濱口先生から職務分析をいつか来た失敗した道だというリプライをいただきました。そして、共同幻想は私のミスで、共同主観でした。申し訳ありません。本田由紀先生からも「職務分析をしなくても、「納得」を得やすい職務はあると思う」というコメントもいただいておりますし、じつは昨日、組合関係の方と議論したときも、職務分析をやらなくてもいけるという意見をいただきました。

私が職務分析が肝であるというのは、共同主観の作り方にかかわるところで、職務分析によって正当性を与えようという発想です。しかし、それをやらなくても、納得が出来る「職」が作れれば、それはそれでよいのです(それでも、時間・動作研究まで徹底しなくてよいですが、ある程度のレベルの職務分析は必要でしょう)。

ただ、おそらく、私も濱口先生も多分、本格的にジョブ型社会を作ろうとするならば、その主体は政府ではなく、つまり政策ではなく、労働組合が中心になって取り組まなければならない、というところは意見が一致するのではないかと思います。

もちろん、その本格的な移行前に、中高年の受け皿になる「ジョブ」を作らなければならない。というのが、濱口先生の主張でしょう。私はそれに対しては、その制度の特性を理解すれば(というのはどの制度もそうですが)、労働者の利益になるものの、それを作るインセンティブは企業にはないと思います。あとは散々、議論されてきて、濱口先生も慎重に議論しなければならないと述べられている「解雇しやすい正社員」として理解されて、利用されていくという可能性があります。せっかく春闘以降、労働毀損の流れが反転しかかっているのに、その流れに棹差しかねません。

結局、法で規定されたにしても、それを利用する人がどれだけいるかです。利用資格を有するか否かではなく、利用資格があることを理解し、それを実際に利用する人です。それは意外と難しい壁です。新しい制度を作るときは、それを布教するためのキャンペーンを張らなければならない。あえていえば、労働再教育でしょうか。この見通しを作らない限り、政策は絵に描いた餅になってしまいます。政策というのは、みなさんが思っている以上によいものがいっぱいあり、行政の人もそれを利用して欲しいと思っているけれども、利用されないものが少なくないのです。今の情勢では、そこの戦略まで考えなければならないのではないか、と思います。そうでなければ、本当に解雇の都合の良いように利用されて終わるでしょう。なぜなら、その方が共同主観を作りやすいからです。

一般的に言うと、経済合理性がどれだけあるかということが重要で、非正規社員の基幹化(量ではなくて、質の面で)を媒介に、限定正社員が生まれてくるというのが唯一、説得力のある意向でしょう。これは研究者ではそれこそ本田一成さんが一貫して主張されてきたことですが、学者の主張とは関係なく、現実的にもそういう労務管理が進まざるを得なくなっています。ただし、雇用ポートフォリオが徹底している企業では進みません。では、基幹化でない形の「ジョブ型正社員」があり得るのか。ワークライフバランスなどで押せるのか。

ワークライフバランスを育児ではなく、介護で押すというのは佐藤博樹先生グループの正しい戦略だと思いますが、これもまた道半ばで、共同主観を作って行く土台としてはまだ弱いだろうと思います。ただし、これは生活から切り込んでいく戦術で、メンバーシップ型の補完戦略ですから、この佐藤路線が社会的に浸透すれば、筋はすごくいい。実際、大企業で代わりのいない中高年の基幹層が介護で辞めてしまうというケースがあり、この対応策を真剣に考えているところもあるといいます。でも、私が人から話を聞く限りでは、まだ始まったばかりで、自分たちの問題として社会的に広まるのは先のことでしょう。

さて、「職」の共同主観をどこで担保しましょうか。久々で言い忘れましたが、濱口先生と私以外の、読んでる皆さんも早川さんみたいに考えてくださいね。ハンドルネームで構いませんので、コメントしてください。ここでも、濱口先生の記事でもいいので。
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