研究所に資料を収集しに行ったら、濱口先生から『日本の雇用と中高年』をお送りいただきました。ありがとうございます。早速、帰ってこの本を読んでみましたが、私が理解していたレベルの濱口先生の立論よりも、はるかに根が深いレベルの議論になっています。よい悪いということは別にして。というか、これを書いている途中でアマゾンからも届きました。

しかし、最近の濱口先生の本は、というか、前からそうでしたけど、読み切りにくいですねえ。現実の政策過程、とりわけ過去、現在、未来を通貫する方向性、学術的な成果などを取り込む濱口先生の立ち位置というのはすごいなあと素直に思います。

メンバーシップ型という理念型とジョブ型という理念型とで描いていて、これはある意味、切れ味がよかったのですが、その分だけ複雑な問題が見えにくくなっているかなとも感じています。というのは、濱口先生自身は分かっていらっしゃるので、ちゃんと本の中に書いていらっしゃるのですが、ジョブ型にも様々なフェーズがあります。

たとえば、今回の本のテーマから言えば、日本的雇用システムを相対化しなければならない、ということが大きなテーマになっています。小池理論を全否定するのは行き過ぎですが、中高年の首切りについて説明できない、というのは半分くらいはその通りですね。で、メンバーシップで抱えきれないんだから、ジョブ型をうまく入れて複線型にしようというのがメインの主張だと思います。思いますというのは、それ以外のこともたくさん書いてあるからです。

それ以外のこともたくさん書いてありますのうちの一つは、女性パートの基幹化とジョブ型正社員の話です。ただ、これをリードして来たのは本田一成さんで、本田さんの議論はどちらかというと小池理論ですよ。仕事内容も量的にも基幹化しているのに、処遇だけをあげないのはあり得ないということです。実際、本田さんの説かどうかは別にして、フルメンバーシップ型の正社員とは別の正社員制度を作っているところはあります。しかし、これは素直にいって、経済合理性にかなっているから、そうなるのだと思います。

ジョブ型社会論の話を読んでいて、素朴に思うんですが、肝は職務分析なんですよ。それを誰がやるんですか、ということです。職務分析はもともと人事管理の手法として登場した訳ですが、戦後はヨーロッパ、そしてその影響を受けた日本の組合側の方でもやりました。今では男女間賃金格差を解消する一つの方法論として注目されていますが、基本原理は同じです。これは同一労働同一賃金というのが原則としてあって、同一労働とは何かを確定させるときに、職務分析を行うんです。その結果、著しい差があるときはその格差を是正するように求める、という運びになります。

日本で職能資格給が普及したと言われていますが、それも程度差で、実際には本来の職能資格給制度ではなく、従来の年功賃金のような運用が行われたということがあります。その意味では年功賃金と職能資格給制度を同一視するのはあながち間違っていないとも言えます。で、この職能資格給がなぜ形骸化したのかといえば、職務分析が必ずしもうまく行かなかったということがあります。これは職務給を導入しようとしたときにも同じことが起こりましたが、大企業でよほど緻密な人をそろえていない限り、職務分析をやり切らないんですよ、複雑すぎて。じつは、90年代の成果主義導入でも同じようなことが起きていて、その一つは目標管理をやり切らない。目標管理では、上司が部下と話をして目標を定めて、それがどれくらい到達しているのか、していないのか、していないならば、問題はどこにあるのかなどということを面談しなければならないんですが、人事部と組合がそれをやろうと決めても、現場の管理者層のなかにはどうしても忙しくて後回しにされてしまう。そういう問題があります。だから、ジョブ型社会に移行するにあたって重要な職務分析にかかる観測コストを誰が負担するのかということが問題になります。

職務分析は、仕事のやり方を整理整頓するという効用があります。ですから、エントリーレベルの仕事を身につけるためには効果があります。その他、たとえば戦時期のように需要が急に増えて仕事のやり方がメチャクチャに増えてしまったときには、リスタートするために整理整頓するという効果があります。ですが、生産管理(プロジェクト管理でもいいですが)が行き届いているような職場では職務分析が既に今、行われていないならば、新たに行うインセンティブはありません。そして、皮肉なことにそういう職場こそ、職務分析を実行する力を持っているわけです。

