ふと、まさかそんなことはないよな、と思いながら、ひょっとしたら、誤解されている方もいるのかなと思い、ちょっと恐れながら、このエントリを書いています。それは何かというと、内部労働市場の理解です。内部労働市場論というのはドリンジャーとピオレの本で初めて提唱されるんですが、そのアイディアにはふたつの源泉があります。ひとつは、いわゆる旧制度学派で、彼らの直接師匠であるダンロップやカーの議論があります。彼らはダンロップの習慣という概念をひとつの重要な要素として取り上げています。もうひとつは、彼らはその当時、最新だったゲーリー・ベッカーの人的資本論を入れました。この人的資本論を投入したところが、いろいろな混乱の元になっています(ちなみにいうと、小池先生の『仕事の経済学』でも同じことが起きた)。で、そんなことないよなは、内部労働市場論と人的資本論(とくに企業特殊熟練)をセットで考えるのをデフォルトとするという考えです。

そんなことないですからね。その後、経済学の世界では技能と賃金の関係を必ずしも対応させて説明するという方向はマイノリティになりました。今はどちらかというと、情報の経済学などが段々、広まってきています。そこらへんのところが分かるように、私は『日本の賃金を歴史から考える』第6章のコラムを書いたつもりなんですが、あんまり伝わってないのかな。6章は不完全ではありますが、経済学的な考え方をできるだけ紹介したいという意図もあったのです。

一般に原典を読み返すというのは、とても良いことですが、研究というのは、その後進展するので、それを踏まえないで、原典だけ読むというのはアウトなのです。企業特殊熟練以外の説明の仕方も出ています。これは歴史を見るときにもいえることなんですね。たとえば、科学的管理法について知りたい方がいらしたとします。そのとき、原典を調べてみようと思い、テイラーの本を読むのは良いです。でも、科学的管理法は1920年代からもう既に1910年代の議論などは超えて、たとえば原価計算と簿記が結びついて管理会計のようなものを生んでいきます。さらには、マーケティング分野へも拡張していきます。そういうことを踏まえて考えたとき、テイラーの原典だけを読んで、科学的管理法を理解している人は完全にアウトなのです。もうひとつのよくある例を書きます。法律の勉強をするときに条文だけ読んでもダメです。専門家がどう解釈しているのかという判例、およびその批判をちゃんと読まないと、これまたアウトなのです。同じように、ある思想家の研究で、その全集だけ読む行き方も私はアウトだと思っています。それはその人の前の時代の常識、それをどう超えようとしたか、あるいは同時代の人がどう取り組んでいたのか、そうしたことがトータルで見えていないと、?ということなのです。この思想家研究の行き方で成功するのは天才だけです。なぜ、成功するかといえば、別にその思想家のことを研究するのではなく、その思想家をダシに自分の言いたいこと、考えたいことを語っているだけだからです。せいぜいその思想家は話の枕にすぎないのです。

私は勉強するにも省エネすることを否定しません。しかし、引用もそうですが、省エネはその省き方で本当の実力をいかんなく示してしまいます。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック