「マルクス四兄弟」と呼ばれる喜劇俳優達によって作られた「インチキ商売」という映画がある。キネマ・ファンなら誰でも知っている筈だがこの四兄弟は、旧大陸を食いつめた旅藝人のあぶれもので、何かしらよき商売もがなと、新大陸のアメリカを目ざして密航を企てたインチキ野郎どもなのである。まったく、かかる種類の「兄弟」は、今日のブルジョア社会では、いたるところで発見される。意識的にやるか、無意識的にやるか、組織的にやるか、偶然的にやるか、尻尾を出すか出さないかの違いはあるにしても、今の社会はこういう手輩で充満していることは事実である。そうならざるをえないような基礎の上に、今日の社会は成り立っているのである。

ところが、驚くべきことは、こういう病的な社会に代る新しい社会を建設しようとする「プロレタリア陣営」の中にも、この種のインチキ師が、公然と或は秘かに、夥しくもぐりこんでいることである。アナーキスト、社会民主々義者、社会ファシスト等と呼ばれている一連の非プロレタリア的「プロレタリア主義者」がそれである。中でも一番たちが悪いのは、常にマルクス、レーニンの言葉で自分を偽装しつつ、その実、もっとも非マルクス的な、非レーニン的な、非プロレタリア的な役割を演じている(中略)

映画の「マルクス四兄弟」は、徹頭徹尾八百長をもって成功の手段としたが、この点にかけては、我々の「ニセ・マルクス兄弟」もまったく同じである。例えば、始終互に褒め合ったり、時にはなれあい喧嘩までもして見せるといった具合で、どうしてなかなか「ニセ・マルクス四兄弟」だって、本物の「マルクス四兄弟」なんかにまけてはいない。

この前、専門学校で教えている子のなかに文学青年がいて、『蟹工船』やらプロレタリア文学やら派遣問題やらを混同しているし、社会主義まで理想化している始末なので、一から教え直す羽目になった。冒頭、引用した文章はご存知の方も多いかもしれないが、稀代のジャーナリスト・大宅壮一が戦前に書いた「ニセ・マルクス四兄弟」の冒頭部分である。詳しくは全集第3巻に収録されたこの雑誌記事を読んでいただくしかないが、とにかく痛快だ。ただし、あんまり読みすぎると、性格が悪くなるおそれがある。

大宅は社会主義ギルドの創始者として堺利彦をあげている。
日本のプロレタリア解放運動史上に残した堺利彦の大きな足跡を、筆者は抹殺し去ろうとするものではない。しかしそれと共に、彼によって日本のプロレタリア解放運動が、もっともたちの悪い方向に歪められたことも事実である。従って彼は、「社会主義の父」であると同時に、ニセ・マルクス主義の父でもあるわけだ。「社会主義」が、がっちりした大衆的基礎の上に立たないで、一握りの文筆業者のギルド組織化する前例は、彼を中心にして始まったといえるであろう。かつての彼は、文壇における菊池寛の如く、社会主義の大御所として、一度彼のゲキリンにふれれば、日本で「社会主義者」としてやって行けないという珍妙不可思議な現象をもたらしたのである

堺は言うまでもなく売文社を結成し、文章を売るということを商売として明確に打ち出した人である。実際はありとあらゆる文章を手がけ、手紙の代筆どころか、卒論の代筆まで請け負ったといわれている。さすがに、これは当時も問題になったらしい。いずれにせよ、糊口をしのぐという程度ではなく、社会主義やプロレタリア文学は一大ビジネスに成長させた偉大な先覚者である。改造社の山本実彦は「社会改造」というキャッチフレーズを売り出して、大正9年に大ヒットさせた。今で言えば、流行語大賞は間違いないはずだ。実際、「蟹工船」は去年、流行語大賞を取っているのだから、ゆえなき推測というわけでもないだろう。

とはいえ、こうした状況にみながみな、浮かれていたわけではない。当代一、稼いだであろう京都帝国大学、河上肇は書けば書くほど、自分が豊かになり、労働者のためになっていないことを深く憂いていた。彼が飲み屋の労働者に騙されて、払いをさせられ、しばらく、騙されたことにさえ気づかなかった話は有名だろう。彼は労働者のために働く意欲を有していた。しかし、働いたこともなかったし、だからこそ働き方も分からなかった。その姿はどこか可笑しくて、そして、どこか悲しい。他方、プロレタリア文学者は売れるまでは皆、貧乏であった。しかし、彼らは私小説家のように、自分の生活を壊す衝動に駆られる前に、売れることを望み、実際、売れたら素直に喜んだ。私はこの二つの話に一片の真実を感じている。

世の中は青年が思うほど潔癖ではないけれども、ギルドの血を引く口舌の徒が叫ぶほど捨てたものでもないと私は思う。どの局面に目を向けるかは本人の好みでしかない。
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