとに事情が違うのは分かっているので、融通が利くように抽象的な文言で基本計画が作られている。これに沿う形で各種の基本計画は作るが、実際の運用で多少の自由がないわけではない(文書の解釈の仕方)。ということは、抽象的な文言の背景を理解した上で、自分たちが実現したい政策を書く。これが出来ると、予算を獲得することが出来る。少なくとも、予算が出せるような仕組みは中央省庁の役人が言うように用意されている。8ページに「関連計画との整合性」が書かれているのはこのためである。これはこの枠組みで予算を取ってくることが出来るという意味である。ふるさと納税などの制度を利用して独自財源を増やす試みを模索するか、寄付金(投資金)を募ってこれを利用する仕組みを制度化して、回すように出来ないならば、こうした形式を変えることは出来ない。いずれにせよ、復興事業が終了した時点での、それ以外での財源をどのように調達するか、あるいは産業を起こして税金を確保するなどの計画がまったくない。これでは数年のうちに行政破綻せざるを得ないだろう。

この中央から地方ではなく、地域→地方→地方への逆コースが認められるのは防災計画であり、これは2013年6月に規則が変更になって、地域で作った防災計画を基本計画に反映させることが出来るようになった。こうした仕組みを戦略的に使う必要がある。

分科会、地域復興協議会と基本計画の評価
今回の基本計画が改善された最大のポイントは町内の企業、社会福祉法人、NPOなどの声を広く受けいれた点にあると考えられる。基本計画の中では複数提出された意見の中から町の行政として重視すべきことに重みづけがされている(15ページ)。しかし、町全体がどのような方向を目指していくのかということと、これらの見解がどのように有機的に連関させるのかという点は充分に明らかにされているとは言えない。こうした調整は現状では総合政策部が担っているが、今の体制のままでは数年後の計画を実現していくのは難しい。それは多くの主要部分を応援職員が担当しているからである。この解決策については後で触れる。

新設された分科会と従来の地域復興協議会の関係が必ずしも明らかではない。基本計画のなかでは仮設住宅などの新しいコミュニティの存在を指摘しながら、それらとどのような関係を構築していくのか明らかではない。また、安渡地区では震災前から公民館の活動が盛んで、コミュニティの結節点になっており、復興計画の中でもその役割が重視されているが、行政内での担当部署である生涯学習課が地域・コミュニティ分科会に参加していない点も疑問が残る(テーマ別分科会の開催経緯と主な意見、4ページ)。

とりわけ、教育・分科会の中で活動の核となる場所として公民館・集会所が重視されていることを考えると、そうしたテーマはどこに何を置くかという点で空間環境基盤(土地利用)と関係するし、コミュニティのニーズをどのように吸い上げるのかという問題という意味で社会生活基盤と関係し、町外へのアピールという意味では経済産業基盤の復興方針の中にある②の戦略的展開と関係している。しかし、現在の基本計画では全部が並列して書かれているだけであり、それぞれが有機的に連関していない。

大槌町だけでなく、行政は基本的に機能別に編成されているのは当然であり、巷間で言われるような,それを縦割りであると批判するのはあまり適切ではない。これは今後の進め方の中で、空間環境基盤、社会生活基盤、経済産業基盤、教育文化基盤で共通する内容をどのように協力させ、あるいはよりよくするために競合させるのかといった方法を考えなければならない。今の時点では分科会別に共有すべきテーマがバラバラに出ている。それはひとえに現在は総合政策部の機能にかかっているが、この出された内容を統合する役割が期待されるが、現時点での基本計画ではそこまで到達しているとは言えない。一応、45-49頁の連携型プロジェクトという形で記されており、将来的な展開の可能性には配慮されている点は公平に評価したい。しかし、全体の確固たる方針というところまでは到達しているとは言えないだろう。

地域復興協議会その他の参加者と意見交換して来たなかで、町行政が住民を分断するためにさまざまな会を作っているのではないかという議論をしたことがあるが、基本計画を縦覧する限り、そうした考えは杞憂であった。今の問題は個別論点をどのように統合して町全体の方針とするのかという方策がまだ不十分であるというだけである。ただ、個々の問題は復興だけでなく、震災以前からの大槌町、ひいては地方の基礎自治体が抱える問題でもあり、震災から三年の間でここまで到達したのは高く評価されるべきである。

