濱口先生から共同幻想なんだから、細かい実態よりも「肝は納得」というリプライをいただきました。濱口先生のように分かってて言うのは別に構わないんですが、結局、労働問題の専門家があまり魅力的な分かりやすい本を書かないため、事実上は濱口先生の本が啓蒙的役割を大分果たしているので、そういう層にはきちんとしたことをお伝えしないといけないとも思うのです。

私の基本的な考え方を説明しますが、「肝は納得」というのは変わりません。しかし、納得させようにも、日本にはそういう地盤がないんだから、ひとつひとつ積み上げてくしかないではないか、という立場です。その一つが職務分析だということです。重要なのは職務分析が大事だという考えを共有してもらうことで(そこは「肝は納得」なのです)、大事だけど、やっていないという人を増やすことです。濱口先生も分かっていて、私の書いた後半部分の「職」の話をわざと引用されないし、hayachanこと早川さんのコメント内容にも反応されないんだと思いますが。

私が濱口先生にお伺いしたいのは、ただ一点、じゃあ、どうやってその共同幻想を作るんですか?ということです。その答えがなければ、政策提言としてはまったく空想的だという他ありません。メンバーシップ型を批判することは、というか、より一般論化していうと、Aを否定しても、Bを説明することにはならないのです。ジョブ型という共同幻想をどう作るか、ということがまったく分かりません。私はトレードという基盤のない日本では職務分析から始めるしかないと言っているのです。分からないものは納得できません。

職務内容について「共同幻想」として一括りにするのも、あまりよくないと思います。いずれ、近いうちに本になりますが、濱口先生が昔、広田照幸先生の主催する研究会で報告されて、私はリプライを担当したことがあります。そのときも実は濱口先生の職業訓練論は必ずしも職業訓練派の味方にならないよ、ということを書きました。そのとき、東大の小玉先生がお相手でしたが、よほど小玉先生の方がまっすぐに職業訓練の擁護をしていました。それに対して批判していたのは広田先生です。職業訓練派は、学校教育よりも実社会に出たときに役に立つ職務能力が身につくことが売りなわけですから、その一線を幻想としてしまっては立つ瀬がないのです。そのときもこの点を書いてあります。

ついでながら、職業訓練派の中核の一人は間違いなく田中萬年先生だと思うのですが、私は田中先生の戦略には疑問を持っています。どう考えても本田由紀さんと組んで頑張った方がいいのに、いつまでもナイーブな「教育」批判を続けるのは得策ではありません。「教育」にも「education」にも「生徒の力を引き出す」と「管理する」の両方の意味でつかわれることがあるのに、それを最初の時期や特定の用法だけで、本質を捕まえたかのような議論をするのは間違っている、というのが私の意見です。これは前にも書いたのでこれ以上は繰り返しません。ただ田中先生がご尽力したおかげで、我々も今、読むことが出来る佐々木先生の最後の講演に立ち返り、どうしたら職業訓練を拡げることが出来るかという実践的な一点に集中すべきではないかと思います。

なお、濱口先生が職業訓練派の味方にもならないと私が述べても、先生が職業訓練の重要性を軽視しているわけではありません。むしろ、逆です。実際、職業訓練に関しては「政策戦略」でさえない小手先の戦術で、「学校Ⅲ」を取り上げて職業訓練が社会的に見直されてきているという風に書いてありますが、しかし、それならばなぜあのすばらしい映画が公開された後、職業訓練大学校の相模原キャンパスは閉鎖の憂き目を見なければならなかったのでしょうか。現実は職業訓練派に厳しい。さらに、民間重視のせいで公共事業として持てなくなって、胡散臭い専門学校に委託で出すというメチャクチャなことになってるわけです。

職業訓練派のやるべきことは、具体的なスキルの習得という利点、その学習過程を通じて獲得するものの普遍性の二つの点を明確に主張することだと思います。それは少なくとも日本の学校教育は、生活重視なので、実践において生徒の身体性ということと教科教育が重なっており、そことも関連します。かつて実業補習教育が公民教育を開いたように、職業訓練派がそこを突破してくれると、民間塾のノウハウに学校の先生も対抗できるわけです。しかし、そこではあくまで「具体的な実践」が重要なわけで、決して「共同幻想」が重要ではないのです。

誰もそういうことを書かないならば、紙面さえいただければ、私が書きますよ。明日あたりに小池先生の議論について説明したいと思います。濱口先生の議論との関係で言うならば、肝は早い選抜か、遅い選抜なのです。
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コメント
「ジョブ」自体共同主観的存在?
だんだん素人の入り込みにくい議論になってきているみたいですが、hamachanは正確には「「ジョブ」自体共同主観的存在」と仰っていますね。共同幻想(吉本隆明)と共同主観性(廣松渉)の区別と連関など良く分かりませんが。要は「肝は納得」と言いつつ、その納得を形成することの難しさだと思います。hamachanは欧州でも厳密な職務分析をしてきた分けではなく、「ジョブ」が共同主観的に存在していたのだというご意見です。私が言いたかったのは、かつての欧州でそういう事情があったにせよ、いまやその共同主観が揺らいでやしないかということ。また揺らぎ始めたものの再構築は、さほど困難ではないかも知れないが、日本のようにもともと「ジョブ」という共同主観が希薄な社会で一からそれを構築することは(職務分析抜きには)困難ではないかということでした。ただ日本において企業横断的な「ジョブ」の抽出と認知というのは容易ではありませんね。たまたま昨日、学習院大学の今野先生とお話する機会があって、かつて中賃の産別最賃審議で論議した「職種別設定賃金」の話になったのですが、これは極めて大くくりの「職種」を想定していたにも関わらず、日の目を見なかった。今野先生は、この問題では敗北の連続だったと仰っていましたが、ことほど左様に難しいのです。
職業訓練については、学術的な論争はさておき、JAMは工業高校などでへ熟練技能者を派遣して技能を伝承する取り組みの「具体的な実践」を行ってきました。厚労省もことの重要性を認識して、こうした事業を再開したようですが、関係者、当事者ができることをやっていくしかありませんね。そのあとで学術的に評価していただければと思います。
2014/05/15(Thu) 11:19 | URL | 早川行雄 | 【編集
Re: 「ジョブ」自体共同主観的存在?
早川さん、コメントありがとうございます。

職種別賃金は組合でやるしかないと思っています。中賃という枠組みではそれは無理です。具体的な戦略も戦術もありますが、本当に動くことは公にしない、というのは当然で、ここでは公開しません。そのうち、お話しします。

職業訓練の問題はまったく政治的で学術的な話ではありません。結局、訓練大学校が批判された理由は、卒業生が習得した訓練内容と違う分野に進んでいるということで、それならば、訓練内容そのものではなく、訓練過程で身につけたものこそが貴重なのだ、ということを説得的に説明しないと勝負できないということです。よい実践をすることと、政治的に他と戦うことは全然、別次元の話です。
2014/05/15(Thu) 18:50 | URL | 金子良事 | 【編集
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