第3弾です。

(1章)
・明治初期のボーナスが勤続を狙いとして中元と歳末に支払われたとのことだが、どれ程勤続につながっていたのか

一般的に、金銭によるインセンティブを与えても、理論的に言われているようには、あるいは実際に施策として実行するにあたって期待されるようには、効果を得ることは出来ません。なぜかというと、金銭的報酬を引き上げるのは他社よりも優位に立とうとするからで、当然、相手も対抗策を打って来ます。そうなると、相場全体があがり、労働者にとってはありがたいですが、選択の余地があるということには変わりはないのです。

勤続をのばすのは、生活面でのきめ細かいケアだったりします。この時代だと上水道の整備で乳幼児死亡率が下がると、熟練工も居着いたりしました。あと、基本的に商家の奉公にしても、工場での労働にしても、合わない人は一定程度、逃げ出すのです。それは止めようもありません。こんなところにも、雇用関係は、労働とその対価の交換関係よりも、雇用主と労働者の限定的な支配関係であるという本質が出ていますね。

・明治30年代には地位と俸給に応じて景気変動に関係なく支払われたとのことだが、不景気の時に会社が経営難になったりしなかったのか

実際、困難に陥っていました。

(2章)
・集団出来高賃金の個人への配分に関して、チーム内で誰がどれほどの成果を上げたかがわからない中で何を基準にどう配分するのか

これは一番、本質的なところの質問ですね。基本的に分配の基準は、個人個人の等級によっていました。今で言うと(職能)資格に近いかな。どういうことかというと、入社してから現在に至るまで、査定され続けているんですが、その評価が蓄積されて現在の自分があります。その評価に基づいて、分配するのです。

もちろん、これでは誰が成果をあげたか分かりませんから、後に少しでもその区分が立てられるようになると、個人ごとの基準を今までの評価の蓄積ではなく、その当期の仕事に結びつけようと改革を行う場合もありました。しかし、新人の監督をするというような、間接労働は必ず残りますので、完全に直接的な成果でのみ対応させるのは難しいのです。

(5章)
・ホワイトカラーとブルーカラーのグレーゾーンの存在による混乱とは具体的にどのようなことなのか

今でもそういうことが起こり得るんですが、同じ仕事をしていても、身分が違うということが会社では起こり得ます。それは入社の経緯の違いであったり、いろいろな理由があります。たとえば、派遣さんと正社員、あるいはパートが同じ仕事をしているということがあるでしょう(実際に、同一労働同一賃金でその格差を是正しようという動きもある訳ですが)。昔だと、警備の人がホワイトカラー扱いであったり、ブルーカラー扱いであったりという事業所がありました。それをそのままなんとなく昔からの流れで、成り行きで管理してたんですね。

どういう混乱が起こるかということですが、賃金統制では、ホワイトは会社経理等統制令で大蔵省が、ブルーは賃金統制令、賃金臨時措置令で厚生省がそれぞれ管轄でした。最初に統制されたのは、ブルーカラーでしたから、物価があがっているから全体の賃金を上げたいと思っても、ブルーの人はあげられないけれども、ホワイトの人はあげられるというようなことが起こりました。当然、その不均衡に不満が出て来て、労務管理上、問題になるわけです。

(7章)
・公務員はストライキが禁止されているので他の職の労働者と同じようには運動が行えないと思われるが、公務員の労働運動とその他の職の労働運動とでどれほどの差があるのか

私も今、ここのところを勉強中なので、とりあえずの意見を述べさせて下さい。公務員労働運動は、1950年代後半に官公労という連絡組織を解散させ、総評という当時の最大のナショナル・センターを中心に展開することになりました。総評は裁判闘争も含めた戦闘的な組織戦略を持っていました。公務員労働に関しては、ストライキ奪還ということで、60年代からはILOに訴えながら、なお戦いを志向していました。ところが、1975年にストライキを要求するためのストライキを打って、敗北します(スト権スト)。この敗北の意味は、公務員労働が思ったよりも公務員以外の人の応援を得られなかったことです。公務員は1949年のアメリカ占領下での行政改革以降、ときどき緊縮政策を採られていたのですが、70年代以降の行政改革(そのメインは国鉄と電電公社(今のNTT)の民営化でした)では公務員バッシングが定番になりました。

