guriko_さんが1か月ほど前に『日本の賃金を歴史から考える』を取り上げて下さって、私も紹介したいなとは思っていたのですが、問題が非常に難しい、そういうところなので、なかなか手を付けることが出来ませんでした。でも、マシナリさんもそうですが、guriko_さんも、実際に働いている現場で持っている問題意識をこうして深めて下さるのを見ると、本当に著者冥利に尽きます。そのために、書いたんですから。もう本当に快心です。

「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。
「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。<その2>

実はこの一か月の間で、三回ほど、この問題に触発される会話がありました。一つは、先日の教員労働の組合の議論を聞いていたとき、教育運動と労働運動との兼ね合いが議論をされていて、ここで議論されていることは、感情労働全般に当てはまるなあという風に考えていました。簡単に言うと、優先事項を対象である子どもに置くのか、それとも働いている自分たちに置くのか、という議論です。guriko_さんの職業であるスクールカウンセラーは、教員とソーシャル・ワーカーの中間に立っている仕事だともいえます。なお、guriko_さん自身が書かれた「スクールカウンセラーに必要なこと」というのはとても参考になる記事だと思いますので、リンクを貼っておきます。ぜひ、関心ある方はご一読ください。

もう一つは、某有名若手労働雑誌に掲載される(正式に書いていいかどうか分からないですが)予定の対談をしたときに、やはりトレードの話をしました。そして、今日、その話をしながら、日本のビジネス業界の仕組みをトレード型に変えるなんていうことは現実的ではないよね、という話をしていました。それはそのときもお話ししたんですが、私は一貫して、そういうことを話してきました。

日本には職業教育がない、という話がありました。そのときに話をしたのは、ヨーロッパの場合、そもそも初等教育が整備されたのが1910年代、第一次世界大戦前後で、労働者の教育要求という形を取っていました。第一次大戦の労働攻勢と無関係ではないのです。また、体制側も徴兵制度をやって、もっと教育を普及させなければならない、という問題意識を持ったのです。とくにアメリカは移民労働者に対して、アメリカナイゼーションというきわめておせっかいな形での教育の必要が認識されていきました。だから、教育と労働運動がもともと近しいのです。これに対して、日本では義務教育は20世紀の冒頭にはほぼ完備されました。とくに費用の面で、日清戦争の賠償金で国庫負担に転換したのです。これは文部官僚であった澤柳政太郎の仕事です。ちなみに、この澤柳は1920年代まで教育分野のエースでした。もし、この人が10年長生きしていたら、日本の教育は変わっていたかもしれません。なぜなら、この当時、文部省の中心は岡田良平で、澤柳とはライバルでした。岡田はもともと教育に体育的なもの、とりわけ軍隊式訓練を取り入れることに熱心でした。そして、軍縮で予算が削られる軍隊に対して、退役軍人を学校教育で受け入れるという魅力的な方針を打ち出し、その反動で教育費を増額させたのでした。澤柳は当時、民間に下野していて、帝国教育会の会長で、岡田批判の急先鋒でした。まあ、職業教育が根付かない、というより廃れて行ったのは、岡田や澤柳も中心だった臨時教育会議のあたりで、工業分野で実務よりも理論研究を優先するという方針が採られたこともすごく効いてるのですが、そのあたりは別の話なので今日は割愛。

いずれにせよ、トレードって根深いよね、という話です。guriko_さんも触れていますが、イギリスのトレード・ユニオンというのはその昔、業界団体的な性格を持っていました。それが徐々に労働組合になっていく。この問題で面白い事例があります。なぜ日教組が労働組合だけでなく、業界団体的な役割を期待されたか、すなわち帝国教育会を解散して、その財産を継承したのか、という問題に迫る話です。だって、神田に日本教育会館ってあるでしょ?あれは帝国教育会の持ち物ですよ、もともと。労働会館では全然ありません。それは戦前から継承され戦後の教育運動のバックボーンになった教育思想(新教育系)と非常に関係があるんですが、その点はまだ研究を深めてないので省略。でも、ここはすごい重要な鉱脈だと思いますよ。いつもの研究会は反応が悪いので、もう言いません。

話がそれましたた。トレードを大事に育てていくには、業界団体(職能団体といってもいいですが)をどう育てていくか、という問題と切り離せないんですね。感情労働ということで、まあ、たしかにその多くは女性が担っていたということで、きわめてジェンダーが関わっているんですが、教員もそうですからね、ジェンダーだけとは言い切れないんですよ。私がボランティア(およびその背後では福祉系の一部のメンタリティ)を批判した論点とも関係してきます。自己犠牲してでも対象を優先する、という話です。自分でやっている場合と、さらにそれを誰かに利用されている場合とあって、特に後者は「やりがい搾取」という話です。とにかく、この問題はちゃんと考えなきゃいけないですね。

具体的な業界で言うと、保育、教育、福祉、医療、それから心理でしょうか。いずれもこれからの時代、これらを社会の中で育てていくことが出来なければ、社会は停滞するという大事なものです。そして、これらの職業は技能を図りがたいという独特の難しさがあるんですが、その点ではサービス産業にも通じる。日本社会、ひいては世界全体でも、解決策を考えなければならないかなり普遍的な問題です。私は勉強が足りないので、あくまで問題の所在を示しただけで、今のところ、全然、具体的な処方箋を書くだけの知識が足りません。でも、そのうち、考えなければならない問題ですね。
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久しぶりにBlogのアクセス解析をしていたら、何故かバレンタインデーにがーっとア
2014/02/19(Wed) 21:41:17 |  世界を模索日記♥♡♥