萬年先生からふたたび、リプライをいただきました。ただ、教育と職業訓練を同じ土俵に乗せる前に、もう一段前に、実業教育と普通教育を同一のラインに乗せるということが必要になります。

これはなかなか根深い問題でして、なぜこんなに戦後は普通教育全盛になったのか、という問題があります。その潮流の始まりは、第一次世界大戦だと思うのですが、もっとすぐ終わると思っていたドイツの戦争がこんなに長引いた原因は教育制度が優秀だったからに違いないということで、アメリカなども実はドイツの教育をまねて教育制度を変えます。それから、第一次世界大戦の大きな変化は徴兵制度です。徴兵制度でじつは教育を受けていない人が大量に発見されます。それでアメリカなどはアメリカナイゼーションという無邪気なことをやるわけです。もちろん、思想的に辿って行けば、もっと先駆的な事例はいくらでもありますが、マスとして、教育が問題になって行くのはこの時期で、普通教育、とりわけ義務教育をどうするかということが各国で問題になります。

日本では義務教育はようやく明治の終わりに4年から6年に延ばしたところで、これを各国の教育改革の水準並みにするかどうかは1920年代前後のホット・トピックでありました。その際、8年にするか、そのうちわけを初等教育8年にするのか、初等教育6年+中等教育2年にするのか、など様々な議論がありました。そして、吉田熊次などは普通選挙と関連付けて18歳までを本当は義務教育にした方がよいというような考えでした。

普通教育といっても、じつは1920年前後は普通教育自体もいろいろ揺れ動いている時期でした。この頃、実業補習教育の補習教育(普通教育部分)の方から、公民教育が盛んになり(今の市民教育)、これが普選の実施と相まって、普通教育に跳ね返っていくということがありました。1930年代から1950年代までは勤労青年の青年学校が高く評価されていました。それは食べていくには働かざるを得ない若者が、それでも勉強したいという向学心をもって勉強するんですから、それが社会的地位に結びつかないとはいえ、ちゃんとわかっている人は尊敬していました。そして、彼らをどうするかが大きな問題であったのです。

実業教育が戦後、軽視されていくのは、一には戦時中の産業戦士育成と結びついたからです。それが戦後の平和運動や平和教育の流れから反撥を受け、さらには、政府と企業を独占資本と一括する粗雑な階級的教育観によって実業教育はいよいよ嫌われていくわけです。教育研究界隈の人には怒られるかもしれませんが、私はその大きな流れを作った一人に宗像誠也をあげたいと思います。宗像は戦時中は体制側に付いていましたが、戦後、反省して教育運動にも深くコミットした人物です。私はその戦時翼賛体制に協力したことを糾弾するつもりもありませんし、本人は戦後、本当に反省したつもりなんでしょう。しかし、彼の教育運動におけるパンフレットを読むと、ああ運動に飲まれてスピーカーになる人なんだなあと感じます。清水幾太郎もそうですが、根本のところで変わってないんですね。ただ、宗像にしろ、清水にしろ、学術的著作の評価はまた別にすべきでしょう。いわゆる「知識人」としての態度です。

戦後の教育改革の中核にいた、そして、我らが大原社会問題研究所の大先輩でもある森戸辰男は、実業教育と普通教育を自由に往来できる制度を作りたかった。この思想が発展して、四六答申ではさらに普通科のなかの複数コース、学校を超えた移動などを促進するというアイディアがあります(大学では単位互換は少しずつ出ていますね)。

野村正實さんが昔書かれた回想にもありますが、実業教育は本当に戦後、ひどい仕打ちを社会から受けてきた。この問題はジョブ型社会の基盤がないという濱口先生との議論ともつながってきます。職業訓練はある意味、さらにその下に見られてきたというのが現状です。

ただし、私が大学生だったころ、大学でさえも勉強熱心な学生は実業志向があり、資格試験を目指す人が増えて来ました。その結果、ダブル・スクールが流行ったわけですが、今や大学は予備校から講義を買って、自分の大学で開講したりしています。外注することで、ある意味、本体を守っているわけです。数年前、本田由紀さんや濱口さんが宣伝していた教育の職業的レリバンスの話はここら辺の流れと絡んでくるわけです。ただ、その反対の教養教育的なニーズがあるかどうかと問われれば、それはあると思いますよ、割と。そのニーズを作れるかどうかは一にも二にも、大学の先生がすごいとか面白いとか思われる話をするしかないと思いますが。数年前の私はこれを絶対に死守すべきだと力んでいましたが、大人になったので、なるようになるし、景気が良くなったら、実業志向、キャリア志向は多少、薄れるだろうと思っています。結構なことです。

職業訓練の前に、教育の中で「職業」や「仕事」とどう向き合うかという話があります。その情勢もここ2013年に大きく変わってきたと思います。首都圏青年ユニオンだとか、POSSEだとか、そういう若い元気な人たちが盛り立てて来て、ついに昨年、ブラック企業が社会問題化されました。私はこれが一つの極点だったと思っているので、反転していくと思います(これは易の原理ですね。陰極まれば陽に転ず、です)。労働教育に注目が集まったのもそうだし、ワークルール検定なんかもその一つですね。逆に、これから現実の悲惨さを訴えるこの手の運動は元のマイナー化していくでしょう。私は昔、キャリア教育が隆盛なのは就職が低調だからで、景気が良くなったらたちまち顧みられなくなると予言しておきましたが、たぶん、今年あたりからそうなるでしょう。結構なことです。

職業訓練はこの波の中で、どう手を打っていけばよいでしょうか。チャンスはまだいろいろ、あると思います。ただ、教育も頼りにならないというのが実際のところです。学校の先生たちは労働条件がどんどん悪くなっていきますし、社会から非難される度合いはたぶん、職業訓練どころではないですよ。ある意味、職業訓練から教育を救っていく、というくらいの大転換がないと、事態は変革して行かないかもしれません。それくらい構造的には教育も職業訓練も膠着しているように思います。それから、職業教育って基本は地方が重要なフィールドなわけですよ。地方再生ということと、職業訓練や教育の再生も一緒にやらないといけないですね。そういう意味では、越川求さんの『戦後日本における地域教育計画の研究』なんかはすごく、これから重要な研究になると思っています。

ちなみに、私がここで書いた問題意識は今のところ、誰とも共有されていません。いませんが、今後の東北再生なども全部、こういうこともふまえて考えてますよ。
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