小池和男先生が文化功労者に選ばれました。おめでとうございます。今回の賞は、先生の学問的な業績ということもありますが、先生は政府委員も長く務められて来ましたし、そういう総合的な評価でしょう。

濱口先生が知的熟練の功罪というエントリで取り上げていますが、小池先生については本当に多くの誤解があります。小池先生の学問的なスタートは『日本の賃金交渉』で、世間で考えられていることとはまったく逆の主張をなさっています。このときの一般的な議論は日本の労働組合は企業別組合で、労働市場は企業封鎖市場であるというものです。これに対して、小池先生は鉄鋼、全繊、私鉄労連などを取り上げて、事実上、産別が各企業をコントロールしながら、産業ごとの相場を作っているというものでした。小池先生は1950年代から日本がもっとも合理的という主張でしたが、後にそれはドア先生などが言う後発効果で説明されていました。

小池先生の1960年代の重要なお仕事はじつは二つあります。有名なのは『賃金』というテキストを書いたことです。『賃金』のテキストというのは、それこそ20世紀の最初あたりからありますが、経営工学系(当時の言葉で言えば工場管理)の経営学のテキスト、それからマルクス経済学系統の本など、どれも固くて面白くなかった。あの本は、小池先生の社会科学の考え方(類型論的な発想)が書かれていますし、何より幅広くいろんな考え方を紹介している。ただ、当時は若者の多くを捉えた宇野経済学の段階論が使われていたことがインパクトが大きかったと仰っていた先生もいらっしゃいました。この段階論はわりと、丁寧に宇野経済学を踏襲しており、その後の小池先生の議論は馬場宏二先生なんかに影響を与えています。あと、濱口先生の『日本の雇用と労働法』も驚くほど、小池先生の『賃金』と構成が似ていると思います。

もう一つの重要な仕事は、先ほど書いた産別関連の仕事です。佐野陽子先生をキャップにした『賃金交渉の行動科学』ですね。慶応大学というのは、藤林敬三、西村俊作、佐野陽子という藤林先生はともかく、近代経済学系の労働市場論の伝統があったんですね。それを引き継がなかったのは誰かというと島田晴雄先生です。ただ、これは世代的な問題もあり、つまりベッカーの『人的資本』は佐野先生が訳されますが、1970年代の人的資本論革命が直撃したそのアメリカの様子をレポートしたのは島田先生なんですね。これはもう巡り合わせとしかいいようがありません。『賃金交渉の行動科学』は今でも示唆深いよい本だと思いますが、経済学的に詰めて行って、それで説明できないところをあぶり出して、それを行動科学で取り組もうとした。ただ、これはアイディアでその後、深められませんでした。産別の研究も、じつはその後、あまりやられていませんでした。最近になって名古屋の松村文人グループが『企業の枠を超えた賃金交渉』を出版して、小池先生の『日本の賃金交渉』は言及されていたと思います。ただ、今、産別自体がよく分からなくなってしまって、今の産別をやるのはとても難しいですね。松村先生たちの研究も歴史研究としての戦後の研究ですから。

1970年代の小池先生の代表作と言えば、1978年の『職場の労働組合と参加』ですね。この研究が高く評価されたのは、アメリカと日本の鉄鋼業を比較した点にあります。一つのポイントは国際比較なんですね。この本を読めば分かりますが、濱口先生の知的熟練の定義のように「たまたま今やっている仕事のスキルじゃなく、会社のいろんな仕事を何でもやれるだけの幅広い能力」ではまったくなく、具体的に日本の鉄鋼業ブルーカラーとアメリカの鉄鋼業ブルーカラーを比較して、日本の方が仕事の幅が広いということを言っているのです。欧米の製造業ブルーカラーでは、1980年代以降、ブロードバンディングという職務を拡大するという動きが見られるようになります。ちなみに、変化と異常への対処という知的熟練のコアの概念をつかんだのも、東南アジアの企業を調査した国際比較です。

