日高昭夫さんの「ローカル・ガバナンスにおけるコミュニティの意義」という短い論文が数年前の自治労の機関誌に掲載されました。自治労の機関誌ですから、まあ電子化される気遣いもないのですが、これはすごく重要な論文で埋もれさせておくのはもったいないと思います。

日高さんの議論で面白いのは、自助、共助、公助という普通、我々が知っている区分はあまりよくないと言っています。少し引用しますが、


いわゆる「補完性の原理」とそれが連動することで、「自助」→「共助」→「公助」という垂直的な階層関係の上層に「公助(正確には上記の公助①の機能)」を配置する結果、現実の政治行政機能としては、財政危機などを背景として,たとえば生活保護制度の見直し論の一部にみられるような「自助責任」を過大評価し、行政縮小(公助②の機能も含めた役割回避)を促進する論理に与しやすいのである。


この公助①、公助②というのは日高さんの定義ですが、それを理解するために、図を確認しましょう。貼り方がよくわからないのでサムネイルになってしまいましたが、クリックして大きくしてみて下さい。

五助論

この図は本当に優れてると思うのですが、日高さんの定義では、個人や家族の「自助」を基盤に、民間企業や事業所などの「民助」、NPOなどの「協助」、自治会などの「共助」を分けて捉えています。そして、それをオーバーラップする存在として行政の「公助」があり、さらにはこのすべてを含む形で「新しい公共」が構想されています。この図の難点は「協助」と「共助」の読みが同じ「きょうじょ」であることくらいでしょうか。「共助」を「相互扶助」とすれば分かりやすかった気もしますが、二文字にしたいですし、相互を削ったら意味が変わっちゃいますしね。

私も現実的にこの五区分はすごく大事だと思っています。サッチャーの保守改革の一つの焦点は「民営化」なんですが、日本ではこれはすぐに企業がやるみたいな話になってしまいます。ところが、イギリスでは思想的にはオークショットなども入っていると思いますが、「公助」から「協助」の復活という意味も込められていたんですね。これはこの図を見ると、よく分かります。

また、もう少し精密に見ると、「民助」と「協助」の交叉するところに、社会的企業や企業のCSRなども位置づけられるでしょう。よく言われるように、日本ではこの「協助」の伝統が弱い。これは慈善事業の伝統がないからで、近代以前における教団という意味での宗教の歴史が欧米と異なることがあります。だから、前線のNPOを支援するような、たとえば日本で言えば、松原さんたちのシーズのような活動はなかなか一般には認知されないんですよね。彼らの地道な活動があればこそ、我々は震災のときに支援金という寄付のやり方が実現できたわけでですが、そういうことはあまり普通の人は知らない。

同時に、震災、この方、NPO活動が注目を集めて、地道に小さくよい活動をしているところもあるのですが、この活動が「新しい公共」を代表してしまった。しかし、実際には町内会や自治会のような「共助」が重要な役割を果たしました。こうしたもののうち、仮設の自治会はそれでも支援が入ったところもありますが(実際には自治会長さんが個人負担したところも少なくないでしょう)、圧倒的に多くは支援を受けられなかった。それは「新しい公共」の中の議論にちゃんと位置づけられていなかったからですね。もっと言えば、「協助」の中には従来の生協や労働組合もあります。今回の大震災では、生協も、それから労働組合も多いに活躍しました。しかし、多くの人にはその活動はよく知られていません。なお、労働組合のなかには今なお、支援活動を継続しているところがあります。

いずれにせよ、現実的に日高五助論はこれからこうした問題を考えて行く上での基盤になり得るでしょう。
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