これに対して民間労働、とくに総評指揮下にあった鉄鋼労連も当初は戦闘的でしたが、60年代から徐々に協調的に変わって行きます。協調的労使関係下の企業では、人事改革など重要な改革を行うときは、労働組合に問い合わせが来ます。考えてみれば当たり前なんですが、人事部だってドラスティックな改革をやって失敗したら、会社の関係部署から総バッシングを受けるわけです。そのためには、現場を抑えている労働組合に相談するのです。まあ、でも、これは公務員労働、とくに地方公共団体レベルでは、人事改革かどうかは別にして、同じようなことをやっている地域もあると思います。このあたりは勉強不足ですみません。

ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません。権利が公認されているからストライキを打たないわけでもないですし、打つわけでもありません。実際、権利を持っていても、民間ではほとんどストライキがなかったのです。今年の春闘で相鉄などが注目されて、その後、すき家でストライキが行われるなど、少し流れが変わるかなという兆候もありますが、相変わらず少ないままでしょう。

権利が認められていないと、ストライキが終わって裁判になった時点でたしかに苦しい思いをします。とはいえ、ストライキを主導する人たちはそれを覚悟でやるわけです。60年代は民間でも数日間のストライキは行われていましたが、セレモニーと批判されていました。私はセレモニーでも、一種のお祭りのようなもので、それはそれで意味はあったと思いますが、戦うという意味では物足りなかったのでしょう。本気で戦うときには、何があっても戦うという意思が大事なので、かえって困難な状況の方がその覚悟が仲間に伝わり、士気があがるという意味ではよいという側面もあるのです。個人的には、覚悟を決めるというのは何かを捨ててもやり遂げる意思だと考えていますので、それより大切なものがあるとは思っていません。

・闇市場での取引により価格統制にもかかわらずインフレをもたらしたとあったが戦争中にインフレになった要因は他にあるのか

物の不足ですよ。需要に対して供給が少ないからです。ということは、なんで不足になったのか、ということを考えるといいです。一つは欧州の戦争によって交易が少なくなれば、供給量は減りますよね。もう一つは、急激に重工業を発展させたので、資材、人がともに足りなくなりました。そして、石油や鉄なども輸入できなくなったのです。日本では資源がなかったということが決定的で、それが戦争の原因の一つになっていました(もちろん、それだけではないですが)。

・熊谷政策の特徴に民間で自制的行動がとられるような誘導政策とあったが、自制的行動とは労働運動を起こさないことという認識でよいのか

労働運動を起こさないということとは必ずしもイコールではないですね。運動の方向性は複数、あります。ただ、その中でもあまりに敵対的で、自分たちの要求だけを通すのを自粛するようにということだと思います。

・高度経済成長時には日本は人口過剰と考えられたとあったがそれはなぜか

これもあくまで推測しか出来ませんね。その前の時代のときの認識に引きずられていたということもあります。敗戦後、戦地や植民地から帰って来た人たちで国の人口は多くなります。その多いという実感が解消されていなかったのでしょう。

それから、いわゆる団塊の世代がたくさんいました。この時代には子どももたくさんいましたし、どうやって子どもたちに学校教育を提供するのかが教育政策の重要な課題でもありました。ただ、その一方で製造業などでは、このまま行けば人不足になるという危機感もありました。

農村では人が余っているというようなことが言われたりしましたが、経済学者は農村の過剰人口(潜在的な労働力)はほとんどない、という主張もありました。ただ、何もしていない人がいると、人が余っているという印象は持つのかもしれません。そのとき、子どもが減っていれば、人口が減っているという実感がありますが、子どもは多かったですからね。

(8章)
・個人のニーズと集団的労使関係がバランスをとるために企業や政府はどんな努力を行っているのか

これはむしろ、労働組合の仕事ですね。このために、組合員からの不満を聞き取ったり、ときにはアンケートをしたり、それらを受けて、どう解決して行くのか全体の方向を考え、ときには会社に要求して行きます。会社も苦情を受け付けていますし、同じような仕事をやります。政府は、JILPTがそういう実情を一生懸命調査したりしていますが、果たしてそのことの重要性を政治家がどれだけ分かってるのかはだいぶ心許ないです。厚労省も「労使コミュニケーション調査」などの重要な調査を行っています。