もう一つ、この時期の小池先生の重要なお仕事は『日本の熟練』のなかの「ブルーカラーのホワイトカラー化」というテーゼです。小池先生ご自身は自分の説がどういう風に影響を与えたのかということはあまり御関心がないのですが、少なくともこのテーゼは1980年代以降の労働史の中で大きな影響力を持つことになります。ただし、もともとの小池先生の話は、ECの統計と日本の統計を比べて、ブルーカラーの賃金カーブが日本の方があがっていく、これはホワイトカラーでは各国でも見られることだから、日本のブルーカラーはホワイトカラー化しているのではないか、ということでした。ところが、この議論は二村一夫先生が取り上げるんですね。二村先生は日本の企業別労働組合について独自に考察を進められていて、そのなかでホワイトカラーとブルーカラーの混合組合であるということを重視されていた。その観点から小池先生の議論を高く評価したんです。「日本労使関係の歴史的特質」にそのことが書いてあります。戦後の労働史の研究は二村先生とともにあったといっていい。それくらい影響力がありました。この頃の二村先生の影響を受けた代表的な研究者はアンドルー・ゴードン、市原博、菅山真次などです。ゴードン先生の『日本労使関係史』は原題が『日本における労働関係の展開』であまりにも兵藤先生の『日本における労資関係の展開』に似ているので、兵藤先生の影響が大きいと見られた。しかし、実際には労働関係(ないし労使関係、ここで労使関係と訳さなかったのはindustrial relationsではなくlabor relationsだからで、労働関係調整法以来、労働関係という訳語があります。が、実際には労使関係とした方が適切でしょう)と労資関係は全然、違った。ということは10年くらい勉強して初めて気づいた。ゴードン先生の議論は二村先生の影響と、実は小池先生の影響が結構、あるように思っています。

小池先生がご自身でご自分の考えをもっとも典型的に整理したのは、Koike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comparative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984です。小池先生の基本的なアイディアの一つは、技能形成の段階論で、19世紀はクラフト・ユニオンによる技能形成が合理的だったが、20世紀は企業が配置を自由に行えるために、技能形成にもっとも有利だということです(これはこの論文には出て来ませんが、『賃金』から『仕事の経済学』まで一貫しています)。ここで「組織」ということが重要視されていた。このあたりは内部労働市場論の構成要素で企業特殊熟練を前提にする人的資本論が重要だと言いながら、クラフトも内部労働市場だと言ってみたり、アドミニストレーションが重要といいつつ、では人的資本論とは何かといって機械のくせというような、ドリンジャー・ピオリとどちらが優れているか明らかなわけです(とはいえ、公平を期せば、ブルーカラーを組織的に育成している日本をフィールドにしていた小池先生の方がダンロップ以来の旧制度派よりも有利だったんですが)。この論文にはリチャード・フリーマンのコメントがついていて、日本の製造業の強さを文化論や精神論ではなく、経済的に説明したことを、demysitfy、脱神話化と評価しています。ただ、この「組織」という論点は少なくとも、その後、深められたとは言えないんですね。

というか、1980年代以降の小池先生は知的熟練で有名になるわけですが、知的熟練はそれだけではかなり扱いにくい概念になってしまったと思います。この知的熟練論の限界は、むしろ、ホワイトカラー研究に進んだときに起こったと言えます。小池先生のホワイトカラー研究はそれ以前のもののようなインパクトを持っていません。ここからは私の意見ですが、知的熟練で「変化への対応」というのが重要なポイントで、不確実性ということも重視されました。しかし、小池先生ご自身はホワイトカラー研究でもわりと比較しやすい、つまりある程度、他の変数をコントロールされたと見なしてもよいだろうという対象が多かったと思います。そこにはかえって「組織」の観点はなかった。で、私も最近までそれがなんだかよく分かってなかったのですが、私たちの仲間の高橋弘幸さんという方が戦前の三井物産の研究でこの問題を取り上げたんです。そこで、彼はブルーカラーの技能形成は生産設備などに規定されるために高度に組織的にコントロールされているが、ホワイトカラーはそんなことは期待できない、として、戦前の三井物産の全仕事とその技能形成を検討するという膨大な仕事をします。まあ、このあたりは私の書評に書いてあるので読んで下さい。もう一つは、小池先生の議論の特徴は、長期の競争を重視するというところにあると思いますが、小池先生の研究手法は基本的に調査研究でした。調査研究はどうしてもスポットですから、長期の実証となると、歴史研究的にやるしかないですよね。そうなると、なかなか三井物産のように、占領軍が無理矢理作った三井文庫のような資料的条件がないと、この日本ではなかなか難しい。そういう問題もあると思います。

