『デモクラティック・スクール』に出ていたコンテンツからコンピテンシーへというのは、労働の世界で言えば、職務から職能へとう変化と同じである。最近の動向で言えば、職務から役割へ、ということである。

この前、ある研究会で議論になったが、制度というのは100点のものを作れるわけではないので、80点くらい取れれば上出来で(そうはいっても初期設計は大事なので)、あとは運用で修正して、加点して行く。こう書くと、PDCAサイクルのように思われるかもしれないが、別にPに戻らなくてよい。Aまでを集積させて、10年くらい経ったら、大きい制度改定をすればよい。というのは、人がそれくらい経つと、入れ代わるし、制度設計は教育効果が高いからである。

その意味で、なんだ昔と同じことをやってるじゃないか、ということになるが、それが成功していたならば、昔と同じ経験をした方が良いのである。とはいえ、技術革新で、たとえば今は1960年代になかったパソコンなどがあり、まったく同じではない。この前、雑談で、賃上げノウハウが必要だけれども、今の時代にあったパソコンを使ったハウツウなどがすごく必要になっているという話になった。ディテールは異なる。だから、奉じる必要はないが、原理原則は知っておいた方がよい。

職務から役割への変化は、昔と同じ、人を動かすのに自由度が高いからである。これは日本企業を真似して、欧米で1980年代にブロードバンドが重視されたのを繰り返している。これは経験する必要はなかったなとは思う。

教育に戻すと、日本の学校教育って現場では一度もコンテンツ・ベースであったことないのではないか。多分、ずっと生活指導的なものが重要な位置を占めていた。これは一概に言えないけれども、儒教的な伝統の影響が下地にあって、それがいつかやまびこ学校的な何かに転換して行ったような気がする。いずれにせよ、生徒の面倒、みるよね。ここのところは平田満先生から頂いた「僕の教師修行」が理論的に優れていたと思う。
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