継続的な基本計画を実行する体制づくり
復興計画を実現していくためには、数十年かけて考えなければならない。まず、産業担当の副町長が変わった時点で、引き継ぎが十分に機能しておらず、2012年度に進めた話が後退するということが多く起った。応援職員に協力を頼む以上、引き継ぎの問題は深刻だが、同じ自治体、とりわけ基礎自治体の上にある県庁出身者同士の人事異動で起った問題である点において、何よりも深刻であると言わざるを得ない。端的に言って、県庁に期待できないということである。また、総合政策部は設立された2012年は県庁からの出向者である部長を置きながら、何もできなかった。2013年度以降、結果を残したのは遠方からの応援職員の力である。

2012年に私も協力して和RING-PROJECTは町内全域を対象にしたアンケートを実施した。事前の協力関係を作る時間がなかったため、町役場とは一緒に出来なかったが、アンケートの集計作業その他において町民、学識関係者と協力体制を作った。とりわけ、こうしたアンケートを専門にする東京大学の経済学部スタッフの二人から町行政と協力関係が必要であるというアドバイスがあり、総合政策部部長には今後、同様のアンケートを行う際には二人も含めて協力を申し出ており、その約束を交わしたが、2013年度の町役場の意向調査は我々が作成したアンケートをほぼ利用したにもかかわらず、 そうした約束は果たされなかった。

意向調査については何人かの町民から何の意味があるのかという意見をもらったが、この時期に同様のアンケートを行う意味はまったくなかったと言える。独自に行うのはもちろん町役場の自由だが、前のものをほとんど流用して、しかも時機を逸した意向調査を行ったことについては公式に見解を聞きたいところである。これらの情報が総合政策部内で共有されていないとしたら、それはひとえに部長の責任である。私が県庁の方とお話をした限りでは、県庁にも優秀な方はいらっしゃると思うのだが、現時点での政策結果を見る限り、主要ポストに外れ人材を3人連続して送り込まれており、大槌町にとっては岩手県庁の人材はリスク要因になっている。

大槌町内のプロパー職員への風当たりは内外で非常に強いが、加藤町長のもとでここ数年間、新しい試みがなされていたとはいえ、一般的に考えて、予算規模がこれだけ膨れ上がった時点で、今まで経験していた以上の未曾有のスキルが要求されているのは否定できない。また、そうした事情を踏まえたうえで、あるいは私が上に書いた行政のプロセスを理解した上で、彼らを責める町民は少ないのではないかと思う。また、亡くなった町役場の精鋭と比較され、そういう意味でも現在のプロパー職員は必要以上に町民からの非難を受けて来たと言えるだろう。実際に倒れている方も何人もいるわけだし,これ以上の負担をかけるのは気の毒である。

一案として,重要な仕事を応援職員に任せて、継続的に町づくりをする体制を構築する必要がある。これは一見、非常識な発想だが、非現実的ではないと考える。今までは支援という形で入ってきたが、それだけではこの体制を維持するのは難しいだろう。もっと戦略的に大幅な権限移譲することで、通常では考えられない裁量の仕事経験を積ませること自体を売りにする(もちろん、全員が素人では困るが、派遣された若い職員が他の自治体からは派遣されたスペシャリストと一緒に仕事をすることで得るものは大きいだろう)。派遣が終ったあとの派遣元自治体に還元される。この方法だと、最初からそういう前提での計画になるので、プロパー職員に大きな負担やプレッシャーをかける必要はない。その代わり、町の中枢部にあるヘッドクォーター的なところが、きちんと仕事を外注できなければならない。現在は総合政策が担当しているが、その中核は応援職員である。応援職員一人一人は長期で滞在するわけではないし、またそもそもプロパー職員もローテーションで異動するので、この役割は10年単位で仕事が可能な東大が責任をもって果たすしかないだろう。このヘッドクォーターは派遣元自治体と担当する仕事内容を派遣職員のキャリア形成についても打合せをしなければならない。

逆に、交換研修ということで、プロパー職員が町を出て他の基礎自治体で経験を積むことも考えてもよいだろう。受入先自治体にとっては受入も支援になるし、付き合いの密な町内で町役場の職員という立場で過ごすきつさから解放されることで、メンタル・ヘルスの観点からも一定の効果があると期待される。また、一定期間で帰って来られることも重要である。これは役場から提案することが難しければ、労働組合からの提案という形を取るというのが無難だろう。いずれにせよ、このままではプロパー職員は途中で壊れてしまう人を出し続けなければならなくなってしまう。

