今年は博士論文を整理したいと思って、研究史整理に取りかかろうとしているのですが、これがまた難儀です。なんといっても、書いた時点と今では私自身も全然違います。何が違うかといえば、社会福祉、教育、宗教にかかわる関連領域の勉強が進みました。専門でも、産業報国会を書いたことで、宿題だった企業別組合の起源をどう解き明かすかという問題には、解決の道筋が出来ました。これには労働運動史を勉強しなければならないのですが、それは追々ということにしましょう。

復習の過程で、二村先生の尾高『職人の世界・工場の世界』の書評にあたりました。尾高先生のこの本は実証的におや?というところもあるんですが、それよりも資料がない分野を果敢に攻めた点を多くの人は評価しています。私も大学院時代、谷本雅之先生のゼミでこの本を読みました。そのとき、谷本先生も面白いとおっしゃっていたように思います。

この二村書評の中で、すごいなあと思ったのは、

本書が冒頭で設定した課題に答えるには、社史はあまり役に立つ材料ではなさそうだ、というのが率直な印象であった。「職人の技能はどの程度職工に伝えられたのか」といった問題の解明に、社史の伝える情報量は限られ、その信頼度も高いものではない。日本の職人や〈職人的労働者〉についての研究を前進させるには、本書などをてがかりに、もっと個別事例についての新たな資料を発掘すると同時に、限られた資料から必要な情報を読みとる方法を鍛える必要があろう。もっとも、これを確認しえただけでも本書の意義は小さくはない。市販されていない出版物を大量に集め、大冊の社史を630点余も読むことは、誰でも出来るというわけではない。

という個所です。

昔はすごいこと言うなあと思って読んでいたんですが、自分でも研究を進めて、それから書評を書いたりしていると、この書評のすごさが分かります。当たり前ですが、二村先生はどの資料がどれくらい使えるものかというものをすべて検討しながら、読み進めているんですね。で、この表現に驚くんですが、本当に驚くべきなのは章ごとの要約のところで、内容はそれこそひと段落(ないし一行)、あとは資料の検討がされています。

この本は実はそんなに新資料を使っていない。それこそ『東京名工鑑』は今や近代デジタルライブラリーでも読めるくらいです。そして、二村先生もこの時点で既知と書いています。でも、プラスアルファの分析が面白いと評価されてるんですね。そんななかで、作業量としてははるかに膨大な社史の検討はざっくり切り捨ててる。切り捨ててるんだけど、その確認作業自体が重要であると書いているのは本当のことです。昔、読んだとき、この確認自体が大事という意味まではちゃんと読み取れなかった。

二村先生は二年くらい前から交流的な意味での研究活動はなさっていませんが、本当に残念です(ゴードン書評は唯一の例外でしょう)。いつもお会いするたびに、勉強させていただいてましたから。
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