以下はゼミでの論点提起ですね。たぶん、現場の人もこういう問題の答えを探し求めています。一般論を言えば、理想的な制度というのはあり得ず、現実に解決したい問題と、何と何がトレード・オフなのか(何を採ると何を犠牲にしなくてはならないか)ということ認識して、その中から選ぶしかないんですね。昔、政策とは偉大な妥協の産物である、と言った人がいますが、それはその通りなのです。ただ、妥協の仕方にはいつでも議論があるし、議論すべきなのです。

<話し合うべきこと>
(1章)
・コラムに高度の仕事ができるようになった従業員の仕事へのインセンティブがいくつか挙げられていたが他にどんなインセンティブが考えられるか
(2章)
・どういうシステムの会社または職業にどのような賃金制度が適しているのか
・各職業の賃金制度はどういった理由から採用されているのか
(5章)
・実際に企業が行っているコスト管理法やその成果にはどんなものがあるか
(8章)
・男女の労働条件の差や性差を解消するための他の制度とその現状について                      

日本の賃金を歴史から考える日本の賃金を歴史から考える
(2013/11/01)
金子良事

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コメント
ストライキ権について
連合総研の市川と申します。色説お会いしたことはありませんが、いつもブログを拝読しています。学生さんたちの質問に答える真摯なご姿勢に敬意を表したいと思います。
一点だけ、大変気になったことが。「ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません。」というのは言い過ぎではないでしょうか?むしろ言葉足らずなのかもしれませんが。実際にストが行われていないということと、権利のあるなしは別次元の問題で、組合運動にとってストライキ権があるというこは極めて重要です。生ぬるいといわれる連合においてさえ、このことを否定する人はいません。一昨年以来、ILOでストライキ権を巡って労使の論争が続いています。労側の主張は、ストライキ権は実質的に団結権・団体交渉権を担保するものであるということです。つまり、労働組合の存在そのものに関わる権利なのです。もっとも金子さんにこのようなことは釈迦に説法ですが、重要でないと言われると、脊髄反射的に異議を唱えたくなってしまいました。失礼しました。
2014/06/09(Mon) 10:54 | URL | ichikawa | 【編集
Re: ストライキ権について
市川さん、初めまして。コメント、ありがとうございます。組合の方からそう言っていただけるのが一番、大事なことだと思います。多分、ストライキ権の有無が重要でないという主張したのは私が初めてでしょう。組合関係者はもとより労使関係研究者のなかにもそんなことを言う人はいないはずです。この問題はおっしゃる通り、とても重要な問題なので、後ほど、ストライキをどう考えるか、エントリとして取り上げたいと思います。
2014/06/09(Mon) 16:57 | URL | 金子良事 | 【編集
ストライキ権
闘うべき時には、スト権が保障されていようといまいとストをやるということだろうという意味かとは思ってましたけど。お書きになった戦前の話も公務員のスト権の問題も、現在ストや戦うことを忘れた労働運動のだらしなさも、まさにおっしゃる通りで、一言の反論もありません。2012年のILO総会の条約勧告適用委員会でスト権が議論になって、1926年の委員会発足以来初めて個別審査ができなかったという事態になった時、私はまさにその委員会の労側委員の一人でした。この論争はご存じの通り、そもそもILOの条約・勧告にはスト権についての明文的な記載はなく、従来から87号条約の団結権と密接不可分であり、当然の推論としてスト権がある(inextricably linked to and an inevitable corollary of)と解釈されてきたことに使用者側が噛みついたというのが発端でした。この拠り所がなければスト権が認められない国が多いのはご承知の通りです。この委員会の労側会議で、スト権が法律で認められている国の委員に手を挙げさせたら、半分もいませんでしたよ。この問題に関して労側委員は、個別審査ができなかろうが総会が中断しようが、一切妥協しなかったのです。その時、私はつくづく憲法でスト権が守られてる日本の労働組合(自分自身のこと)は甘いなと思ったのです。多くの国の労働組合にとってスト権は生死にかかわる重要問題で、今日本の労働組合がそれを忘れているとしても、いえだからこそ、ただ簡単に「スト権のあるなしは関係ない」なんて言ってほしくなかった。それだけです。
2014/06/11(Wed) 11:38 | URL | ichikawa | 【編集
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