加えて次の問題は中核人材の引退である。たとえば、総務部長やメディア・コモンズの担当課長は来年度で最後である。復興が十年、二十年続いていくとなると、こうした世代間継承の問題は避けられない。全員が参加する必要はないが、事業の継続性を考え、民間に降りた後でも復興に携われる可能性を残しておいた方が良い。

町外との継続的な関係をどう構築するかという戦略眼の欠如
町役場だけでなく、NPOその他もそうだが、震災以降、大槌町は多大な支援を受けた。もちろん、個人的には継続的な付き合いもあるが、これを長期的に戦略的にどういう風にしていくべきなのかという視点が基本計画からは欠落している。ここにおいては相手方の応援職員や私も含めた支援者も当事者である。

問題の性質が困難であることを承知で指摘するが、基本計画改定素案にある「若者・よそ者」の具体像がない。私の見立てでは、今のままでは大槌に未練があって出て行った人しか転出者は帰って来ない。ここに期待するのは現実的ではない。一番、大槌に来てくれる可能性があるのは支援者として一度縁をもって、そのまま大槌への思いを持っている人。二番目は、大槌で新しい試みや新しい体験が出来ることを期待する人。大槌が嫌で出て行った人は、その嫌な記憶よりも、新しい大槌がよいと思ってくれなければ、戻って来ない分、ハードルがあがっている。中長期的に定住者を増やすのは必要な戦略だが、短期的には定住者を増やすのはなかなか難しい。住居の問題があるからである。先に述べた応援職員を中核にするというプランは一つだが、これは期間限定でもある一定期間、定住する人間を増やすことにもつながっている。

私も含めて多くの支援者との間で関係を作ったが,これを継続的なものにしていくためには,相手方のことを勉強する必要もあり,なかなか難しい。とくに,町行政の場合,公式,非公式を問わず多くの支援者との交流があり,それを整理するだけでも莫大な作業になる。とはいえ,組織同士の継続的な付き合いをどのようにするのかということは重要な問題である。上で応援職員の派遣元自治体との関係を書いたのもそうした意図があってのことである。また,震災前から交流があり,フォートブラッグとの関係は継続した方が良い。大槌町ではこの事業があったために,英語を喋ることが出来る人も結構いるし,このまま放置するのはもったいない。こうした事業が町の教育文化基盤でまったく触れられていないのは残念である。

もう一つ,町外との関係では,支援というギフトエコノミーの観点だけでなく,通常の産業関係でも考える必要がある。大槌町内だけで経済を回すのは困難であり,町外とどのような関係を作って行くのかということを考えた方が良い。場合によってはサテライト・オフィスのような拠点を首都圏などに設ける必要があるだろう。それについては五城目町の姉妹都市である千代田区は協力体制にあるので,そうしたところに協力を依頼することも考えられる。町外での継続的な営業活動も大槌町として重要である。

より詳細な個別論点について
個別論点については,具体的にどうやって進めるのかという疑問点もあるが,それは単に私が知らないだけかもしれない可能性もあるので,詳しくは触れない。ただし,いろいろ出された意見を並べるだけではなくもう少し精査する必要はあるだろう。これは町役場の責任で行うのは難しいかもしれないが,私が提案した分科会や戦略会議のなかに特別委員会を作って諮問するといった方法もある。

町民のなかには,2012年の和RING-PROJECTのアンケートでは,町民に一々お伺いを立てるのではなく,町長に覚悟を決めて進めて行けという意見があった。今までの意見の聞き方が十分であったとは思わないけれども,他自治体に比べれば大槌町は基本計画改定素案に反映させるだけの回路を少なくとも開いた。その町長の決断は間違っていなかったと考える。それには新たに調整のための負担がかかり、実際に総合政策部スタッフがご苦労なさったわけだが、あえてその方法を選んだことは高く評価されるべきである。とりわけ,2011年から数多く開かれたおらが大槌夢広場関係者が取り仕切ったまちづくりワークショップに比べて,総合政策部が中心になってからはるかに一回ずつのワークショップはレベルがあがった。それは先端のまちづくりワークショップなどを経験し,かつ勉強しているからだと思われる。そうしたものが継続されることを今後も期待したい。

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2014/02/11(Tue) 08:44:25 |  ケノーベル エージェント