なんか回り道をしているうちに、いろいろ言うべきことが増えてくるので、まず、最初に言いたいことから書いてしまおう。

私が森先生の雇用関係論に拘るのは、それが被用者と雇用者の一対一の関係を軸にしているからだ。もちろん、共通雇用の法理のように、一人の雇主に複数の被用者が雇われるという議論は出てくる。しかし、それはあくまで応用編で、基本は一対一の関係である。『雇用関係の生成』は共通雇用までは描くが団結の問題には踏み込んでいない。それは別の「雇用と団結」という論文の中で「(本人曰く)ほんの少しだけ」描かれている。

博士論文の第2章の中で、本当に論じたかったことは、会社(一般的に言えば、組織)に雇われるということにどういうインプリケーションがあるのかであった。だが、まだ、勉強不足のところもあって、十分に議論できたとは思っていないし、まぁ、歴史研究なので、史料の多さで勝負しなきゃならないので、そういう意味でもここの章はちょっと弱い。

ここでもう一度、「労使関係」という言葉が作られた歴史を、労基法の9、10条とともに思い出して欲しい。我々は日常生活の中では、人事担当者に雇われるという表現を使う。しかし、人事担当者はあくまで採用を決める権限を持っているだけに過ぎない。彼もまた、会社との雇用関係を結んでいる。会社に雇われるということは人事担当者に雇われることを意味しているわけではない。あえていえば、人事担当者は雇用者(=会社)の代理である。

普通、株式会社は株主総会を頂点として権限を付与していく。すなわち、会社の実際の活動は会議と代理人の活動によって構成されている。とはいえ、権限と言ってもきれいに整理して分配できるわけではないので、必ずグレイゾーンが生まれるだろうから、ここでいう会議のなかには、複数の代理人が相談して、その線引きを調整することも含めていい。また、代理人は被用者と重役である。重役は委任関係、被用者は雇用関係によって、それぞれ会社の代理人という属性を付与される。末端の被用者は「権限」なんてないと考えられるかもしれないが、代理人としての属性は権限だけが問題なのではない。たとえば、顧客に対して公序良俗に反する取引行為を有名企業の平社員が行ったら、権限がないで済まされるだろうか?普通に考えれば、少なくとも取引先に対するその会社の社会的信用は失墜せざるを得ないだろう。

雇用者が具体的な個人であったり、あるいは会社でもオーナーが個人(ないし家族)であるときは、労働組合は労働者(=被用者)の集団として見やすい。しかし、株式会社という形になってくると、集団的労使関係は管理者と被管理者の関係になるだろう。そうなると、賃金という金銭的報酬を伴うかどうかではなく、核心は指揮命令権(とそれを保証する雇用関係)にあるといえそうだ。しかも、これはあくまで、私が扱ったのが株式会社だったからこのように例示しただけであって、基本的には権限のヒエラルキーのある組織であれば、ワーカーズ・コレクティブであろうと、労働組合であろうと論理的には変わらない。連合、ゼンセンといった大きな組合の中に、専従者用の労働組合が存在しても構わないのである。ただし、念のために付け加えておくと、私は理論的に考えて、あってもおかしくないと言ってるだけであって、作った方がいいといっているわけではない。
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