今の労働問題をどう考えるのか、という風に聞かれるときに、メンバーシップ型とジョブ型という考え方が今やもう、かなりデフォルトになって来たなというのが私の実感である。おそるべきhamachanの影響力。

濱口新書四部作のなかで、原論とも言うべきは『新しい労働社会』と『日本の雇用と労働法』で、応用編が『若者と労働』『日本の雇用と中高年』ということになるだろう。前に議論した中で濱口先生が説明されていたのは、労働法と社会政策・労働問題研究の架け橋になるような議論がない、という現状認識とそこに橋を架けるという問題意識のもとで、『日本の雇用と労働法』が展開されたと言えよう。そのときに私が書いたのは、それこそが法社会学のやるべきことではないか、ということであった。『日本の雇用終了』で展開された「生ける法」としての「フォーク・レイバー・ロー」はまさにこの問題への解決の道筋の一つであると言える。濱口先生の議論は、良い意味で厚生省以来の労働政策の伝統を継承している。それはどういうことかと言えば、社会的制度の狭間の中で社会的弱者として生きる以外にない人たちに対して、制度的なところで解決できるところを解決しようということである。

で、もう一つ、成果主義という一大問題があって、これが誰の目にも、日本の経済を良くするという方向に寄与しなかったことだけはたしかである。その明らかになったことを踏まえて、日本の賃金をどう考えるか、という問題意識を持っておられる方もいる。これは基本的にメンバーシップ型の中をどうやって運用して行くか、という問題である。この点については、濱口先生はじつはほとんど発言されていないと思う。というのも、それを発言する必要もないからである。

昨今、流行りの限定正社員とは別の意味で、日本版ジョブ型というあり方が実現する可能性はある。それは今、一部の企業が持っている、あるいは導入しようとしている複線型人事である。つまり、管理職コースと専門職コースに分かれる。ちなみに、濱口先生がいうメンバーシップ型社会では入社時には「空白の石版」であることが求められるが、入ってからは基本的にある特定の職(営業だったり、人事だったり、製造だったり)に就く。そういう前提があるから、専門職コースが作れるのである。ちなみに、大きな組織が機能分化=専門化するのは当然である。

ただ、私が日本版ジョブ型と断ったように、これは基本的にメンバーシップ型の変形でしかない。だから、昔、営業畑というようなものがあるじゃないか、という意見があった時に、いやそういうことではない、と濱口先生が説明したことがあった。おそらく、複線型人事というのは、日本の遅い昇進を前提にしており、したがって、キャリア十数年から先の話である。その地点から様々な分野を経験させるというのは、あまり効率的ではないし、まったくないとは言わないけれども、そんなに多くはないだろう。だが、これに伴って、雇用契約のあり方が変わるだろうか。おそらくは変わらない。だから、メンバーシップ型内の変容なのである。要するに、今の限定正社員の議論と同じで、現状追認的な意味がある。昔から地域限定正社員というのはいる。ただし、その中でも優秀な人は、工場移転などのときに、会社から声がかかる。それでも家の事情で行けない場合は退職することになる。会社も退職されるのは嫌だから、そういう工場移転などの段階になるまでは転勤させないのである。

限定正社員、ジョブ型正社員は、その導入の意図は、非正規などの労働条件の改善だが、正社員と非正規の低水準均衡を生み出すかもしれない。言い換えれば、正社員の労働条件悪化を招くかもしれない、ということである。理屈では必要だと分かっていながら、おそらく、組合の人たちのなかにはそういう危険性がぬぐえないのだろう。それももっとものことだと思う。雇用ポートフォリオ論ももともとそれが唱えられたときには、多様なライフスタイルを引き受ける制度として登場したわけだが、実際は非正規の拡大という、不安定な層を増加させる方便に使われることになってしまった。杞憂というだけで片づけられないのも故なきことではない。
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