春闘は昨日、大手一斉回答が出揃った。日産は満額、トヨタは月例賃金は少し低めだったが、一時金の方は満額回答で答えた。しかし、私は昨日の一連の回答を見ていて、一番、心強く思ったのはスズキの回答である。他社に比べて賃金を上げられなかったことに対し謝罪しただけでなく、さらに役員報酬をカットしたからである。

日本でも明治期に株式会社制度が出来た頃は、従業員が利益の成果を受け取るという慣習はなく、株主の配当、および経営者への報酬が大きかった。というのも、その当時、株式会社制度によって資金調達の道が開かれた恩恵を受けて、もっとも工場が建てられたのは紡績だが、建ててはみたものの経営がうまく行かなくないところも少なくなかった。そこで成功したマネジャーと職工に至るまでの部下を呼び寄せ、再建を行うということが一般的であった。そのため、経営者には成功報酬が与えられるのは当然だった。同時に、リスクを負うために、一定数の株式を持たなければならなかった。

その頃の日本はアメリカと同じく経営者が高額報酬を受け取る社会になる可能性が高かった。その流れを変えたのが、温情主義経営者と言われた人たちである。彼らは成果を自分のものだけにするのを潔しとしなかった。そのため、最初は明治40年前後に賞与制度での分配という形で分け与えるようになった。それまでも、実は賞与を支払う慣行が多くの会社であった。しかし、これは今のボーナスとはまったく意味が異なる。というのも、江戸時代は月例賃金による支払いではなく、現金給与が半期に一回、それから年季明け(あるいは始まり)に一括して支払われるという慣習があったからである。だから、中元と歳暮に賞与が出たのである。支払われてはいたが、それは利益とは連動していなかった。

これを利益分配という形で一般に広めたのは富士紡である。この制度はもともとアメリカ発である。富士紡で後に社長になる和田豊治は前職の三井時代にアメリカに視察に行き、この制度を学んできている。和田が入れたのは賞与金の5分を株主配当、5分を職員賞与、5分を職工賞与にすることを定款に書き入れさせた。このとき、彼は受け入れられなかったら、自分は辞めるといって、関係者を困らせた。そのうち、最初に作られた会社が十数年経つと、生え抜きで役員に内部昇進できる人材が育ってきた。そのようにして、従業員にも分配する思想が広まって行ったのである。日本でも初めからこのような伝統があったわけではない。彼らはこうした新しい試みを、日本的な伝統として根付かせたいと考えたのである。

ある世代以降の方と話をすると、みんな、日本企業が人を育てようとしていた時代のことを懐かしく思い出す。それを忘れたのはバブルとその後の1990年代以降のリストラ、そして2000年代以降の惨状である。大げさでなく、今、いろいろなことを思い出さなければ、近代日本の先人たちが築いてきた、本当に大事な財産を我々は失ってしまう。そういう意味でも私はこの春闘に注目していた。

スズキの回答は額よりも、人を毀損して当たり前のブラック企業的風潮とは一線を画し、少なくとも従業員を大事にするという古き良き日本の経営者の倫理を示そうとした点に意義があるといえるだろう。逆説的だが、満額支払われてしまうと、ああ調子が良いんだなで終わってしまう。しかし、苦しい中で少しでも支払いたいという姿勢を打ち出したところに、昨年までとは潮目が変わったことを読みとることが出来る。反転は成ったと言えるだろう。次は、再反転しないように、継続的な体制を作って行かなければならない。これはあくまで始まりに過ぎない。
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