小池先生の真骨頂は調査研究で、その意味で迫真の技能研究は『ものづくりの技能』ですね。というか、そう思う根拠を、書いていいのか微妙なので、書きませんが。。。まあ、全部、具体的です。

ただ、根本的に、技能と賃金は全然、別の話として成り立ち得るんですよ。それはもちろん、リンクさせた方がよいに決まっていますが、そこにはいろんなパス・インディペンデンスもあって、難しい。教科書とはいえ、『仕事の経済学』で知的熟練論を人的資本論や職能資格給と結びつけて説明する必要があったのかなと個人的には今では思います。ちなみに、年功賃金と職能資格給を一緒くたにする議論がありますが、職能資格給は本来、職務分析を前提にしていて、つまり本来は無限定の能力という話では全然、ありません。そうなっているのは、導入に失敗したケースです。

あと、小池先生は二年赤字で解雇が始まる、終身雇用は幻想という立場だったと思うのですが、いつの間にか終身雇用の擁護者みたいな位置づけにされていて、そこは前から謎でした。

2000年代に入ってじつは『ものづくりの技能』を深めた『海外企業の人材育成』がすごく重要だと思うんですが、私はまだここら辺になると、消化し切れてません。差し当たり、藤本先生の書評と、座談会の記録1記録2がありますので、紹介だけしておきます。実は、このあたりになってくると、「組織」の問題がダイレクトに取り扱えるようになってきます。とくに、ブルーカラーの上位の人たちが設計などに関わるようになってくる。これは2000年代以降の傾向なんですが、コンピュータ・グラフィックの進化の影響です。設計図を読めなくても、コメントすることが出来るようになる。もちろん、これは全員ではなく、小池先生はトップ10%と言います。

小池先生は90年代のご研究のなかで日本企業の特徴として「遅い選抜」ということを主張されていました。小池先生の議論は、日本はトップエリートはともかく中間層が優秀なんだということが前提にあって、「遅い選抜」はそれに見合った制度でした。しかし、濱口先生がいう90年代、実際には1980年代の前半から中高年層の処遇問題がありました。これは知的熟練論よりも1970年代に奥田健二先生が提起していたラインを重視する人材育成の方がマッチします。実際、これは広く受け入れられていた。ところが、管理職ポストの問題が出てくる。80年代以降の分社化の流れには、表向きは多角化ですが、この処遇問題、分かりやすく言ってしまえば、分社すれば社長の椅子が一つできる、という管理職ポスト問題が裏テーマとしてありました。しかし、結果としてこの多角化はあまり成功したとは言えませんでした。それから、日米貿易摩擦とその帰結としてのプラザ合意に単を発する円高問題で、海外現地生産が増えます。これらによって日本の製造業の前提条件が大きく変わりつつあります。私はこの前提条件が変わる中で、日本企業の強さは後退するのではないか、少なくとも継承できなくなるのではないかと思っていますが、それはまた別の話ですね。

「遅い選抜」というのはファスト・トラックを作らないで、多くの人にチャンスを与えるということですが、それだけ正社員が確保される必要があります。ところが、非正規雇用が増大している現実を前にそうした制度が維持されるのか、というところに疑問があって、労働問題ではそういうことが議論されて来たわけです。まあ、しかし、一人に期待しすぎてもどうしようもないので、ちゃんとした代替案を自分たちが出せばいいだけだと思いますが。

小池先生のご研究は結果的に1970年代後半に指摘されていた「組織」の問題に帰って行きました。ただし、それはあくまでも結果的にです。もともと持っていた日本企業の競争力という御関心がそこにはありました。

私は日本企業が海外進出を進めると、日本企業の生産方式を学んだ海外の人が強くなって、日本人は負けて行くのではないか、という疑問を持っていて、それを先生にお伺いしたことがあるんですが、その可能性(高いと思われているのか、低いと思われてるのかは分かりません)は認められて、しかし、それが問題であるという感じではなかったように思います。たぶん、本当は現に経済競争が行われているのだから、それは所与なんだ、というだけのことでしょうが、私は別の希望的解釈をしています。先生は愛国者という側面が左系の研究者との対比でも際立って来ましたが、じつはそれと同じくらい、あるいはそれ以上にサッカーを愛されていて、同じルールのもとで競争するのは当然、ということなんだろうな、と個人的には思うことにしています。これだけ真面目にエントリを書いて来て、オチがひどくてすみません。。。
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