2015年02月09日 (月)
ベーシック・インカムを少し調べてみるかということで、多摩図書館に寄ってみたら、いくつか面白い本があった。社会政策学会(アクセプトされたらだが)と茶話会の報告に関係あるので、すこしまとめておこう。
最初に魅かれたのは山本理奈『マイホーム神話の生成と臨界』という本。パラパラっと読むと、住宅の歴史社会学の話が少し書いてあったので、ああそうだと思いだして、祐成保志『<住宅>の歴史社会学』をこれまた、パラパラっと読む。佐藤健二『社会調査史のリテラシー』を読んだときにも思ったが、構築主義以降の歴史社会学はトピック突破主義なので、文脈が分かりづらい。こういうテーマとこういうテーマがありますねといって話がいつのまに膨らんでいく。たぶん、これは体系化のアンチテーゼで出来たことと関係があるのではないかと想像した。だが、門外漢には敷居が高い。うーん、社会学は体系化→方法の洗練→個人の熟練に頼った再職人化の道を歩んでるんだろうか。まあ、でも、たぶん、他人が読んだら、私の本はもっと学統が分かりづらいだろうな。
ただ、今の問題関心で読んでいると、住宅が一つのキーワードになるなとは感じていて、たぶん、渡辺俊一・本間義人といったところをもうひとつフックにしながら、磯村英一・奥井復太郎の都市社会学に至ると、都市社会政策が見えてくるんだろうなという予感がした。矢崎武夫、藤田弘夫ではなく、その前の二人が重要だと思う。ちなみに、私はあまり鈴木栄太郎の都市社会学は買わない。鈴木の研究はやはり農村社会学原理に尽きると思う。というか、『都市社会学原理』と『日本農村社会学原理』を読み比べてみると分かるけれども、農村社会学原理から自由ではない、というのが私の印象だ。それは都市社会学から都市計画的なものを排除しようとした鈴木の問題意識とも重なるのである。
ここに領域社会学のもう一つに、家族社会学がある。じつは、農村社会学も都市社会学においても家族は重要である。ここの部分(具体的には家族社会学と都市社会学のある部分)をうまく接続させようとしているのが祐成の提唱している住宅社会学ということになるだろう。
そして、もう一つ面白いのは武川正吾『地域社会計画と住民生活』である。最近の勉強を踏まえて読むと、この本は大変に面白い。面白いのだが、同時にこのときに持っていた問題意識をうまく発展させてくれたら、日本の社会政策はまったく違う状況になっていただろうと思う。何がそんなに面白いのかということなのだが、それは公共政策、経済政策、社会政策の位置づけである。簡単に言えば、公共政策のなかに、具体的に経済的なものを扱う政策と具体的に社会的なものを扱う政策として、二つとも仲良く収まっている。ここで「具体的に」が強調されていたが、これが後の経済学的社会政策と社会学的経済政策のモチーフであることは明らかだろう。
この本の中には西尾勝の研究ももちろん引かれているし、シビルミニマムの話もある。ということは、この時点ではひょっとしたら、政治学ないし行政学の公共政策と対話しながら、日本型の公共政策と社会政策論を発展できたかもしれない。もし、その試みが成功していれば、玉井金五の『防貧の創造』で提出された問題とも相まって、1990年代に日本のオリジナリティのある社会政策論が誕生した可能性があったのではないか。この本、たぶん、売れたんだな。それにしてもアマゾンの価格は安すぎる。
武川のこの本は社会計画と地域社会学との交錯する領域を扱うことをうたっている。地域社会学というのは、たしかに農村社会学と都市社会学を包含するよい問題設定だと思う。何より、鈴木栄太郎がいう意味での自然村は高度成長期以降は消え行っているからである。このあたりの問題設定は松下圭一の問題提起とも重なるだけに、もうちょっと公共政策と対話しつつ、社会政策そのものが80年代から90年代に深められていったらという感慨がやはり残るのである。
ついでにいうと、社会計画、経済計画の思想的検討も必要で、そのときには厚生経済学や公共選択論と正面から向き合うことになるだろう。
まあ、私の作業はまだこの時代まで追いつかないので、とりあえず宿題というかメモ代わりに。