組合側はといえば、そのメリットは同一労働同一賃金で格差を是正するということ。それから、昔ながらの業界である賃金水準を維持するというメリットはあります。ただ、職にまで落とし込んで行くと比較も技術的に難しいかもしれませんし、そこまで精度の高い比較は測定以上に困難です。出来る能力がないとは思いませんが、やはりコストは莫大になります。それを超えて行くには「連帯」意識しかありませんが、これほど高い実務能力が必要とされる根気を要する仕事は情熱だけではなんともなりません。

そうすると、次善策として、タスク分析たる職務分析はそこまで厳密にやるのは諦めて、大まかにタスクを括って「職」を作ってしまうという方法が考えられます。しかし、これが通用するのは西洋のように、ある程度「職業」という感覚に対する信頼がないと難しいのです。日本社会は残念ながら、これを作るのに失敗してしまいました。これは濱口先生が話すような企業社会という狭い枠ではなくて、もっと社会全体に関わる根幹の話になりますが、歴史から語っていると、長くなるので割愛しましょう。

ただ、日本社会が「職業」を重視する社会を作るのに失敗した例をあげることは簡単に出来ます。教育職、保育士、医者(特に勤務医)、介護福祉士、臨床心理士、図書館司書、ソーシャルワーカーなどです。近年では弁護士や会計士も加えてもよいかもしれません。彼らはいずれも高い技能を必要とされる職業でありながら、必ずしもよい労働条件を勝ち取っていません(職業全体がそうであるものと、一部がそうなっている場合と両方ですが)。いずれの仕事も今も将来も社会にとって大事な仕事です。今回の本には出て来ませんが、濱口先生のブログの方にはこういう問題も出て来ます。この根幹の部分から考えないといけないんです。同時に製造業をベースに構築された日本的雇用システム論という枠組みで議論するから、メンバーシップ型とジョブ型という話になるんじゃないかなというのもちょっと感じています。

先ほども書きましたが、私は採算で考えたら、職務分析は合わない局面がたくさんあると考えています。それでも欧米社会がそれを成し遂げて来たのは、たぶん、彼らが啓蒙主義の時代をくぐり抜けて来たからだと思います。そういう条件のない日本でどうやってそれを実現しましょう。

とりあえず、ジョブ型社会について書くと予告したので書いてみました。他にも思いついた論点を少し広げて書いてみます。

それにしても、小池先生の理論って政策と全然、関係ないと思っていたんですが、なんでそんなに影響力があったんだろう。先生自身は政策策定に携わられたりしたけれども、理論的には労使関係論、労働経済論を社会政策から決定的に切り離したという風に思っていたので、そこがえらく不思議な感じでした。
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コメント
肝は納得?
hamachanのブログで早速コメントがありましたね。「肝は納得」で「ジョブ」自体共同主観的存在というのは、うまく躱したなあという気もしますね。でも共同主観というのはそれぞれの社会に固有の価値観のようなものが基盤にあるのでしょうが。金子さんの言う「職業」という感覚に対する信頼というのもこの範疇じゃないんですかねえ。問題はそれがもともと希薄であったり、希薄化しつつある社会では雇用の劣化が止まらなくなる危険性があることでしょう。
2014/05/10(Sat) 09:17 | URL | 早川行雄 | 【編集
職業
> 金子さんの言う「職業」という感覚に対する信頼というのもこの範疇じゃないんですかねえ。問題はそれがもともと希薄であったり、希薄化しつつある社会では雇用の劣化が止まらなくなる危険性があることでしょう。

まったくその通りです。まあ、組合が頑張ってほしいというのは本音だし、僕もそう思います。龍井さんや中野さんは職種別賃金が可能なんじゃないか、ということを構想していましたが、例の大手研究会でなんらかの方向性が出せればいいなぁとは思っています。少し時間が出来たら、この前の話も整理します。
2014/05/10(Sat) 10:37 | URL | 金子良事 | 【編集
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