最初に魅かれたのは山本理奈『マイホーム神話の生成と臨界』という本。パラパラっと読むと、住宅の歴史社会学の話が少し書いてあったので、ああそうだと思いだして、祐成保志『<住宅>の歴史社会学』をこれまた、パラパラっと読む。佐藤健二『社会調査史のリテラシー』を読んだときにも思ったが、構築主義以降の歴史社会学はトピック突破主義なので、文脈が分かりづらい。こういうテーマとこういうテーマがありますねといって話がいつのまに膨らんでいく。たぶん、これは体系化のアンチテーゼで出来たことと関係があるのではないかと想像した。だが、門外漢には敷居が高い。うーん、社会学は体系化→方法の洗練→個人の熟練に頼った再職人化の道を歩んでるんだろうか。まあ、でも、たぶん、他人が読んだら、私の本はもっと学統が分かりづらいだろうな。
ただ、今の問題関心で読んでいると、住宅が一つのキーワードになるなとは感じていて、たぶん、渡辺俊一・本間義人といったところをもうひとつフックにしながら、磯村英一・奥井復太郎の都市社会学に至ると、都市社会政策が見えてくるんだろうなという予感がした。矢崎武夫、藤田弘夫ではなく、その前の二人が重要だと思う。ちなみに、私はあまり鈴木栄太郎の都市社会学は買わない。鈴木の研究はやはり農村社会学原理に尽きると思う。というか、『都市社会学原理』と『日本農村社会学原理』を読み比べてみると分かるけれども、農村社会学原理から自由ではない、というのが私の印象だ。それは都市社会学から都市計画的なものを排除しようとした鈴木の問題意識とも重なるのである。
ここに領域社会学のもう一つに、家族社会学がある。じつは、農村社会学も都市社会学においても家族は重要である。ここの部分(具体的には家族社会学と都市社会学のある部分)をうまく接続させようとしているのが祐成の提唱している住宅社会学ということになるだろう。
そして、もう一つ面白いのは武川正吾『地域社会計画と住民生活』である。最近の勉強を踏まえて読むと、この本は大変に面白い。面白いのだが、同時にこのときに持っていた問題意識をうまく発展させてくれたら、日本の社会政策はまったく違う状況になっていただろうと思う。何がそんなに面白いのかということなのだが、それは公共政策、経済政策、社会政策の位置づけである。簡単に言えば、公共政策のなかに、具体的に経済的なものを扱う政策と具体的に社会的なものを扱う政策として、二つとも仲良く収まっている。ここで「具体的に」が強調されていたが、これが後の経済学的社会政策と社会学的経済政策のモチーフであることは明らかだろう。
この本の中には西尾勝の研究ももちろん引かれているし、シビルミニマムの話もある。ということは、この時点ではひょっとしたら、政治学ないし行政学の公共政策と対話しながら、日本型の公共政策と社会政策論を発展できたかもしれない。もし、その試みが成功していれば、玉井金五の『防貧の創造』で提出された問題とも相まって、1990年代に日本のオリジナリティのある社会政策論が誕生した可能性があったのではないか。この本、たぶん、売れたんだな。それにしてもアマゾンの価格は安すぎる。
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武川のこの本は社会計画と地域社会学との交錯する領域を扱うことをうたっている。地域社会学というのは、たしかに農村社会学と都市社会学を包含するよい問題設定だと思う。何より、鈴木栄太郎がいう意味での自然村は高度成長期以降は消え行っているからである。このあたりの問題設定は松下圭一の問題提起とも重なるだけに、もうちょっと公共政策と対話しつつ、社会政策そのものが80年代から90年代に深められていったらという感慨がやはり残るのである。
ついでにいうと、社会計画、経済計画の思想的検討も必要で、そのときには厚生経済学や公共選択論と正面から向き合うことになるだろう。
まあ、私の作業はまだこの時代まで追いつかないので、とりあえず宿題というかメモ代わりに。
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